いゾン日和①
数年前から世界はちょっとだけおかしくなった。
死んだ人が生き返ってゾンビになるのだ。これにより世界は混乱した。いや、困惑したと言った方がいいのかもしれない。ゾンビとはいっても、集団で人を襲ったり、噛まれたらその人がゾンビになるようなこともないのだ。ただこのゾンビは生前に執着、もしくは依存していたものに準じた行動をする。
執着の対象は物や人、行為など様々だ。
例えば大事にしていたぬいぐるみがあるとすれば、それに依存するように抱きしめたり、口に入れたりして決して手放そうとしない。ゾンビに恋人がいたとすれば、その相手の傍から離れずに公衆の面前でもいちゃいちゃしようとする。あとこれは奇妙な事例だが、公園で穴を掘り続けるゾンビがいた。おそらく穴を掘るという行為に依存したゾンビだったのだろうがなぜそんなものに依存したのかはわからない。
そして彼らの活動期間は、なぜかきっかり三十日と決まっていた。
しかしそれにも例外があって、彼らの行動を無理やり阻害した時に、彼らは急にエンジンが切れたように動かなくなって死体に戻る。
最初は気味が悪いと非難されてきたゾンビだが、彼らの家族からすれば大事な人が生き返ったわけだから、彼らを守るためにゾンビ専用の法律を制定するように国に求める運動が起こった。宗教の観点からは、これはあってはならない禁忌だという声もあれば、生前に善行を積んだ祝福であると捉えたりと反応は様々だった。
そしてしばらく経って、世界ではゾンビの存在は周知の事実となった。彼らに対して人権まで認められ、ゾンビとしての三十日間を阻害する行為は、殺人の罪にまで問われる事案もあった。
そして彼らが依存するゾンビということで、「いゾンビ」という通称も当たり前のものとなる。慣れとは怖いもので、ニュースのワンコーナーでは「今日のいゾンビ」が取り上げられるようにもなった。
溝畑果林は、話題が広がって、誰もが口々に同じワードを出すというこういった俗っぽいことがあまり好きではなかった。とはいえ周囲が話しているのに自分だけ疎外されるのも腹が立つので、話題にはなるべく乗っかるようにはしている。
そして事件は起こった。
いつもの教室での授業中、学校内にいゾンビが現れたと騒ぎが起きた。生徒たちは授業などそっちのけで校内のいゾンビを見に行き、教師も最初は授業に戻れと怒鳴っていたが次第に自分も好奇心に負けて、校内に現れたいゾンビを見に行った。
こいつら馬鹿じゃねえのと思いながら、友達に腕を引っ張られて果林もしぶしぶいゾンビとやらを拝みに行った。
集団がいゾンビを囲んでいる。とてもじゃないがその姿を見ることはできない。だがいゾンビの行動を妨げることは、彼らを殺す行為でもあるので、なるべく触れないように集団はいゾンビの動きに合わせて縦に割れていく。
生徒たちの声から、一部困惑の声が上がっている。「あれって」「なんか見たことあるぞ」「別のクラスにいなかった?」「この前死んだやつだろ」「あーあの子ね」「全校集会で校長が嘘泣きしてたやつな」
嫌な予感がした。
生徒たちが横に割れていく動きに合わせて、果林も廊下の隅によけた。そこでいゾンビの姿が見えてくる。関節がうまく曲がらないのか、その歩き方はぎこちなく、目はうつろで、あーとかうーとかのうめき声が聞こえる。
クラスメイトはその姿を見てはっと息をのんだ。つい先日行われた葬式で、棺桶の中に入っていた顔が真っ白な死に装束を着て歩いているのだ。
一週間前に氾濫した川で溺死した、クラスメイトの立花日和だ。クラスでの立ち位置は決して目立つことのない女子生徒だった。毛先が肩をくすぐる黒髪と、やぼったい黒縁メガネの、見た目通りの大人しい性格の子だった。今はメガネはなく、黒髪をだらしなく垂らしている。白装束と相まって、ゾンビというよりも幽霊のような印象を受ける。
ぎこちなく歩き続ける立花日和がそのまま通り過ぎるのを待っていると、日和は果林の前で立ち止まった。
勘弁してほしいと思う。
日和はそのまま果林に体の正面を向け、どんどん近づいてくる。すでに廊下の隅にいる果林は、これ以上後ろには下がれない。
日和が目の前で立ち止まり、果林の服の裾をちょこんと握った。
「あう……」
廊下にひしめく生徒の視線が、すべて果林に集まった。
最悪だ。
果林はどうやら、日和に依存されたみたいだった。