第12章「勇者一行とドラゴンの卵」
花畑での死闘の余韻。残されたのは静けさと――二つの卵。そのうち一つは割れ、もう一つはまだ温もりを残していた。リオの無邪気さと、仲間たちの胃痛が少しだけ深まる章です。
花畑に立ちこめていた煙が、風に押されて薄くなっていく。さっきまで空を焼いていた炎は消え、色とりどりの花が再び頭をもたげて、ひらひらと花びらを落としていた。
リオは太陽の聖剣を握りしめたまま、はあ、と長く息を吐く。心臓はまだ早鐘を打ち続けている。横ではタクミが膝に手をつき、ソウタは額の汗を拭い、カレンは杖を支えに呼吸を整えていた。
「……終わったのか?」
「終わった、はず……よね?」
互いに顔を見合わせ、三人は一斉にリオを見る。
リオはにこっと笑って親指を立てた。「みんな、生きてる。やった!」
「いや、さっきのはどう考えても……」タクミが言いかけ、カレンを見る。
「わ、私の魔法が……たぶん、当たったのよ。たぶん」
「“たぶん”なのか?」ソウタが眉を寄せたが、誰も突っ込まない。“結果的に助かった”という事実が、細かな疑問を押し流していた。
足元を彩る花々を踏まないよう気をつけながら、四人は慎重に奥へ進む。ドラゴンが倒れていた先に、半ば押し潰された茂みがある。そこだけ花の色が失われ、土が見えていた。
「……見ろ」
ソウタが指差した先に、丸い影が二つ。大人の胴回りほどもある卵が寄り添うように並んでいた。片方は大きな亀裂が走り、中は空っぽだ。もう片方は殻が無傷で、表面にうっすらと白い曇りが見える。
タクミが近づき、そっと手をかざす。「温けぇ……」
「これって、さっきのドラゴンの卵じゃない?」カレンが息を呑む。
「たぶんな……」ソウタは周囲を見渡し、警戒を解かない。「片方は孵った、もう片方は残った。そういうことだ」
「これ、どうする?」
タクミの問いに、三人の視線が自然と一点に集まる。
「持ってけばいいんじゃない?」
期待どおりの答えを口にしたのはリオだった。
「はぁっ!? 持ってってどうするのよ!」カレンが素っ頓狂な声を上げる。
「生まれたら育てる!」
「誰が?」
「俺が!」胸を張る。
「……何言ってんだお前は」タクミが額を押さえる。
だがリオは引かない。「だってさ、育って大きくなったら、背中に乗れるじゃん! 空飛んでさ、魔物を上からバシーンってやっつけて、ドラゴンからカッコよく飛び降りたりして!」
脳裏に浮かんだらしい光景に、リオの目がきらきらと輝く。
タクミの目が泳いだ。「……いいかも」
「タクミ!」カレンとソウタの声が重なる。
「ま、まぁ命は大切にしないとな! うん、無茶はよくない!」タクミは慌てて咳払いした。
二人は同時にため息をつき、小声で揃った。「タクミもチョロい……」
「でも、置いていくのも……」リオは無傷の卵をそっと撫でる。「このままじゃ、きっと冷えちゃう」
ソウタは少し考えてから頷いた。「運ぶ手段さえ整えられれば、危険は少し減らせる。次の街で道具を揃える前提なら……反対はしない」
「私も、ちゃんと準備するなら……ね」カレンは不承不承うなずく。
「よし! じゃあ運ぼう!」リオは嬉しそうに声をあげ、四人は手分けして樹の枝と草を集め、簡易の担架を作った。卵を傷つけないよう、花畑の花びらを一面に敷いた上にそっと乗せる。
――花畑を抜ける時、リオは案山子の方へしばし目をやった。
傾いた案山子は、リオが差した木の枝によってかろうじて立っている。代わりに手にした太陽の聖剣は、陽を吸い込むように静かに輝いていた。
「ありがとな」リオは小さく囁き、みんなのもとへ駆け戻った。
◇
花畑から街道へ出ると、遠くに港を抱える街並みが見えた。昼に出た港町とは別の、小ぶりな港がある町だ。夕陽が傾きかけ、瓦屋根の家々が橙色に染まっている。
「まずは宿だな」タクミが担架の前方を担ぎながら言う。
