王子の朝
カーン、カーン、カーン。
朝を知らせる、教会の鐘の音。
「シルク王子、お目覚めの時間です」
女の声とともに、寝台のカーテンがシャッと勢いよく開らかれる。
瞬間、朝の強い光が飛び込んできて、僕は布団の中に潜った。
「シルク王子、起きてください、シルク王子」
「うーん、もうちょっと……」
「駄目です。起きてください、シルク王子」
侍女の声は冷ややかだ。
「うう、こんなおばさんやだ……ローズがいい……」
「私もどうせ起こすなら、あの勇ましい騎士団副長ような、素晴らしい筋肉を持つ好青年が良かったです」
「……メロ、ごめんってば。わかったよ、起きるよ……」
ため息をついて、布団をはいで上体を起こす。
窓の外には晴れやかな朝の青空が光り、部屋には紅茶のいい香りが漂っていた。
「おはようございます、シルク王子。相変わらずお寝ぼけが酷いようで」
そう挨拶をした彼女の名はメロ、僕のもう一人の侍女だ。
三十二歳(独身)、僕が生まれたときには既にこの王宮で働いていて、ずっと僕の世話をしてくれている。
低い位置で一つに結った黒い髪に、シワのないメイド服、そして黒縁の丸い眼鏡の姿は、今も昔も変わらない。
メロは、ピカピカに磨かれた金色の台から、白いティーセットを取り出した。
「目覚ましにどうぞ、お召し上がりください」
渡されたティーカップの中身は、透明感のある綺麗な赤色だった。
湯気とともに、苺のようないい匂いが、ふわりと鼻をかすめる。
「初めて見るお茶だ」
「フロスティーヌの木の実を使用したものです。隣国の王子がいらっしゃっているので、その付添人に分けてもらいました」
その言葉に、僕はカップを傾ける止めた。
『――あの勇者の孫と聞いていたからな。しかし、私の思い込みだったようだ』
言葉とともに思い出された、紫色の冷たい眼。
昨夜、彼は大広間の宴会に戻ったが、僕はそのまま自分の部屋に帰ってきた。
どうも、パーティに参加する気分にはなれなかったからだ。
それに地下室から戻ってきたとき、そこにアルトの姿はなかったのも堪えた。
(慰めてもらおうと思っていたのに……)
……いや、こういう考え方がいけないのかもしれない。
アルトが尊敬している僕の知識の多さだって、全部夢の中の少年のお陰だ。
僕らの大陸では、身分の高い人ほど、身を守る術を身に付けるのが常識となっている。
要するに、人を守れる力が強い人ほど、周りに信頼される……考えてみれば当たり前のことだ。
しかし僕は、王子なのに、勇者の孫なのに、強くない。
だからアイルス王子に失望された。
それなら……他の人にも、そのうち――。
「あまりお好きでない風味でしたか?」
メロの言葉に、はっと我にかえった。
彼女の緑の目は、少し心配そうに僕を見つめている。
「ううん。……良い香りだね」
適当にごまかし、茶を口にする。
瞬間、ベリーの香りが喉の奥まで広がり、心を落ち着かせた。
そうだね、落ち込んでてもしょうがない。
(学校にいけば、すぐにアルトやストロンに会えるさ)
「休み?!」
僕の声が、廊下に響いた。
「シルク、敬語を使いなさい。ここは学校です」
「す、すみません。アルトとストロンが休みって、本当ですか?」
「はい。嘘をついて何になるのです」
今日も相変わらず険しい表情をしている学園長である祖母は、素っ気なく答え、
「アンベリーは風邪をひいてしまったそうですね。ライトモンドはその責任で休むそうです……それはよくわかりませんが」
アンベリーはストロンの名字、ライトモンドはアルトの名字だ。
確か昨夜、アルトはストロンの上着を持ってたな……。
おそらく、そのせいで彼が風邪をひいてしまったと思って、アルトは責任を感じているのだろう。
あーあ、せっかく色々話そうと思っていたのに……残念だ。
「レイン、他の授業で連絡事項があった際は、彼らに伝えてください。 ……とは言っても、あまり大したものはないでしょうね。今日は午前中で授業が終わりますし、それに明日で今学期は終わりですし」
そうだ、明後日から春の休暇だ。
そのおかげで、少しうきうきした気分を取り戻した。
「わかりました。……それと先生、何で僕のことを名字で呼んでいるんですか? ここにはレインって名字の人が他にも何人かいるし、先生だって姓はレインなのに。ややこしいのでは?」
僕がついでにそう尋ねると、お婆様は不機嫌そうに眉を潜めた。
「けじめですよ。確かに他にも同じ姓の生徒がいるかもしれませんが、今ここには私と貴方しかいません。見てわかりませんか?」
いやそんくらいわかるわ。
お婆様のきびきびとした後ろ姿を見ていたら、ふと疑問が浮かんだ。
(なんでサリーおばあちゃんは、こんなに厳しくなったんだろう)
昔は『シルクちゃん』なんて呼んでくれて、誰よりも優しくしてくれてたのになあ。
ぼんやり考えていると、授業の始まりを知らせる予鈴が鳴ってしまったので、結局その答えは出せなかった。




