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「痛っ、こりゃあ明日は筋肉痛だなあ」


 薪を割り終えるころには全身が悲鳴を上げていた。今更だが僕はもう少し鍛える必要があるようだ。

 こんな貧弱な体では自分の身を守ることができない。


「おーい、ご飯できたわよー」

「今行きます!」


 水を浴びて汗や汚れを落とした後、カヤさんが作ってくれた悟飯を頂いた。

 誰かと晩御飯を食べるなんて数年ぶりだ。思わず涙を流してしまった。


「ありゃ?私の料理そんなに美味しかった?」

「――すみません、食事中に。 でも本当に美味しいです」


 今日は人生で一番最悪な一日だと思ったと同時、人生で一番幸せな日だとも感じた。

 薪割は初めての体験でいい汗をかいた気がする。晩御飯も食器洗いもこれまで数えきれないくらい体験したが、今日は格別だった。


「いやー悪いわねえ食器洗いまで任せちゃって」

「大丈夫ですよ、むしろこちらこそありがとうございます。一晩泊めていただける上にご飯までごちそうになって...」

「いいのいいの気にしないで。一人で暇だったし、誰かとご飯を食べるのも数年ぶりで楽しかったわ。どう?記憶は戻ってきた感じ?」


 正直全く戻ってない、むしろ悪化している。

 つい数時間前まで鮮明に覚えていた父や母、恩師の顔が思い出せなくなった。母親の顔を忘れることができたのはうれしいことだが、父の顔を忘れてしまうのは残念だ。


「その顔、あんまし良くない状況ね」

「...すみません、でも明日の朝には出て行くので心配なさらず」


 次の茶碗を洗おうとした時、後ろから大きなため息が聞こえた。


「あーた何もわかっちゃいないわね」

「え?」

「『え?』っじゃないわよ。記憶喪失の人間を見捨てる程私も鬼じゃないって言ってるのよ。どうせ行く当ても無いんだからもう少し居てもいいわよ」


 その言葉を生まれて初めて心から安堵した。

 あの家から逃げ出して施設へ駆け込んだあの日、大学に合格して一人暮らしが決まったあの日、どれも安堵したのは間違いなかった。


 でも今回は違う。「張り付いた嫌悪感」と関係なく優しくしてもらえた。

 帰りたいという気持ちが全くないわけではない。だがこの時代で生きていた方が、あの忌々しい過去と決別できる。今度こそ幸せになれるのではないのか?


「...幸せだなあ」

「食器洗いが幸せ?」

「うん、幸せだよ」


 食器を洗い終えると就寝の時間だ。一晩中カヤさんからこの時代のことを語ってもらった。

 自慢の長髪を櫛で梳かす彼女の姿を横目に耳を傾けた。


「藤原氏?」

「この国の実質的な最高権力者で、帝さえ手中に収める一族。彼らに逆らえば一族全員消されても不思議じゃあないわ」

「その藤原氏と僕に一体何の関係があるというんですか?」


 彼女は手を止めて櫛を戸棚にしまうと、高級品である紙と墨を取り出した。

 就寝時は決まって白い服を着るため、墨で汚さぬよう上からボロボロの上着を羽織った。


「どうせ使う機会が無かったから丁度いいわ。君が来た時にも伝えたけど普通の人間は苗字なんて持たない。だから君はこの世じゃ珍しい側の人間なのよ」


 彼女は弁図を描いて普通の人間とそうで無い人間を描き別けた。

 

「でも残ってる記憶から考えると、僕がいた時代の人はみんな苗字を持っていたよ」

「だとしても『葛城』は珍しい部類なんじゃない?きっとこの時代でも殆どいないと思う。そんな珍しい名前が未来に残っているくらいだから、貴方は貴族か何かの子孫なのよ」


 彼女の言う通り、葛城という苗字はこれまで親族以外に被ったことが無い。それくらい珍しい苗字なのだろう。

 でも珍しいというだけで貴族の子孫だと考えるのは正直安直な気もする。


「...僕が貴族の末裔かあ」

「きっとそうよ。あなた多少は頭が良さそうだし、体が貧弱なところも貴族ソックリよ」


 予想外の精神的な重い一撃を食らった。自分の中にある男を否定されることがここまでダメージを受けるものだとは知らなかった。


「あなた夕飯の時もそうだけど悟飯ちっとも食べないじゃない。」

「そ、それは遠慮してて...」

「嘘おっしゃい、バレバレよ。折角背丈が高いのだからしっかり鍛えなさい。なんなら私が稽古してあげようか?お手伝いと引き換えに」


 腕を組んで目を閉じて考えた。行く当てがないとはいえ帰りたい気持ちは変わらない。

 「幸せ」の定義を知らない僕だが、その幸せがこの世界に存在すると何故か予感した。

 僕は彼女に「お願いします」と返答した。


 次の日の朝から稽古が始まった。日が昇りかける時には既に起床し、家の周りを何度もランニング。それが終われば薪割に洗濯。朝食を済ませて畑仕事に移る。これで半日が終了するため、午前は手伝い&基礎体力を身に付けることが大半だ。


