7話 切られた火蓋
◆◇◆
体育倉庫裏での一件を経て、俺の心は粉微塵に砕け散り、もはや常人であれば修復不可能な程であった。
当然である。十四年間片思いし続けていた幼馴染が、ポッと出の超絶イケメンにあっけなく寝取られてしまったのだから。………しかも、キスの現行犯まで目撃済み。
普通ならここで諦めるのだろう。男として情けなく敗北を認め、次の恋へと歩を進めるのだろう。
しかし…………俺には無理だった。歩は進めるが横道には逸れたくない。
聖海に選ばれなかったのならば、その理由が知りたい。……男として、何が足りないのか。それを分かったうえで俺に出来得る全てを行う。それでもダメというのなら、この恋を最後に俺は歩みを止める。
よって俺は井原に対し、無謀にも勝負を挑んだのだ。
「勝負……?あの井原君と……?」
「うっそ恥知らず過ぎない?」
「てか誰?あの男子。めっちゃ顔真剣なんだけど、ウケる」
恐らく井原に釣られて集まってきた女子生徒達からのボディブローが如き陰口が鼓膜を突き抜ける。もう既に膝が天変地異と言わんばかりに震えているが、勝負前からやられている場合ではない。
「……………」
井原を一瞥する。……勝負を吹っ掛けた瞬間はどこか驚いた表情を浮かべて柄にもない声を上げていたが、ギャラリーがざわめいた直後から急に、瘴気を纏うような……途轍もなく苛立っている表情に切り替わっていた。
……確かに、こいつにとっては俺如きに時間を取られている時点で相当ムカついているに違いない。手短に説明を……
《一方、日々野楚の脳内》
『はあぁ~~~~~~!!!?アンタらに弌茄君の何が分かんの!!?真剣な顔がウケる!?こんっっなに凛々しくて勇ましい表情の何処にウケ要素があんのよ惚れ要素しかないだろが!!恥知らずはどっちだよ!!ホントなんも分かってない!!分かられても困るけど!!……………にしても勝負……?なんで急に………?でも私に彼のお願いを断る選択肢は出生の段階で用意されてないしなぁ……』
《その間0.57秒》
「………分かった」
「えっ………ま、まさか……オッケー……ってことか!?」
「あぁ。オッケーだ」
「………悪いな、ありがとう」
「っ~~~」
無意識で恋敵に対し礼を言い、挙句の果てには微笑んでしまったが……なぜか井原は急に呻きながら下を向いた。……体調でも悪いのだろうか。だとしたら尚更申し訳ないな……こんな俺の自己満足に付き合わせてしまって。
「おっ、なんの騒ぎかと思ったら……井原君じゃないか!」
「………?」
突如、ギャラリーの間を縫うように現れた一人の男。井原と俺よりも高い、おそらく180cmほどの身長に、井原と同様恐ろしく整った容姿。ボサついた赤髪のいたるところにカラフルなヘアピンを無造作に付けた、やたらと派手な奴だ。
「……友達か?」
井原に問う。
「違う。……知らない奴だ」
「おいおーーい!!ひっどいなぁ井原君……俺達、親友だろ?だから早いとこサッカー部入ってよぉ」
「何度も言うが、入らない」
「えぇ~~~~~!!!」
そういえば……転校初日からやたらとウチのクラスに侵入し、井原に声を掛けてた男子生徒がいたな……
それどころじゃなかったから碌に見た目も覚えてないが、その時もサッカー部がどうのこうの……
「キャ~~~~!!紅咲君じゃん!やば……最強イケメン揃っちゃったんだけど……」
「井原君のクールな感じも良いけど、恋君の弾けた雰囲気もめっちゃ良くない?」
「マジお似合いって感じのコンビだよね~~!」
………フン、陽に惹かれた陽か……。やはり俺とは住む世界が違う。
井原も軽くあしらっている風に見えるが、それも奴らのノリの一環だろう。
「あ、あの………い、いつ…………ょ……よし……吉井く……………吉井」
「………え」
突然、井原が俺に対して声を掛けてきた。だが先ほどまでとは違いどこか……消え入りそうな声で。あまりの不意打ちに、碌な返事が出なかった。……そして彼は、やけに真剣な表情で言葉を続ける。
「本当に…………ちが、違う……から」
「………な、何がだ?」
「友達なんかじゃ…………ない………から」
「あ、あぁ…………そう……なのか……?」
なぜわざわざ俺に言ったんだ……?てか今”吉井くん”って……言いかけた?………いやいやまさか、聞き間違いだろう。吉井クソ野郎とかの間違いだろう。
《一方、日々野楚の脳内》
『わああぁぁぁあああああ違う違う違う!!!違うの弌茄君!!!友達なんかじゃないの本当に!!!この赤髪の割り箸みたいなチャラ男が転校初日から一方的に勝手に無限に話しかけてきてるだけなの!!!なんなのこの人!!?弌茄君以外の男子なんて視界の端にも入れたくないのに話しかけてきて怖いし怖いし怖いんだけど!!!私の半径八キロ圏内に入らないでよ!!!もしこんな浮ついた輩と少しでも関わりあるなんて誤解されたらアンタの七親等にまで嫌がらせ仕掛けるからな!!!』
《その間、0.48秒(自己新記録)》
「で、チラッと聞こえたんだけどさぁ……井原君と……えっと……誰だっけ、君」
「………吉井だ」
「吉井君ね。………二人で勝負、するんだって?」
やたらと陽気な癖にどこか掴みどころのない、紅咲と呼ばれていた男。……奴は俺の方へ近づいてきた。
「面白そうじゃん。……審判でもやってあげようか?勝負の邪魔はしないから」
「………好きにしてくれ」
この手の人間は、所詮 陰の者が拒絶しようとも無理やり割り込んでくるだろう。どんな手法で勝負するかも分からない段階で審判を名乗り出た時点で完全にからかい目的だろうしな。とりあえず、邪魔をされない範囲内(既に相当邪魔だけど)で泳がせておくしか無い。
「あっはは!!ノリいいじゃん君ぃ!……じゃあ、最初は何で勝負するの!?」
依然として黄色い声を上げ続けるギャラリーをよそに……紅咲は目を輝かせていた。