「その前に道具屋。卵を保護するものが必要だ」ソウタは冷静だ。
四人は港の門をくぐり、まだ開いている店を駆け足で回った。
「すみませーん、卵が入るくらい大きいリュックありますか!」
店主の目が丸くなる。「卵? 鳥かね?」
「えっと、まぁ、鳥みたいな……」カレンが苦笑いでごまかす。
奥から出てきたのは、頑丈な革製の大容量リュックだった。内側は布地で柔らかく、巾着仕立てで口がきゅっと絞れる。
「これなら……入る?」
試しに巾着の口を広げ、草と花びらを敷き詰め、宿で買ったふかふかのタオルをぐるぐる巻きにして、卵を恐る恐る納める。ぴたりと収まった瞬間、四人は息を吐いた。
「問題は誰が背負うかだな」タクミが腕を組む。
間髪入れず、リオが手を挙げた。「タクミ!」
「なんでだよ!」
「炎の聖大剣って温かいだろ? 大剣の近くに卵があれば、ずっとポカポカで、いい感じに温まるはず!」
「そんな“いい感じ”みたいな理屈あるか!」ソウタが即座に突っ込む。
「でも、ほら、タクミの腰のあたり、ほんのりあったかいじゃん。歩いてて分かった!」
「それは……鍛冶屋で火の前に長時間いたから体質が……いや関係ないだろ!」
「孵化には温もりが大事だって聞いたことあるし!」
「どこ情報だよ!」
「“リオ理論”」
「理論ですらない!」三人同時の総ツッコミに、店主がカウンターの奥で肩を震わせて笑いを堪えている。
押し切られる形で、結局タクミが背負うことになった。
「ったく……落としたら俺のせいになるやつじゃねぇか」
「大丈夫大丈夫! タクミなら平気!」リオは親指を立てる。
巾着の口を閉め、リュックの上部にさらにタオルを詰め、揺れを最小限に抑える。ベルトを調整し、タクミの背に収めると、彼は慎重に身体を左右にひねった。
「……重量はそこそこだが、背負えないほどじゃない。振動を減らせば問題ない」
「よし、じゃあ名前つけよう!」リオが急に言った。
「もう可愛がる前提!?」カレンが目をむく。
「いや、まだ産まれてないからやめとけ」ソウタが制した。「情が移る」
買い物を終え、宿へ向かう途中、夕餉の匂いが漂ってきた。湯気の立つシチューの香り、焼いた魚の香ばしさ、焼きたてパンの匂い。リオの腹が正直に鳴る。
「そうだ!」とリオ。「次の街にレストランがあったら、夕飯は肉にしようって言ってたよな!」
「言ってねぇ」タクミが即答。
「言ってた!」
「言ってない」
「言ってた! タクミが! 『元気出せよ、俺の肉やるから!』って!」
「あれは昼の話だ! しかも俺の皿の肉の一切れだ!」
口喧嘩を始める二人を横目に、カレンとソウタは顔を見合わせ、またそろってため息をついた。
宿は運よく一部屋空いており、四人部屋に通された。床は磨かれた木で、窓からは港の灯りが瞬いて見える。
「卵は……」
「ここだな」
窓際ではなく、部屋の中央寄り、床の揺れが少なく、温度変化の小さそうな場所を選ぶ。布団を二枚重ねて柔らかい台座を作り、その上にリュックをそっと置く。口を開け、卵をタオルごと取り出すと、ほんのりと温い。
リオは床に座り込み、両膝に乗せて両手で包み込んだ。
「……ちょっと抱いてていい?」
「落とすなよ」タクミが険しい目になる。
「落とさないって!」
リオは卵に頬を寄せて、声を潜めた。「大きくなったら、一番に背中に乗せろよな。約束だぞ」
「別に乗りたくないし……」タクミがぼそっと漏らす。
「えーなんで? ドラゴンに乗りながら魔物を倒したり、ドラゴンからかっこよく飛び降りたりできるんだぞ? こう、バーンって!」
タクミは一瞬、天井の一点を見つめた。脳内で、赤いマントを翻して空から舞い降りる自分が、炎の聖大剣を振り下ろしている。
「……いいかも!」
「ほら!」リオが身を乗り出す。
