荷車に揺られて
――かたかた。
王の都を出て、もう一時間が過ぎただろうか。
翠の都へ続く、補正された平らな道を、馬車は静かに走り続けていた。
「みんな、眠っちゃったね」
その柔らかな声に振り向くと、僕の後ろで、一人の女の子がこちらを見ていた。
年は、十歳ほどだろうか。
女の子は膝を抱えたまま、金色のみつあみを二つ揺らし、音をたてず僕の隣へ移動する。
「あなたは眠らないの?」
窓から射した青白い月明かりが、女の子の明るい茶色の瞳を照らした。
「うーん、なんか落ち着かなくて……」
そう答えながら、床に敷かれた厚い絨毯に横になり、意味もなく天井を見つめた。
僕らが乗った馬車は、隣国の王子を歓迎するために王の都へ来ていた、『シーズ楽団』の所有物だった。
馬車は全部で五台、そのうちの先頭の四台は、楽団の団員約三十人を乗せて走っている。
そして、最後尾に位置するこの五台目の荷車は、楽器や楽譜を立てる台などを積むためのものだった。
荷車は他の四台の馬車とは違い、椅子や机などが置かれておらず、僕らは敷かれた絨毯の上に座っている。
乗っているのは、さっき出迎えてくれた男の団員が一人と、僕とクラウドに、眼鏡をかけた知らない少年が一人、そしてこのみつあみの女の子だ。
しかし、団員の男は箱に寄りかかったままイビキをかいているし、眼鏡の少年は毛布にくるまって寝息をたてている。
一人窓際にいたクラウドも、壁に寄りかかって目を瞑っていた。
僕と目が合うと、 女の子はニコッと笑った。
「わたし、ハニーっていうんだ。おにいさん、名前はなんていうの?」
「僕? 僕はシル――」
名乗りかけて、慌てて口をつぐむ。
シルク……なんて言ってしまえば、僕が『シルク王子』だとばれてしまうかもしれない。
「えっと……ルーク! ルークだよ」
とっさに、王の都でよくある名前を答えた。
「そっか、ルークって言うんだね」
ハニーは膝に頭をのせ、のんびりと言った。
よかった、僕の受け答えに、特に疑問を感じていないようだ。
「ルークは、何で翠の都へ行くの?」
「翠の大魔導師に用があるんだ」
どうして、とハニーが尋ねる。
……まあ、言っても言いかな。
僕は上体を起こし、ハニーと視線を合わせた。
「僕、今日までずっと、自分が普通の人間だと思ってたんだ。親は両方魔法使いじゃないし……」
でも、と言葉を続ける。
「ある人に、僕は魔力を持ってるかもしれないって、言われたんだ。呪いの力で、魔力が封印されてるんだって……」
「じゃあ……ルークは、それを解いてもらうために?」
「…………わかんない」
窓の外へ視線をはずす。
本当に魔力を持っていたら……僕は、どうすればいいのだろうか。
お父さんとお母さんの子でないことは、確定してしまう。
そうなったら……。
「あっちの目を怪我しているおにいさんは、ルークの兄弟?」
「えっ?」
思わぬ質問に、考えが止まる。
「だって、似てるから」
「まあ……目と髪の色は同じだよね……」
つられて窓際にいるクラウドを見る。
しかし僕は、彼がその色を持っていることに、苛立ち以外の疑念を抱きはじめていた。
緑の目は、翠の都の住人の多くが持っている。
僕は祖父がそうだし、婚約の話題で上がっていたモモも翠の都出身だから、緑の目をしていた。
けれど銀髪は、貴族――王族関係者に多い色だ。
彼は貴族が嫌いだと言っていたけど……本当は、彼自身も貴族なのでは?
そういえば、そもそも彼は王の都へ、何をしに来ていたのだろう?
お互い敵対してばかりで、話しをしようとしていなかったから、わからない……。
「わたしはね……おにいちゃんを探しに来たの」
ぼんやりしていると、ハニーが独り言のように呟いた。
「おにいちゃん、お友だちと翠の都へ行って、一週間も帰ってこないの。おとうさんは、あんなやつほっとけって、言うんだけど……」
ハニーは俯き、赤い色のつなぎのズボンを、その白い手でぎゅっと握った。
「元気かな……おにいちゃん」
「…………」
悲しそうにうつむく幼い少女の横顔を、見つめる。
僕は情けないことに、次の言葉がなかなか思い浮かばない。
そして、そのときだった。
――ガタン!
突然、馬車が大きく揺れた。
不意打ちだったので、舌を噛みそうになる。
積み上げられた楽器が、がたがたと不穏な音をたてた。
驚いて窓の外を見ると、今まで流れていた景色が止まっている。
ハニーと顔を見合わせた。
「止まった?」
「もう着いたのかな」
「いやいや、まだ到着時間には早すぎる」
横から聞こえた男の声が、僕らの推測を否定する。
見ると、団員の男が、頭をさすりながら懐中時計を確認していた。
どうやら馬車が止まったとき、壁に頭をぶつけて目が覚めたらしい。
「ん……どうしたの?」
「なんで止まったんだ?」
眼鏡の少年も目を覚まし、クラウドは窓の外をて見つめている。
誰もなにも、答えることができない。
……一瞬、静かな夜の景色が戻った、と思えた。
しかしそのとき、誰かの叫び声が響き渡った。
「魔物が! 魔物がこっちにくる!」




