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プロローグ


挿絵(By みてみん)





世界には、必ず「均衡」を守る仕組みが存在する。

人の世が栄えれば、闇の眷属もまた隆盛し。

聖女が祈りを捧げれば、必ず魔王が憤怒を吠える。


この世界 《アルヴェリア》において、その均衡は「神の選民」によって保たれてきた。

勇者は現れ、魔王と相対する。

たとえ勇者が討たれようとも、次代の勇者が再び生まれ落ちる。

魔王もまた同じ。滅ぼされれば、より強き魂が魔族より進化し、次代を継ぐ。


――勇者と魔王。

それは世界に刻まれた因果律。

繰り返し、繰り返し。


しかし、今代の勇者と魔王は――ほんの少し、相性が悪すぎた。


片や「時空を裂く魔王」。

片や「次元を操る勇者」。


二人の魔法が衝突した瞬間、世界は悲鳴を上げ、時空は捻じ曲がり、均衡そのものが崩壊した。

余波は次元の壁をも越え、遠く遠く離れた異世界にまで及ぶ。


――地球という小さな星の、日本という国。

――そして、とある一人の主婦のもとへ。



**************************************




「ふぅ……洗濯物、第二ラウンド突入〜」


ベランダに干したタオルが、風に揺れて小さな波をつくる。時透沙苗、三十三歳。結婚して十年目の、どこにでもいる主婦である。夫は優しいが給料はほどほど。生活は派手ではないけれど、困窮しているわけでもない。言うなれば、波風のない穏やかな日々。


けれど――。


「……私、最近しゃべる相手が洗濯機と冷蔵庫ばっかじゃない?」


口をついて出た独り言に、思わず苦笑。別に不満があるわけじゃない。夫とは仲も良いし、家庭を支えることにやりがいがないわけでもない。だけど、気がつけば一日が「掃除」「洗濯」「買い物」「料理」で終わっていく。時々、自分が“人間”というより“家事をする機械”なんじゃないかと錯覚することもあるのだ。


洗濯カゴを片付け、ソファに腰を下ろす。スマホを手に取ると、無意識のうちにSNSを開いていた。流れてくるのは、誰かのランチや旅行の写真、そして広告。


――その広告が、沙苗の目を奪った。


【異世界で祈りを! 世界を救え! 新作ファンタジーRPGエルディア・サンクタム


画面いっぱいに広がる魔法陣、天空を翔ける竜、祈りを捧げる白衣の聖女。煌びやかな映像に、心臓がドクンと跳ねる。


「おぉ……懐かしいこの感じ……!」


胸の奥に眠っていた感覚がむくりと顔を出す。そう、沙苗はかつてゲームが大好きだった。学生時代はRPGを徹夜でクリアし、そのままテストで爆死する常習犯。だが結婚してからはゲームを封印。夫に「ゲームより寝なさい」とたしなめられたこともあり、自然と距離を置いていたのだ。


それが今、このタイミングで――。


「……ちょっとくらい、いいよね? 家事も一段落したし」


誰にともなく言い訳しながら、沙苗はダウンロードボタンをタップしていた。



インストール完了。

アプリを立ち上げると、幻想的な音楽が流れ、画面いっぱいに大陸地図が表示される。


――《アルヴェリア大陸》。神々に見捨てられた聖地。選ばれし者よ、祈りの力で世界を救え。


「うわぁ……昔こういうの、めっちゃやってたなぁ」


どこか懐かしい気持ちで、沙苗は「ゲーム開始」をタップする。


まずはキャラクターメイク。性別、外見、職業を選ぶらしい。

画面に並ぶジョブは「戦士」「魔導士」「僧侶」「盗賊」「弓使い」など王道のラインナップ。


「ん〜……戦士はごつすぎるし、魔導士はちょっと厨二すぎるかな。盗賊は地味だし……僧侶! 僧侶がいいな。癒し系。ほら私、現実でも家庭の回復役だし?」


満足げに僧侶を選択。続いて「ステータスポイントの割り振り」画面が現れる。


――配分できるポイント:30。


「えっと……STR? MAG? INT? どれが魔力だったっけ?」


久しぶりのゲームで、用語がすっかり頭から抜け落ちている。

しかし「STR」という響きに、沙苗はピンときた。


「STR……INT……MAG……? どれが魔力だっけ?」

 