「ま、まぁ命は大切にしないとな! 無謀はよくない!」慌てて取り繕うタクミ。
カレンとソウタは、また同時にため息をついた。「タクミもチョロい……」
その夜は、交代で見張りを立てることにした。卵の温度が下がり過ぎないよう、部屋の隅の暖炉に小さく火を入れる。窓は隙間風を防ぐ程度に閉め、湿気が籠らないように少しだけ開ける。
「理想的な温度、湿度……ってどのくらいだ?」ソウタが真面目な顔をする。
「“ぽかぽかでふかふか”くらい!」リオが自信満々に答える。
「単位で言え」
「“リオ単位”」
「却下だ」
最初の当番はタクミ。背で運んできた責任感もあるのだろう、彼は椅子に腰掛け、炎の揺らぎを見守りながら卵をちらちら気にしている。
寝床に入ったリオは、目を閉じながらも卵から目を離さない。瞼の裏側には、昼間の花畑と、案山子と、まばゆい聖剣の光が交互に浮かんで消えた。
――話してみないと分からないもん。
ずっと昔、森の中で呟いた言葉。本人さえ忘れているその一言が、今もどこかで誰かの胸に残っていることは、もちろんリオは知らない。
◇
同じ頃、アストラル城――。
水晶の前に魔王ゼファルド、その背後にヴァルター、ユリア、グレン、そして扉の向こうから賄い婦のオルガの声がほんのりと聞こえる。
「魔王様、先ほどの件については重々――」
「分かってる分かってる。うん、怒ってるのは分かる」ゼファルドは頷きながら、水晶の中の四人を見ていた。宿の薄明かりの中、抱えられた卵が丸く光を返す。
「なぜ助力を? あのままなら勇者は後退を――」ヴァルターは言葉を選ぶように眉根を寄せた。
「……なんとなく、かな」
「“なんとなく”で世界の均衡をいじらないでください!」ユリアが小声で詰め寄る。
「だが、卵を持ち帰るのは問題だ。戦力に化ける可能性がある」グレンが静かに言う。
ゼファルドはふっと笑った。
「大丈夫だよ。あの子たちは、最終的には正しい場所へ連れていく」
「根拠は?」
「勘」
「勘!?」三人が揃ってツッコむ。
ゼファルドは少しだけ目を細めた。「それに、あの子――リオ。どこかで会った気がしてね」
「魔王様?」
「いや、なんでもない。……あ、オルガさんに、明日の朝は消化にいいスープをお願いしよう。遠出の前は、胃に優しいほうがいい」
「魔王様? 話、聞いてます?」
「聞いてる聞いてる」
◇
翌朝。港町の空は高く、海鳥が白い弧を描いていた。日差しは柔らかく、風は潮の匂いを運ぶ。
宿の食堂で簡単な朝食を済ませると、四人は昨日買ったリュックに卵を収め直した。タクミが再び背負い紐を締める。
「重さは?」ソウタが確認する。
「いける」タクミは短く答え、肩に力を入れた。
「じゃ、行こうか!」リオは太陽の聖剣の柄を軽く叩き、笑う。「今日もレベル上げ、そして美味しいものに出会えますように!」
「食い気とやる気のバランスが独特なんだよな、お前」タクミが苦笑する。
「次の街にレストランがあったら、夕飯は肉にしよう!」
「そこは否定しない。昨日の“エビ!”の勢いは凄かったからな」
カレンとソウタも、思わず笑ってしまう。胃の痛みは、少しだけ和らいでいた。
港の外れで、リオはもう一度リュックの口を覗き込む。
「元気に生まれてこいよ。背中、空けて待ってるからな」
卵は当然何も答えない。ただ、朝の光を受けて丸い殻がほのかに白く光った。
四人は歩き出す。街道の先に、小さな丘が連なり、その先に新しい街の屋根がかすかに見えていた。
彼らの背中に、潮風と、どこか甘い花の匂いが重なる。昨日の花畑の残り香だろうか。リオは振り返らない。ただまっすぐ、前を見ていた。
卵を巡るドタバタと、リオ理論に振り回される三人。そして密かに見守る魔王。小さな“命”が、皆の距離を少しずつ近づけていく予感を残して、次章へ。次はいよいよ――結界、そして番犬バロンとの出会いです。




