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いゾン日和⑧

 思い出す。

 ショッピングに行ってから、日和は少し積極的になった。ショッピングの日はコンタクトにしていたが、学校ではまたあの黒縁メガネに戻っている。あの日だけ力を入れていたのだろうか。結局、メイクなども教えた通りにはしてこなかった。

 せっかく教えたのに、と思いながらも、まあどうでもいいかと思い直す。

 そして、いつものように友達と談笑しているところに、なぜか日和がやってきた。

 どういうつもりかと視線で問いかけたが、日和はこちらを見ていない。友達も怪訝な表情をしている。からかって遊んでいる相手が近づいてきたので、まさか報復かと身構える者もいた。


「あの、私のメイクのやり方が合っているか見てほしい、です」


 は? という視線がなぜか果林に集まった。いや、こちらを見られても困る。果林も状況がよくわかっていない。

 日和は果林たちの困惑を無視して続ける。果林からメイクのやり方を教わったが自分がちゃんと出来ているのか、それを見てほしいのだと力説している。

 その勢いに呑まれたのか、それともただ面白いことが始まったという嗅覚が働いたのか、友達は日和の要望を通した。

 先生に見つかれば没収されるであろう化粧道具一式を日和は持っていた。そんな度胸があるのかと感心し、友達たちもそれを面白がった。

 そしてあまりにも拙い手つきで日和は化粧をし始めた。手が震えている。化粧品を使う順番がおかしい。それにやきもきした友達は、そうじゃない、こうしろ、ああなんでわからないんだと指導を始めた。

 なんやかんやと人にものを教えている彼女たちは楽しそうで、日和は彼女たちの輪にちゃんと入っていた。

 この出来事をきっかけにして、日和は果林のグループの一員となった。まだ完全に馴染めているとは言えないが、彼女を着せ替え人形のように扱いながらも友達たちの態度は今までの陰湿さを孕んではいなかった。

 日和が笑顔でいることが増えた。


「果林ちゃん、おはよう」


 おどおどとした雰囲気も最近は感じない。彼女は果林以外も名前で呼び始めた。別に、それは関係が進展するうえで当たり前のことだった。

 それなのに、どうして、こんなにも胸がもやもやとするんだろう。

 日和が話しかけてくる。


「あの、果林ちゃん」


「なに?」


「ま、また、私と一緒にお出かけしよう」


 自分からそんなことを言い出す彼女に対して、果林は違和感を覚えた。今までの日和であれば、自分から誰かを誘うようなことはしない。それになぜか、なにかに成功したかのような晴れた表情をしている。

 彼女は変わったのだ。

 それに対して私は、いつまでこうやって斜に構えているつもりなんだろう。どこまでも俯瞰的に物事を見て、体裁を気にして、周囲に流されているんだ。現状の関係を、現状の自分の立ち位置を、変えてしまうことが恐ろしかった。

 変わることには勇気がいる。

 かつての日和の「私も溝畑さんみたいになれるかな」という言葉を思い出す。

 果林が彼女に話しかけたことは勇気でもなんでもなく、ただ状況に流された怠慢だった。しかし彼女は、真の勇気を持って果林の友達たちへ話しかけた。あの時に、日和が果林のことを見ないようにしていたのは、果林に頼らずに一人でもできるところを見せたかったからなのかもしれない。

 すべて憶測に過ぎないが、いゾンビになった日和からその解答を聞くことはできない。動いていたってあくまでも彼女は死体なのだ。

 彼女はホテルの一室で、ベッドに背中を預けて地べたに座っている。果林はベッドの上で寝そべりながらそんな彼女の後姿を眺める。勇気を持って変わった彼女が、死んでしまうことですべてを失った。劇的な死はフィクションの中だけで、現実の死は唐突で、あっけなく、そして何の意味もない。

 いゾンビとしての最後の一日。

 どうしようもなく避けられない別れは、本来の死とは違って心の準備期間を設けることができる。

 果林は日和と別れることを改めて実感し、胸の中に込み上げてくる感情を抑えられなくなる。

 果林の仮初めの言葉と、日和の本音の言葉は、友達になろうとした結果が同じでも口から出てくる過程はまったく違う。

 ベッドに背を預けていた日和の顔が、どんどん上を向いていき、こちらを見上げるように目があった。

 彼女の視線は生きている時と変わらずに、ちゃんと果林のことを見ていた。いつか見たその視線は暖かかった。

 その温度を思い出し、果林の目の奥から涙があふれてくる。なんとか抑えようと歯を食いしばったが、いったい何のために自分を抑えつけようとしているのかわからなくなった。周囲の視線は一つだけだ。果林のことなど他は誰も見ちゃいない。

 それなのに涙を隠そうとする理由は、自分が見ているからに他ならない。

 馬鹿な自尊心、無意味なエゴ、自分に配慮した強がり。

 そのすべてに意味がない。

 もう涙を抑えることは止めた。日和と離れることが嫌だった。失うことが嫌だった。そんな気持ちに気付くのに、彼女を二回も失うなんて本当に馬鹿らしい。

 簡単な話だったんだ。

 果林は日和と、本当の友達になりたかった。いつからかはわからない。それでもいつからか胸の中に生まれた想いだ。

 そんな気持ちに蓋をして、自分を置いて変わっていく彼女を羨んでいた。

 きっと彼女にそんな自覚はない。いゾンビになってからの彼女の行動は、果林を真似するものばかりだった。一緒に授業を受けて、一緒に生活をして、一緒に行動を共にする。彼女は果林のようになることに依存していたのだと思う。

 そして果林もまた、日和に依存していたのかもしれない。彼女と一緒にいることで後悔を晴らそうとした。彼女と友達になれた、もしもの時を過ごしていた。

 嘘の時間があと一日で終わろうとしている。

 きっと彼女が生きていたら、果林は後悔にすら気づかずに意地を張って生きていたに違いない。

 死に意味はないが、死からの疑似的な生には意味があった。

 きっと果林はこれから変わっていける。


「あう……が……う」


 次第に動きが鈍くなっていく日和を腕の中で感じた。感情のないはずの日和がわずかに笑ったような気がした。

 あとほんの少しだけ、このままでいたい。

 冷たい感触が、果林を満たしていく。

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