荷物と客人
――コンコン、軽いノックの音。
「シルク様、ご夕食の時間です」
そしていつもの明るい声。
「入っていいよ」
僕が答えると、ローズは失礼します、と言って部屋のドアを開けた。
そして寝台で布団にくるまって横になっている僕を見て、不思議そうに首をかしげた。
「シルク様? お昼寝されていたのですか?」
「うん……なんだか気分が悪くて……」
「えっ、だ、大丈夫ですか?!」
ローズは驚いたように目を見開く。
「すぐにお医者様を――」
「いやいいよ、呼ばないで、寝れば治るよ」
医者を呼びに部屋から出ようとしたローズを、慌てて止める。
「……けど、今日の晩餐は欠席するって、誰かに伝えてくれない?」
そして病人のような弱った声で、ローズに頼んだ。
「朝まで眠っておくから、ご飯も持ってこなくて大丈夫だよ」
「そうですか……わかりました。何かあればベルでお呼びくださいね」
「うん。せっかく来てくれたのにごめんね」
ローズは、そんなことないです、と心配そうな紫の瞳を僕に向けている。
机に置いてある水差しだけ新しいものにかえて、「お大事に」と、部屋の扉を閉めた。
そうして、彼女のこつこつという革靴の足音が聞こえなくなって、
「さてと」
僕は何ともない体を起こし、布団をはいだ。
ローズはきっと、また僕の様子を見にくる。
そして大広間では、今日は隣国の王子を歓迎する、二日目のパーティが行われている。
パーティは夜遅くまで続くが、出された料理がだいたい終いになるのは、午後九時頃。
おそらくその頃に、ローズは僕の部屋にやって来るだろう。
現在、午後六時半。
「あと二時間半……」
一人で呟いて、寝台から飛び下りた。
やらなきゃいけないことはたくさんある。
まずは、“手紙”。
両親宛に一つと、ストロンとアルトに向けて一つと……そしてもう一人、合計三通。
全て書き終えたときには、すでに時は七時を半分以上過ぎていた。
急がないと。
次は“荷物”。
クローゼットから、斜め掛けの緑色の鞄を取り出す。
これは、国の行事で狩りに出掛けるときとかに、よく使っているものだ。
「地図と着替えと、あとお金……どれくらい持っていこう?」
――こんな僕の様子を見れば、僕が今から何をしようとしているか、誰にだって察しがつくだろう。
そう、僕は、この城から出るつもりだ。
僕がいなくても誰も困らない、むしろこの城にいる限りは、誰かに迷惑がかかってしまう。
だから旅の中で、どこかにあるかもしれない『僕自身』を見つけに行くつもりだった。
そして、その出発に最も適した時機は――“今日”だ。
町の地図を何枚かと、持ってる中でもシンプルな服、そしていくらかお金を詰め……それから必要なものを探して部屋を歩く。
「ハンカチ、ティッシュ、シャンプーと石鹸、タオルと枕と~……あっ、このくまのぬいぐるみも折角だから連れて――」
「王子様、観光旅行にでも行くつもりなの?」
「うわあああっ!?」
突然背後で聞こえた声に、飛び上がる。
急いで振り返ると、そこには見たことのある女の子がいた。
「君は……ルリー姫?」
「そうよ。私、ルリー・レイン」
そう言ってルリーは微笑んで、ワンピースの裾をつまみ、丁寧にお辞儀をした。
ルリー・レイン、僕の母方の従妹。
年の近かった彼女とは昔、この王宮でよく一緒に遊んでいた。
学校に入学して男女別になってからは、たまに校庭ですれ違うくらいだったけど。
長くて綺麗な髪も、窓からこの部屋に入ってくるような身軽さも、僕の知ってるルリーと変わっていないことが、今わかった。
「私、王子様を助けにきたの」
ルリーはいつでも、僕を『王子様』と呼んだ。
彼女は窓を閉めた後、あるものを僕に手渡した。
「服? ……ルリーの?」
「そう、けどもう、王子様にあげる」
僕は疑問を口にしかけたが、その前にルリーが話し始めた。
「私ね、いつもみたいにお城を探検していたら、あなたとおばあちゃんの話を聞いちゃったの。――結婚のね」
彼女はニヤッと笑って、言葉を続ける。
「それに、ストロンから聞いたの。モモにはもう恋人がいるって」
ストロンと知り合いだったのか。それなら話が早い。
「そう、そうなんだよ。僕はアルトを傷つけるようなこと――」
「王子様の考えはわかるわ。だから準備していたんでしょ?」
また遮られ、そして予想外の質問に僕は言葉を失う。
けれどルリーは得意気に、また話を続けた。
「隣国の王子様は、明日のお昼には帰っちゃう。……パーティに呼ばれていた貴族や芸人たちは今夜、一斉に城から出ていくわ」
ルリーは僕の周りをゆっくりと歩く。
「そしてそのごちゃごちゃした中に混ざれば、例え王子様でも目立たない……門番にも見つからない、でしょ?」
「………………」
当たりだ。
だから僕は、旅立つ日を『今日』にこだわっていた。
今日を逃せば、こんなチャンスはいつくるかわからない。
しかし、その後のルリーの話は、僕の考えていたことと、まるっきり違っていた。




