レインルイン王国
木の葉の擦れる音。
ふわりと漂う草の匂い。
手のひらに落ちる木漏れ日。
僕は一人、森の中にいた。
いや、正確には二人だった。
その人は、僕にこう話しかけた。
「今日は君に、ある魔導師と騎士の話をしてあげる」
少年の声だった。
それは物語を始まりような、静かな、諭すような声色。
僕は切り株の上に座り、目に見えない誰かに頷いた。
「いいよ、何度でも聞いてあげる」
――……。
「――ク、シルク!」
「……ふへっ?!」
突然聞こえた甲高い声により、夢から現実へと引き戻された。
そして目に飛び込んできたのは、二つの茶色の瞳。
僕がはっとして体を起こすと、その人は先程よりももっと大きな声で言った。
「シルク! 授業の途中に居眠りとは何事ですか!」
パシィン!
僕の机に、よくしなる指し棒を叩きつけられる。
慌てて周りを見渡すと、そこは森の中ではなく、広く綺麗な午後の教室だった。
回りの生徒は、ニヤニヤしてたり呆れるような表情で、僕を見ている。
――そうだ、今は授業中だった。
そそくさと机の上の本をめくると、彼女は僕の机から離れ、磨かれた木の床をパタパタと歩き出した。
「全く、なんということでしょう! この王立学校の貴重な授業で居眠り! それも学園長の私の孫である、貴方が!」
先程から聞こえるこのキーキー声は、ババアーーじゃなくて、僕の大切な尊いお婆様のものだ。
僕はばれないように、まるで鉄の棒でも入れてるような真っ直ぐな彼女の背中に、舌を出す。
お婆様は、年のわりには無駄にきびきびとした動きで、教壇につき、
「他の生徒はぼんやりしていても、それはご自分の責任となるでしょう。しかしシルク・レイン、貴方は!」
ビシッ! 木の棒で僕を真っ直ぐ指す。
慌てて舌を引っ込めた。
噛んだ。
「貴方は、このレインルインの第一王子! 来年の十六歳の成人式で、正式に王位を継ぐ者なのですよ!」
教室いっぱいに響いた声。
その聞き飽きた音に耳を塞ぐため、口に広がる鉄の味を噛み締めながら、窓の外を見つめた。
『レインルイン』。
王族レイン家が治める、自然の豊かな王国。
トライアングルのような形をした国土に、四つの大きな都が栄えている。
ここは、その中の一番大きな都……つまり王の住む都、『王都』だ。
窓の向こうには、静かにそびえ立つ純白の城と、色とりどりの賑やかな城下町と、遠くに深い緑の森が広がっている。
それらは暖かな午後の陽気に包まれ、キラキラと輝いていた。
そんな景色に想いを馳せていると、お婆様の言葉が耳に飛び込んできた。
「なのに、このように怠けて! 罰として、放課後に居残り掃除とします!」
……居残り掃除?!
「王子なのに?!」
思わず言葉を返しまった。
しまったと思ったときにはもう、お婆様の眉はつり上がっていた。
「都合良く身分を使ってはなりません! それにその口の聞き方は何です! 王子でも誰でも、罰は平等に与えます!」
「す、すみません。でも、今回の授業の内容はもう知っているから、それでちょっと、うとうとしてただけで、その……」
言い訳が自分でも苦しく感じ、だんだん声が小さくなる。
お婆様はちらりと僕を睨んだ後、ため息混じりに、
「まあ貴方、成績『だけ』は良いですからね……よろしい、なら今から言う質問に答えてみなさい」
お婆様はこほんと咳払いをしてから、僕に向かってこう言った。
「『魔物』について説明しなさい」
「はい、……わかりました」
僕は頷き、椅子から立ち上がった。
「君は、『魔物』を知ってるかい?」
それは昔、夢の中の森で聞いた話。
姿の見えない少年のその言葉に、まだ小さかった頃の僕は、首を捻った。
「しらない。なまえはしっているけど」
「そうか、なら教えてあげる」
少年の声に、僕は頷いた。
「魔物は、人以外で魔力を持つ生き物のこと。何十年も前、このレインルインの一人の大魔導師が作り出したんだ」
「だいまどうし?」
「おいおい、魔法使いの話はこの前したろ?」
少年は笑っていた。
「“大魔導師”は、魔導師のトップさ。“魔導師”は、魔法使いの中の実力者。そして“魔法使い”は、魔法を使える者の総称だよ」
心地よい風と共に、穏やかな少年の声が降り注ぐ。
「魔物を作り出した大魔導師は……レインルインの王様を殺した」
「……え?」
途端、風がぴたりと止んだ気がした。
「それは、ぼくの……」
「ひいおじいちゃんだよ。君と同じ名前で、銀色の髪を持つ、シルク国王さ。そしてその大魔導師は、後に――」
「『魔王』と呼ばれた大魔導師が作り出しました」
静かな教室で、僕は言葉を紡ぐ。
「王都征服の際の、戦力拡大のためです。そして魔物により、王都に住む王族や兵士の多くは殺され、市民は脅しを受け重労働を課せられました」
「そうですね、魔物が作られた『理由』としては、その通り」
お婆様がそう言ったとき、授業の終わりを告げる鐘が鳴り響いた。
お婆様は周りを見渡し、
「では、レインが言えなかった魔物の『生態』について、全員論文を書いて提出すること。次の授業までです。そしてレインは、放課後私の部屋へ来なさい」
僕が反論の言葉を言おうと口を開いたときには、お婆様は「起立」と号令をかけていた。