第107話:琥珀の裏に残された文字
「カイト、そのお客さん……胸のポケットに挿してある万年筆、見覚えがないかしら?」
リザがカウンターの影から、そっと俺の耳元で囁いた。
碧眼を細め、冷静かつ鋭い観察眼を光らせるその姿は、かつて一国を束ねた王女としての威厳と、俺の相棒としての深い絆を感じさせる。
俺は青年の胸元に視線を向け、息をのんだ。
銀色のクリップに、小さな鴉の刻印——親父が肌身離さず持っていた特注の万年筆だ。
「……お兄さん、その万年筆は?」
俺が尋ねると、青年——ショウと名乗った彼は、愛おしそうに万年筆を見つめ、静かに語り始めた。
「十年前、病床にあった父に、この店のマスターが毎日のように珈琲を届けてくれたんです。父が亡くなる直前、マスターは『これは息子のカイトに渡すはずだったが、君が持っておいてくれ。いつか彼が本当のマスターになった時、返しに来てほしい』と……」
「主よ、待て」
シルヴィアが音もなくショウの背後に立ち、凛とした声音で静かに制した。
完治した右腕で愛刀の柄に手をかけつつも、その瞳には敵意ではなく、騎士としての深い洞察が宿っている。
「その万年筆……内側に仕込みが施されているな。我が眼は誤魔化せんぞ」
「ニャ!? 本当だニャ! 親父さんの匂いだけじゃなくて、古い紙とインクの匂いが混ざってるニャ!」
ミアが本物の猫耳をピンと立たせ、鼻をひくひくさせながらショウの手元に寄っていく。
無邪気な動きの中にも、長年鍛え上げられた野生の直感が光っていた。
ショウは驚いたように万年筆の軸を緩めた。
中から現れたのは、小さく折りたたまれた、琥珀色に染まった一枚の羊皮紙。
「……なるほどね」
阿良多がノートPCの画面から目を離し、眼鏡の奥の瞳を輝かせた。
「地下5階のシステムが正常化したことで、暗号化されていた親父さんのアナログな仕掛けが解除されたんだ。デジタルとアナログの二重ロック……親父さん、本当に喰えない人だな」
千影が灰色の瞳を細め、冷たくも温かい笑みを浮かべた。
「僕の計算(kitaichi)でも、この万年筆が戻ってくる確率は極めて低かった。……けど、親父さんは『人の縁』っていう不確定要素を、最初から計算に入れていたんだね」
羊皮紙を広げると、そこには親父の筆跡でこう記されていた。
『カイトへ。
この手紙を読んでいるということは、お前は仲間に恵まれ、地下のシステムを害のない日常へと変えてくれたのだろう。
だが、覚えておけ。
商店街の地下深く、もう一つの扉の鍵は——お前が今履いているそのエプロンの、右ポケットの裏地に縫い込んである。
そこにあるのは兵器でも宝でもない。
お前と、お前の母親との……約束の品だ』
「お袋との……約束……?」
俺は絶句した。
幼い頃に病で逝ったはずのお袋。だが、親父の遺言は、お袋がこの商店街の「本当の成り立ち」に深く関わっていたことを示していた。
「カイト……」
リザがそっと俺の手の上に、自分の手を重ねてくれた。温かい体温が伝わってくる。
「どんな過去があっても、私たちが一緒にいるわ。行きましょう、新しい扉へ」
「そうニャ! カイトの家族の秘密なら、アタシたちも一緒に確かめるニャ!」
ミアが拳を突き出し、シルヴィアが力強く首肯する。
目の前の小さな日常を守り切ったはずの喫茶『夜鴉』。
だが、親父とお袋がこの場所にかけた本当の想いは、今まさに、静かにその解禁の時を迎えようとしていた。