「いい?矢を打つときに大切なのは姿勢よ。しっかりと足を開いてから右手を弦にかけるの、やってみて」

「足を開いて右手を弦に...」


 武芸らしいことで初めに教えてもらったことは弓の扱い方だ。戦に参加せずとも、狩猟生活を行う彼女にとって弓は商売道具だ。

 弓を構えると彼女の顔は一瞬で凛々しいものへと変化する。まさに狩人、命を頂くということはそれくらい真剣にならざるを得ないのだろう。


「意外と軸はしっかりしているのね。でもまだまだってところね」

「あのカヤさん、稽古をつけてもらえるのはありがたいのですが... そのぉ....」

「どうせこの前みせたアレをやってみたいのでしょう?」


 どうやらとっくに彼女に見透かされていたようだ。

 しかしあのような摩訶不思議な技を見せられたら「自分もやりたい!」となるのが男の性だろう。


「君はあの時見せた技、『守り』それとも『攻め』どっちだと思う?」


 ――思い出せ、あの時彼女は俺の動きを完全にコントロールしていた。


「守りですか?」


 僕がそう答えると彼女は体を構えだした。人差し指をクイっと曲げ、矢を此方に放つように挑発した。

 でも万が一矢が当たれば死んでもおかしくない致命傷を負うことになる。それとも、その可能性さえも跳ねのける自負があるのだろうか。

 僕は恐る恐る矢を放った。


「...!! これは!!」


 彼女と矢の距離は1メートルくらいだろうか。射たばかりの矢が空中で浮遊したままなのが視認できる。


「今のは『力』で矢を包み込んだの。つまり矢が持つ動力を完全に支配した、この前あなたにやったことと同じよ。このままその力を君に向けることだって可能よ」

「それじゃあ答えって...」

「正解は『両方』、攻めでも守りでも使い分けが可能ってわけ。意地悪な問題だしてゴメンね」


 宙に浮かぶ矢を目にして一層、自分もこの力が欲しいと実感した。

 子どもが戦隊ものに憧れるのはこれに近い感じなのだろうか。

 僕は万が一と思い、背後の岩壁に向かって構えた。


「絶対無理よ、諦めなさい」

「あんなの見せられたら男なら憧れるもんさ」


 たとえ変な人だと思われても構わない。そう思いながら僕は常人ならドン引きするであろう行動をとった。両手をブンブンと振り回したり、前に突き出したり。地面に向かってパンチもしたりした。


「...男の子ってみんなこんな感じなのかしら、見ていてちょっと面白いわ」


 当然だが何も起こらない。ただただ奇妙な行動をしていただけで、時間が過ぎていた。


「ま、そう上手くはいかないよねー」


 最後に野球のピッチャーの様に思いっきりボールを投げる動作をとった。

 腕を振り下ろした瞬間、けたたましい程の衝撃音が鳴り響いた。


「...!!!??」

「イッ!!?」


 砂煙が消え去るとそこには、直径30センチ程のくぼみが岩壁にできていた。

 自分でも何が起こったのかは全く理解できなかったが、とんでもなく凄いことを成したことは理解できた。その瞬間驚きのあまり、思わずその場に立ち尽くしてしまった。


 ――その日の晩悟飯の時、カヤさんはずっと頭を抱えていた。


「まさか数時間で発現するとは.... 仕事量が減ると思っていたのに....」

「ちゃ、ちゃんと手伝いますから、明日も稽古お願いします、はは....」


 僕もまさか半日で力が発現するとは全くの予想外だった。最低でも1年位要するのではと予想していたが、良い意味で期待が外れた。

 だが最低限生きていく力が身についたとなれば、ここから出て行かなければならない。行く当てがないとはいえ、この力があれば道中何も問題ないだろう。


「....師匠的な立場でやっていこうとしていた私の計画が ...ブツブツ」

「で、でもまだ完璧に制御できているって訳でもないですし、ね?」

「ね? じゃないわよ。ぽっと出の若いもんに出し抜かれる私の気持ちを考えろー」


 彼女の立場からしたら面白くないのは当然かもしれない。だが自分でも何故あの瞬間、突然力に目覚めたのか未だにわからない。なにか条件でもあるのだろうか。

 それに平安の世でこの力が存在するなら、どうして未来の僕が生きていた時代に無かったのだろか。

本当は無くなったのではなく、存在はしていたが人目につかずにいただけだというのか。


 それとも僕が忘れていただけなのか、今となってはわからない。

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