ベリール家の領土
「気分は大丈夫かい?」
ナイロさんが水の入ったグラスを持って、部屋に入ってきた。
ここは、ナイロさんの家のリビング。
僕らの心配により、クラウドを無理矢理、長椅子に寝かせていた。
起き上がってコップを受け取りながら、クラウドは気まずそうに呟く。
「……別に、問題ない」
「ほんとに? ほんとに大丈夫?」
「フォーレス様は大丈夫だとおっしゃってたけど、子供だし何かあったら……」
「だから問題ねぇって!」
セリアと、そのお母さんのポピーさんにも言われて、クラウドはそう怒鳴ってそっぽを向いた。
確かに、いろんな人に心配されたら恥ずかしいよね。
僕はクラウドの隣に座り、彼に微笑んだ。
「わかるよ。僕もちょっと前さ、さっきのクラウドみたいに気分が悪くなっちゃって、皆に――」
そこまで言いかけて、ふとひっかかった。
…………クラウドみたいに?
「……?」
クラウドは、中途半端に話すのを止めた僕を不思議そうに見た後、ナイロさんの方を向いた。
「この辺りは、あの魔物がよく出るのか?」
「ああ……最近ね」
ナイロさんは頬をかき、困ったように笑う。
「先週、俺の鶏小屋が魔物に襲われて……それから、頻繁に村に出るようになったんだ」
「ああ、だからさっき……」
すごい形相で斧を振りかざしていたナイロさんを思いだし、呟く。
「けど、『しょうがない』で済む話じゃないんだよ」
セリアが真剣な顔をして言った。
「ナイロさんの養鶏場は、この周りで一番大きいんだ。都で評判な鶏料理や卵料理も、ナイロさんのお陰なんだよ。だからニワトリがいなくなって、みんな困ってるんだ」
「そ、それは一大事だ……!!」
明日から気軽にオムレツやチキンが食べられなくなるなんて、僕なら寝込んでしまう。
クラウドは腕を組み、
「なるほどな。それで、リトが呼ばれたのか」
「……リト?」
「あっ……フォーレス、だな」
クラウドは少し気まずそうに訂正し、
「あいつの本名は、リト・フォーレス。フォーレスは名字だ」
「あら、良いお名前ね」
ポピーさんがうっとりしたように言う。
その仕草を疑問に思っていると、セリアがやれやれと、呆れたように言った。
「母さんね、フォーレス様のファンなんだよ」
「うふふ、だってかっこいいし、可愛らしいじゃない。それにあの年で一級魔導師よ。ああ、私も若かったら……」
「やめなよ、父さんが聞いたら泣くよ」
ため息をつくセリアの隣で、ナイロさんがクククと笑う。
確かに、フォーレスは稀に見る美少年だと、同性の僕も思った。
クラウドはフンとそっぽを向き、
「顔だけだろ、性格はクソだ。自分があのフォーレス家だってことを鼻にかけてる。……あ、フォーレス家は、有名な魔法使いの名家なんだ」
「なるほどね、だからちょっと偉そうだったんだ」
……けど、何故クラウドはフォーレスを、つい名前呼びしたんだろう?
クラウドのように名字がない人はともかく、親しい間柄でない限り、相手を名前で呼ぶことはないのに。
「あー、あいつの話は今どうでもいい。オレが聞きたいのは、フォーレスの雇い主のことだ」
クラウドがまた話し出したので、考えるのを止めた。
「フォーレスが言ってた、雇い主って誰なんだ?」
「ああ、ベリール伯爵ね。この村と周辺の領主様なの。お優しい方よ」
ポピーさんが微笑んで答える。
ベリール伯爵……僕も小さい頃に一度会ったことがある。
でも、それは前当主の話だ。
少し前に病気で亡くなられて、今はその息子のティーク・ベリールが爵位を継いでいる。
「ふーん、領主、か……」
クラウドは少し考えるそぶりを見せたが、突然立ち上がった。
「わかった。体調は問題ないし、オレはもう行く」
「そっか、じゃあ僕も」
「まだ村にいるつもりかしら?」
ポピーの質問に、クラウドはうなずいた。
あ、僕は帰ろうと思ってたのにな……。
「そう、ならセリア、道を案内してあげなさい」
「うん。あたしに何でも聞いて!」
セリアがニカッと笑って、元気よく答えた。
まあいいや、楽しそうだし、ついていこう。
「――というか、クラウドがいないと帰り方わかんないし」
「何か言ったか?」
「ううん、独り言」
振り向いたクラウドから目をそらし、隣のセリアを見た。
「でね、この村はベリール村っていうんだ。ずっとベリール家が治めているところだからね」
セリアは楽しそうに、村の話をする。
男の子のように短く切られた濃い茶髪に、ピカピカした小さな赤い花の髪留めが光っていた。
「それで、あそこに見えるのが『緑の洞窟』」
セリアの指差した方を見ると、少し遠くになだらかな丘が見えた。
中央には、ぽっかりと穴が空いている。
そこには墨を塗りつぶしたような闇があるだけで、ここからだと中の様子は見えなかった。
「エメラルドが採れるんだよ」
「へえ、エメラルドか。綺麗だよね」
緑色に輝く宝石、エメラルド。
僕の目の色に関連付けてか、よく贈り物やブローチに使われていたから、馴染みがあった。
「けど勝手に入ったらダメだよ。立ち入り禁止の場所は尚更」
「立ち入り禁止?」
クラウドが聞き返す。
「うん、洞窟を入ってすぐの、小さな別れ道。私が気がついたときから、ずっと立ち入り禁止になってるの」
何でかわからないんだけど、と言って、セリアは洞窟に好奇の目を向けた。




