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日もそろそろ暮れるころ、若者は疲れた体を引きずるように歩きながら家路へとついていた。
「あーもうめんどくさ……」
家へと帰るのは家事が待っているサイン。
掃除洗濯食事に明日の学校の準備と勉強勉強勉強。覚えることが多い一年生の授業はこれから行うことの基盤であり、欠かせないものである。
それを重々知っている若者は、勉強だけしてぇなぁ、と一言。家族を懐かしむように愚痴を漏らした。
単身、医療職につきたいと願い上京してきた彼の道はおおよそ簡単なものではなかった。
親からは学校に入るのは反対される、実家を出るのは反対される、別の職を勧められる、自分の将来を全て否定された彼が出した答えは
「あ、俺進路決めたから」
実印を盗み出して書類を作り、奨学金を持って学校に入学する。誰に迷惑がかかる訳でもない、俺の人生は俺が決める。
猛勉強をした、面接があるからと先生と山程練習して必勝本も買った。スーツも貯めたお年玉をはたいて良いものを買った。
医療職。人の笑顔が見れて、みんなの役に立つことが出来て、安定している仕事。
ある日届いた紙には、合格。と書いてあった。ものすごく嬉しかった。跳び跳ねて喜び、友達みんなに言って自慢をしてしまうくらい嬉しかった。
なんだかんだ息子の進路か決まったなら喜んでくれるに違いない。
そう思って報告をすると、合格通知を見た親は悲しそうな顔をしてお金のことを聞いてきた。
全て説明して一人でやる、と言ったら顔を伏せながら母親が言った。
「そう、頑張ってね」
怒りとも悲しみともとれる。ない交ぜになった声が彼を励ました。
父親はなにも言わず、その日から話していない。
今まで笑顔でおかえり、と言ってくれていた家族も、その日を境に彼を見知らぬ同居人かのように扱った。
悲しくなかったと言えば嘘になる、家庭ががらりと変わったのだから。因果応報、自業自得、そんな言葉が浮かんでは消え、嬉しかったはずの合格通知が涙で黒くなってしまった。
「ま、自分で決めた事だしな」
あっけらかんとした態度は疲労した体とは裏腹にカラッとしたものだった。
まずは荷物を置いて食材の買い出しに行くか、夕飯のメニューを口笛を吹きながら考えていると、自宅の目の前で丸まった黒いものがあった。
「お、ね、猫か?」
物体の正体は猫だった。それもかなり小さい、生まれて何週間だと言いたくなるくらい小さかった。
「ニャーニャーニャー」
さっきまで鳴いていなかったのにこっち見たらいきなり鳴き出しやがった。これからやらなきゃいけないことたくさん残ってんのに。
無視を決め込み、玄関の鍵を開け知らんぷりしながらドアを閉める。
「ニャー、ニャー」
安っぽいアパートはドアを一枚隔てた子猫の声なのによく通るようだ。
若者も伊達に医療職を目指すくらいには心根の優しい人間、ため息をつきながら数少ない食器を取りだし、冷蔵庫から飲み掛けの牛乳の口を開けた。
「今回だけだかんなチクショー」
貧乏学生に少しの無駄遣いも許されない。 が、たまには良いことをしてもバチは当たらないだろう。
再度玄関を開けると、元気が無さそうにまだ子猫が鳴いていた。
「わかったわかった、ほらよ」
お碗に注がれたミルクを見ると、 待ってましたと言わんばかりに一心不乱にそれをなめだした。
「ゲンキンなやつだなぁ……」
別に良いけど、子猫の頭に小指を滑らせると、気持ち良さそうに喉を鳴らした。
久々になにかと触れ合い、心を暖めたのはいつぶりだろうな。若者の顔には、いつのまにか笑顔が浮かんでいた。




