すれ違い
「ありがとう、シルク。わざわざ見舞いに来てくれて」
寝台に横になったまま話すストロンは、声が少しかれている。
ここは王立学校の寮、ストロンとアルトの部屋だ。
部屋には勉強机が二つと、クローゼットが一つ、そして今ストロンの寝ている、二段ベッドが一つ。
窓には白い薔薇が描かれた緑のカーテンがかかり、部屋を薄暗くしていた。
「大丈夫? まさかストロンが風邪をひくなんて思わなかったよ……雪が降るかも」
「それ、アルトにも言われたよ……。俺そんなに頭悪そうに見える?」
「うん」
「即答かよ~。も~、病人には優しくしろよなぁ……」
ストロンは寝返りをうち、僕に背を向けてしまった。
僕はベッドを一旦離れ、部屋をうろついているアルトの方を振り返る。
「そういえば、アルトも休んでたよね。風邪がうつったりしなかった?」
「は、はい、大丈夫です! ご心配ありがとうございます、王子」
アルトは微笑み、そしてまた真剣な顔で部屋をうろうろと無意味に歩き回る。
なんだか落ち着きがないな……どうしたんだろう。
「デートなんだって」
「え?」
背後で聞こえた、ストロンの言葉を聞き返すと、アルトもぴたりと動きを止めた。
ストロンはまた僕の方へ向き直り、何故だかニヤニヤしながら、
「昨日の晩さ、アルトと合流してパーティに戻ったんだ。まあ俺はあんまり乗り気じゃなかったんだけど……」
ストロンは咳払いしてから、言葉を続ける。
「そのとき、アルトが間違えてぶどう酒を飲んじゃってさ。もう完全に酔っぱらって、それだけでも見てて面白かったんだけど……勢いで、その場にいたモモに告白しちゃったんだよ」
「えっ、あの、王立学校でも指折りの美少女って言われる、モモ?」
モモは、翠の都の領主・ヴェーデル家の娘。
艶やかな黒髪を肩のところで切り揃えた、大きな緑の瞳がとても可愛いらしい女の子だ。
この前会話をしたときは、大人しめのほんわかした子、という印象だった。
「そーそー。んで、答えはオッケー」
「マジで?!」
ばっと後ろを振り返ると、アルトは既に両手で自分の顔を隠していた。
「うう、思い出しても恥ずかしい……笑って頷いてくれたモモさんの姿が忘れられません……!」
しかし心なしか、その声は嬉しさに満ちていた。
思い返せばずっと前、アルトは自分とモモが幼い頃から知り合いだと、会話の途中でちらっと話していた。
アルトの実家があるのは『翠の都』の近くだから、きっと親同士の話し合いか何かのときに会ったのだろう。
そのときから想っていたのなら、十年越しの片想いが成就したことになる。
……いや、もしかすると、最初から両想いだったのかもね。
「よかったねアルト! おめでとう!」
心からの祝福を送ると、アルトは一度顔をあげて目を見開いた後、わっと手にまた顔を埋めた。
「うう、ありがとうございますっ……! 王子に祝福して頂けるなんて、私……!」
ぽたぽたと、滴が床に落ちる音がした。
「わっ、アルト、泣かないで! これからデートなんでしょ? 泣き顔じゃ恥ずかしいよ?」
僕が慰めると、アルトははっとして、濡れた目を手の甲でごしごしこすった。
「すみません、感極まってしまって……! 顔洗ってきますっ!」
アルトは慌てたように、ドアを開けて部屋から出ていった。
どうやら、部屋の外の洗面所へ向かったみたいだ。
ドアがばたりと閉じられた後、部屋はまるで全ての音が消えてしまったように静まりかえった。
友達の恋が叶ったのはとても喜ばしいことだ、けど……。
(ふーん、そんな面白いことがあったんだ)
仲が良い友達だからこそ、その場に自分が居合わせることができなかったことに、むなしさみたいな、みじめさみたいな、言葉にできない感情がじんわりと広がった。
「ねぇ、ストロン……」
「……ん?」
寂しくなって、仰向けに寝ている彼の名を呼ぶ。
呼んだのは良いが、どうしよう、話す内容が思い浮かばない。
すると、彼から話しかけてきたのだった。
「なんだよ、落ち込んでるのか?」
どきりとして、ベッドの方を振り返る。
ストロンは微笑んでいた。
「お前はがんばりすぎなんだよ。たまには休みも必要だよ」
「ストロン……」
友達の優し過ぎる言葉に、胸をうたれる。
僕も、涙が出てきそうだった。
ストロンは、言葉を続けた。
「それとも、またマールに何かされたのか?」
「…………え?」
聞きなれない名前に、目を拭う動作を止めた。
けど……マールって、確か……。
「やっぱりそうなのか? ちゃんと俺が言っといてやるからさ……何かあったのなら――」
「ねえ、ストロン、僕を誰と勘違いしてるの?」
彼の顔を覗き込んで聞く。
ストロンはしばらく、その水色の瞳でぼんやりと僕の顔を見つめた。
そして瞬きをして、
「あれ、シルク……? クロアはどこ?」
クロア?
先程からどうも、言っていることがおかしい。
もしかしてと思い、彼の額に手を当てると、思っていたより熱かった。
「ストロン、熱があるよ。休まないと」
「そうか? うーん……」
後で、医務室の先生を呼びにいこう。
枕元にある、冷やしたタオルをストロンの額にのせる。
「あー……ありがとう、クロア」
「……どういたしまして」
微笑む彼に答えてから、布団を肩までかけなおす。
「へへ……休暇になったら、一緒にまた海へ行こうな」
「うん、そうだね。……『兄さん』」
『クロア』のつもりで言葉を返す。
ストロンの弟であるその少年は、彼のことをそう呼んでいたはずだった。
彼が眠りについたのを確認し、僕は静かに戸を開け、部屋の外へ出た。