記憶を手繰る。昔は分かっていたはずなのに、十年のブランクは大きい。だが「STR」という文字列が目に入った瞬間、直感が働いた。


「ストレングス……? ストラテジー? いやストレス? うん、魔力っぽい!」


勢いでポチポチポチッ。


結果――筋力99、その他1。


極端すぎる配分だが、本人は魔力だと思っているので得意げである。


「ふふっ、私のサナちゃん(※キャラ名)は魔力最強僧侶よ! どんな敵も癒しと回復で無敵だわ!」


鼻歌まじりで名前欄に「サナ」と入力。決定ボタンを押す。



――その瞬間。


世界が白光に包まれた。


「え、えっ!? スマホ壊れた!?」


視界が一面の白に塗りつぶされ、身体がふわりと宙に浮いたような感覚。落ちるのでもなく、登るのでもなく、ただ無重力の中に投げ出されたような――。


耳を塞ぐような轟音と、心臓を直接掴まれるような振動。思わず悲鳴をあげようとするが、声は出ない。


やがて光が収まると――。


「…………え?」


目に飛び込んできたのは、見渡す限りの大草原だった。


背丈を越える草花が風に揺れ、甘い香りを運んでくる。空はどこまでも青く澄み渡り、雲の切れ間から光が滝のように降り注ぐ。その奥には、空に浮かぶ巨大な島が悠然と漂っていた。翼を持つ影が空を横切り、竜のような咆哮が遠くで響く。


「……は? ここどこ? え、私いつの間に観光地に?」


頬をつねる。痛い。夢ではない。

スマホを探して慌ててポケットをまさぐるが、何も入っていない。


 

そのとき。


空気が震えた。耳の奥で小さな鈴のような音が連なり、目の前の空中に光の粒が集まりはじめる。まるで蛍が百匹単位で一斉に押し寄せてきたかのように、白や金のきらめきが渦を巻いた。


「……ちょ、なに? なにこれ? え? え?」


沙苗は思わず後ずさる。背中が草にぶつかり、ざわりと音がした。呼吸が荒くなる。こんな現象、ニュースでも映画でも見たことがない。


光はひとつの形をつくり、やがて――。


「ご挨拶いたしますっ!」


パッと爆ぜるように輝き、小さな人影が現れた。


身の丈はせいぜい二十センチほど。薄い硝子のような羽を震わせ、宙に浮かんでいる。大きな瞳がこちらを覗き込み、ニコッと柔らかい笑顔を浮かべた。


「……は? え? なに、え、え、妖精? ぬいぐるみ? ドローン? なにこれ、誰かのドッキリ!?」


完全に混乱。沙苗は必死に周囲を見渡すが、カメラもスタッフも隠れた芸人もいない。ただ無限に広がる草原だけ。


「私はサナ様専属のガイド、ルミナです!」


高い声が響く。言葉ははっきりと日本語に聞こえた。異常だ。異常すぎる。どうして言葉が通じてるの? いやそれ以前に、なんで空飛ぶ生き物が喋ってるの?


「さ、サナ様? ちょっと待って待って! 私、サナエ、時透沙苗っていう普通の――」


「いえ! ここは《アルヴェリア大陸》! サナ様は神に選ばれし救世の僧侶なのですっ!」


「……救世……? 僧侶……? なにそれ、宗教の勧誘!?」


声が裏返る。頭が追いつかない。異世界? 僧侶? 救世? どれひとつとして現実に足が着いていない。


だが目の前の妖精――ルミナと名乗った存在は真剣な眼差しで頷いた。


「まずはご安心ください、サナ様! ここは危険な魔獣もいますが、いまは安全地帯です!」


「いやいや安心できるかぁぁぁっ! ここどこ!? なんで空がこんなに青くて島浮いてるの!? 家は!? 私の洗濯物は!? 夕飯の下ごしらえは!? 旦那帰ってきちゃうんですけど!?」


喉がからからになるほど叫び散らす。だがルミナは羽をぱたぱた揺らしながら、必死に説明を続けようとする。


「落ち着いてください! ええと……つまり、サナ様は“召喚”されたのです。この《アルヴェリア大陸》を救うために!」


「救うってなに!? 私いままでスーパーのタイムセールくらいしか救ったことないけど!? むしろ鶏肉の奪い合いで敗北したことのほうが多いけど!?」


「そ、それでも! 神は確かにお選びになったのです。サナ様は“僧侶”として祈りの力で人々を導く存在で――」


「僧侶!? 待って待って! 私ゲームでちょっと触っただけ! 祈りとか信仰心とかゼロだからね!? ていうか私、さっきまでリビングでスマホ持ってただけなんですが!?」


「……そ、それが……」


ルミナの表情が一瞬、曇った。まるで言いにくい秘密を抱えているような顔。


「な、なによ……今度は何? 家事ポイントが足りないとか言うんじゃないでしょうね……?」


「サナ様……祈りの力がまったく使えません」


「…………は?」


「いえ、その……僧侶として必要な“祈りの力”がゼロなんです。なぜなら――筋力に全振りされてますから」


ぽかんと口を開ける沙苗。しばし時が止まる。


吹き抜ける風が草を揺らし、そのざわめきだけがやけに耳に残った。


そして、ようやく現実が胸に突き刺さる。


「――なぁぁぁぁぁにやってんの私ぃぃぃぃぃッ!?」


大草原に、三十三歳主婦の絶叫が響き渡った。


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