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第1話 今日も飛び降りたのは、去年殺されたクラスメイト。

 いつもの授業風景。英語教師が鼻につく発音で英文を読み上げている。

 似鳥にとり日菜子ひなこは廊下側の一番端の席から筆記体で埋め尽くされた黒板を見つめていた。ちょうど視界に入るよう位置されている時計の時刻を確認して、日菜子は奥歯をかみしめる。


 秒針が規則正しくカチ、カチ、と時を刻んでいる。日菜子は瞬きせずその動きを執拗に追いかけていた。

 ご、よん、さん、にぃ、いち……。

 その針が十二を刺した瞬間、手の中に握られていたシャーペンの芯がぱきん、と折れた。それとほぼ同時刻、女子生徒らの引き裂くような悲鳴が上がる。

 日菜子は視界を横切るようにしてこの教室の外を落ちていった黒い影を見て見ぬふりした。


 やっぱり今日も落ちた。

 窓ガラスにぶつかった馬鹿な烏でもなければ、この女子校に飛んできたロマンチックな紙飛行機でもない。



 それは去年、通り魔に殺された日菜子のクラスメイト──花巻はなまきゆりの体だ。



「今日も落ちたわ!」

「もういや! 勘弁してっ」

「け、警察を呼んで──」

「ばかっ、下に死体がないことは先週も確認したでしょ⁉」


「──みんな落ち着いて席につきなさい!」


 混乱する生徒たちの騒ぎや教師の怒号で満たされる教室の中、一人の女子生徒が席を立った。彼女はハンカチを手にまるで気分を悪くしたようなそぶりで阿鼻叫喚の教室から去ろうとする。


 日菜子はそれを許さなかった。腕をしっかりとつかみ、彼女を引き留める。

 低く、威嚇するような声で彼女の背中に話しかけた。


「……月岡つきおかさんが転校してきた日からだよ」


 彼女はウェーブのかかったきれいな髪を翻して、その鋭い目元で日菜子を睨みつける。やはりハンカチは演技だったようだ。


「ゆりが落ちるようになったのは」


 月岡つきおか佳恋かれんは日菜子の手を強引に振り払った。


「……あたしのせいだって?」

「そうだよ」


 日菜子ははっきりと頷いた。佳恋が転校してきたのは二週間前、始業式の数日後だ。その日からこの転落事件は起きている。しかし佳恋ははっと鼻で笑ってみせる。


「ふざけたことを言ってくれるじゃない。ゆりをこうしたのはあんたたちなのに」


 日菜子は瞳を泳がせた。


 わたしたちのせい?


 月岡さんはゆりのことを知っている?


 気を取られているうちに、佳恋は颯爽と背中を向けて堂々とした歩みで教室を出て行った。

 取り残された日菜子は同様を隠しながら静かに席へ腰を下ろす。


 きっと明日も、死んだはずのゆりは屋上から飛び降りる。







 桜の絨毯が門出を祝福する春。日菜子は二年生へ進級していた。

 窓からの景色は高くなり、張り紙も一新されている。新学年の意気込みは華々しく、女子生徒たちは去年の一か月坊主に懲りずに毎朝早起きをして髪を巻いていた。日菜子は後ろの席に座るのが去年と違う生徒であることにもの悲しさを覚えながら新しい学年を迎えていた。


「新学年早々ですが、転校生を紹介します」


 二年生になって一週間経った頃、閉鎖的で色濃い女子校に毛色の違う風が吹き込んだ。

 担任教師に自己紹介をするように言われて、彼女は一歩前に出る。堂々とした態度、芯の通った背筋、そして目鼻立ちのはっきりとした美貌。その姿に誰もが彼女ゆりの影を見た。


「月岡佳恋です。諸事情によりこの学校に転入することになりました。よろしくお願いします」


 彼女が前に通っていたところはこの学校の姉妹校だったのだと担任教師が話した。どういった事情で転入してきたのかは誰も詳しく聞かなかったが、教室が少しばかり窮屈になったということは変わらなかった。

 物理的にも、精神的にも。


 しかし授業は滞りなくいつも通りに進んでいった。新しい科目にカリキュラム。皆、用意した真新しいノートに文字を埋めていく。ちらちらと新しい仲間に視線を向けながら。


 悲劇は突然だった。

 月曜の四限目、数学の授業が行われている最中のことだ。

 スクエアの眼鏡を頻繁に持ち上げる癖がある男性教師は、よく生徒に答えさせた。去年は担当教科がなかったので、なれない教師の授業に皆ぶつくさと文句を言い始めていた。


 その日は日菜子が指名された。テキストを手に持って教壇へ上がるように言われる。黒板に自分の解答と解法を記入しに行くのだ。白いチョークは指が汚れる。すぐに洗いたい衝動に駆られるので、指名するなら口頭がよかったと唇を尖らせた。

 粉っぽい白チョークを手に取って問いにイコールを書き足す。そしてノートに書き込まれた解法を確認しようと視線を落とした時だった。


 黒い影が視界の左端を上から下へ、よぎった。

 誰もがそれに気づいたようで、窓の方を見つめている。数名だけがまったく違った反応を見せていた。悲鳴を上げて立ち上がる者、驚きの衝撃で椅子から転げ落ちる者、そして勇敢にも窓を開け放ってすぐ下をのぞき込む者。


 学級委員長が責任感から何があったのかを真っ先に問うた。勇敢にのぞき込んだ生徒が外を指さして冷静に告げた。


「人が飛び降りた」


 教室内がどよめく。階下は教員室と事務室であり、そこの窓はどちらもすりガラスだ。階上は美術室で使用している間は足音が響くのだが、今は静かなために授業を行っていないことがわかる。

 つまり目撃したのはこの教室にいる数名だけ。

 はじめは誰も信じなかった。たわ言か、クラスメイトをドッキリに仕掛けようとしているのだと。


 日菜子が確証を得たのは次の日、火曜日のこと。日菜子は怖いもの見たさから、月曜の騒動と同じ時刻を見計らっていた。そして勘はあたり、日菜子も疑われる側になった。いや、日菜子が最も狂った生徒扱いをされた。

 なぜなら日菜子はその人物の顔をしっかりと目視していたから。


「飛び降りたのは生きた人じゃないよ」


 誰もが耳を疑った。


「わたしにはゆりに見えた。わかるでしょ? 花巻ゆり」

「で、でも花巻さんは去年……」


 ホームルームで小さな会議が開かれていた。日菜子は教壇に立ち、クラスメイトらからの質問に淡々と答える。


「そう。ゆりは通り魔に殺されたよね」


 一年生の時、教室の右後ろにはいつも百合の花が生けられた花瓶があった。あれは花巻ゆりを弔うために用意されたもの。日菜子は思い返しながら静かに言う。


「でもわたしにはゆりに見えた。もし本当に人が飛び降りてたとして『生きた人ならなんで死体がないんだろう』って思わない?」


 クラスメイト達は日菜子の主張に押し黙った。


「あれはきっと、ゆりの怨念だよ」


 この説は妙に説得力があり、同時に空想的なものだった。花巻ゆりはすでに火葬されているため、残る実体は小さな骨だけだ。つまり皆が目にしたのは花巻ゆりの幽霊だということになる。


 そして似鳥日菜子は新学年早々、教室から孤立することになってしまった。

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