目が覚めるような話
☆
物音に目が覚めて体を起こすと、薄暗い部屋には既に、カーテンの隙間から夕日が射していた。
額から何かがするりと落ちたのを感じ、手元を見る。
それは濡れた布。
そうだ、確かクロアが看病してくれて――
「……ん? クロア?」
違和感に気づき、誰もいない部屋で呟く。
いや、ここは『碧の都』の俺の実家じゃない、王都の男子寮だ。
あれ、おかしいな……クロアの声が聞こえていた気がしたんだけど。
まだぼーっとする頭で、宙を見つめながら考える。
すると、また大きく、窓を叩く音が聞こえた。
…………窓?
寝台から降りて、窓のカーテンを開ける。
「やっほーストロン」
窓の向こうで、ルリーが平然と手を振っていた。
「やっほー。あのさあ、ここ三階だよな」
「細かいことは気にしないの。入れて入れて」
どうやら目の前にある木をつたって、ここまで来たらしい。
その身体能力に感心しながら、窓を開けてルリーを部屋に入れる。
今日のルリーは、丈の短いズボンを履いて茶色のキャスケット帽をかぶり、腰までの長さの緑のマントを羽織っていた。
まるで冒険者のような格好だ。
ルリーは訝しげに俺を見て、
「あれ、あなたなんで寝間着なの?」
「え? うわっごめん」
ルリーの服装を気にしている場合ではなかった。
上下苺柄の寝間着に恥じながら、
「実はちょっと風邪ひいちゃって……今日は学校も休んでてさ……」
「えー大丈夫? 熱あるの?」
ルリーは心配そうに見上げる。
俺は大袈裟に笑って、
「大丈夫大丈夫、寝たらだいぶよくなったし。けどあんまり近づくなよ、うつるかもしれないからな……それより、ルリーはなんでここに?」
しかも窓から。
そう聞くと、ルリーは相変わらずの笑みを浮かべ、
「どうしてもすぐにストロンに教えたいことがあって。けど男子寮は女子禁制だから、普通に来ても入れてもらえないでしょ? だから部屋の場所を調べて窓から入ってきたの」
「マジで? すげーな」
そう言うとルリーは「でしょでしょ」と得意気に胸をそらした。
「それで、教えたいことって?」
ベッドに座ると、ルリーも隣に腰かける。
そこでふと、部屋が心なしか片付いていることに気がついた。
そうだ、医務室の先生が来て、看病のついでにきれいにしてくれたような……。
「ストロンは知ってる? ウェーデル侯爵家のモモって子。私たちと同級生で、黒髪の」
「ん? ああ、知ってる知ってる」
というか、昨日知ったんだけどな。
俺は、女の子の名前とかあんまり興味がなくてすぐ忘れちゃうから、タイミングの良い話題だ。
しかしその次の言葉は、まさに寝耳に水だった。
「その子ね、結婚するらしいの」
「…………んん?」
わけが分からなすぎて、思わず笑いが出る。
確かそのモモ嬢は今日、アルトとデートに出掛けていたはずで……。
なんだよアルト気早すぎかよ、俺が寝ている数時間に一体何があったっていうんだ。
ええ、友達の結婚祝いって、何あげたらいいんだろう……両親に手紙で聞かないと……あとそうだ、式のときの服、昨日のパーティで着ていったようなのでいいのか?
というか、あの『翠の都』を治めるウェーデル侯爵の娘と、『王の右腕』とも呼ばれる優秀な大臣の息子の結婚式なら、うちの家族も招待されるんじゃないか?
どうなんだろう、両親はともかく兄弟たちは招待されても……。
「お城でそう話してるの、探検中にこっそり聞いちゃったの」
俺が先走ってぐるぐる考えている間に、ルリーは楽しそうに付け加えた。
「へー、二人とも城にいるのか。……というかそれ、両親の了承はもうあったのか?」
やっと気分が落ち着いて、冷静になる。
そうだ、アルトはともかく、モモは侯爵家の娘、口約束だけでは結婚できない。
「ん……? ああ、そうね、ウェーデル侯爵は以前から『ぜひうちの娘を!』って推していたわ。ウザったいくらいに」
「なんだ、じゃあ別に付き合わなくたって、結婚できたんじゃん」
そういって笑うと、ルリーは驚いた顔をした。
「え、付き合ってる? 二人って付き合ってたの?」
「そうだよ、まあ知らないことも無理ないな。だってアルトが告白したのは昨日だから」
そう答えると、ルリーは不思議そうに首をかしげた。
「どうしてアルトが出てくるの? ていうか、アルトって誰だっけ?」
「……えっ?」
ルリーの言葉に、俺も眉を潜める。
そこで、どうも話が噛み合っていないことに気がついた。
「ルリー、さっきからモモと誰の結婚の話をしてるんだ?」
「そっちこそ何言ってるのよ。結婚の話と言えば、王子の縁談に決まっているじゃない」
「王子? 隣国の?」
おかしいなあ、アイルス王子は昨日酔っぱらったアルトを見て、俺と一緒に笑ってたはずだけど。
誠実な人みたいだし、裏切るようには見えない。
「ああ、ごめんなさい、その人も今この国にいたわね。けれど私が言ってるのは、私たちの国の王子よ」
「私たちの国の王子……?」
バカみたいに聞き返すと、ルリーはちょっと軽蔑の目で俺をみた。
「あなたほんとに風邪ひいてるのね。私たちの国の王子、一人しかいないでしょ?」
「…………えっ」
その言葉で、全て理解した。
と同時に、とても信じられなかった。
「シルクが……結婚?」
しかも、友達の恋人と?




