53話 赤頭の秘密
「「あかずっきゅん……かんぱにー……!?」」
銀砂から放たれた腑抜けた文字列を、紅咲と朔は同時に復唱する。
俺は落雷を脳天に食らったかのような衝撃と絶望感に目が眩みながらも……咄嗟に銀砂の下へと駆け寄っていた。
「しっっ……銀砂ああぁぁぁああ!!!?お前何言って……!!!」
「何って、単なる事実確認だが。なぁ?あかずっきゅん☆かんぱにー代表……」
「それをやめろおおぉぉおおぉぉおお!!!オラアアァァァアアアァ!!!」
トチ狂った猛牛の様に首をブン回し、全人類の鼓膜を破裂させる勢いで放った咆哮で彼女の言葉を掻き消そうとする。
しかし銀砂に気を取られている隙に朔は、自らのPCで行っていた作業を中断し、代わりに別の作業を開始していた。
「えー……あかずっきゅん……かんぱにー……と」
「何をしているのかね朔君!!?」
「え?ちょっとgoggles先生に検索を頼もうかと……」
「頼むな!!!懲戒免職だそんな先公は!!!」
「ラリーかセルゲイ以外には無理だと思うけど……」
銀砂の下から踵を返し、今度は朔の方へと駆け寄るが……咄嗟のターンに足がもつれ、思い切り地面に倒れ込む。情けない呻きを上げながら痛みに悶えている間に、某検索エンジン先生は見事自らの職務を全うしてしまった。
表示された検索結果を目の当たりにした朔は、表情を変えぬまま「お~~~」という感嘆にも似た声を上げる。
「主にPC向けのノベルゲーム作ってるみたいだね。内容は……わっ、エッッッ」
「み、見るな朔!!!パソコン閉じろおおおぉぉおおお!!!」
「どれどれ、僕にも見せてよ」
続いて紅咲までもが、興味津々な様子で朔の席に駆け寄る。そして彼女と同じく腹の底から響く様な『エッッッ』という声を漏らした。
「えっ、めちゃくちゃ売れてるじゃん。先月出た最新作も販売数二万超えだし……。いやそれにしてもエッッッ」
「かなりの大手サークルだね。どのジャンルも安定して売れてる。そしてどのジャンルも漏れなくエッッッッッ」
「や……やめて……やめてくれ…………」
……そう。俺の本職は美少女ゲームクリエイターである。
メインはノベル形式だが、その他にもアクションやロールプレイング、パズルなど様々なジャンルのゲームを製作している。
ただし、どれもレーティングはR15。むしろ運営の体調によってはR18判定を食らってもおかしくないくらいのギリギリを責めた作品が殆どである。
そんな俺の性癖満載な作品たちを……クラスメイト、他クラスの男、そして後輩のギャルにまで見つかってしまった心境など、歴史上のどの文豪にも言語化出来まい。
「許さんぞ銀砂………決して許さん………!!どこで俺の正体を知ったかしらんがこの屈辱………子々孫々受け継いで………貴様を末代まで恨み祟ってやる………!!!」
地に這いつくばりながら、血涙を流す程の憎悪を以て銀砂を見上げる。
しかし彼女はあっけらかんとした表情のまま言った。
「いや……悪いが赤頭、お前結構ガバガバだったぞ?」
「ガバガバ……?何言ってやがる……!」
「まず、学校での休み時間中も常にPC弄ってるだろ?」
「いやっ……でも周囲から見えないような死角で、しかも覗き見防止のフィルターやらソフトウェア入れて最新の注意払ってるし……!」
「イヤホンから常に誰かしらの萌え声が漏れ出てるんだよ」
「なっ………!!」
「それに、画面見えなくても常に小声で『このイラストはこのシーンで……』とか、『くそっ、またコード書き直さなきゃならんのか……』とか明らかにゲーム作ってますみたいな内容の独り言垂れてるし。なんなら『うーん、これは非常に”ずっきゅん”ですね……』とか言ってたぞ。なんだ”ずっきゅん”って。”スケベ”の隠語か?」
「っっっ~~~~~!!!!」
「まぁ私は、イツカの親友で頭脳明晰故に井原ヒロの正体に気付き兼ねないという理由で、元からお前の身辺を調べていた過程で偶然知ったが……あの様子では、遅かれ早かれ誰かしらにはバレてたぞ。むしろ周りよりも先に我々が拿捕したのが幸いだったと言って良い」
顔を床に打った以上の痛みが脳天を貫く。ほぼ円を描く様なブリッジをキメながら金切り声を上げた後……俺はただただ悍ましい程の羞恥に悶え続ける。
「こ………殺してくれ………殺して……おくれやす………」
終わった。俺の高校……いや、人生そのものが終わった。同校の生徒達に俺のドスケベ性癖博覧会を余すところなく見られてしまった。
「いや赤頭君。別に僕ら、君の作品を馬鹿にしてる訳では決してないよ」
「うん。全然馬鹿にしてない」
紅咲と朔が、背中を反り続け次第に円に近づいていく俺に対して語り掛ける。
「う、嘘吐け!!どうせドン引いてんだろ!?規制ギリギリの美少女ゲーを校内で鋭意制作中の俺を激キモ高校生だと思ってんだろ!!?俺だって今自分で言っててそう思うわ!!ハハハハハ!!殺せぇ!!俺の身体が真円に成る前に、喉掻き切って殺してくれ!!!!」
背骨を軋ませながら、魂の慟哭を上げる。
「どちらかと言えばその人知を超えたブリッジの方にドン引いてるよ…………赤頭君、本当だ。僕らが君を貶す理由なんて無い」
「うるせぇ!!!実写映画化原作の作家先生に、スケベ同人サークル主の俺の気持ちが分かるかよ!!!」
「スケベに罪は無い!!!」
………その瞬間、時が止まったかの様な錯覚を得た。
広いオフィス内に紅咲の声が反響する。彼の表情は、幾千もの修羅場を超えてきたかのような敢闘で満ち満ちている。反して俺を見る双眸には、全てを包み込む慈愛の様なものが宿っていた。
「創作とは魂の具現化。キャンパス、原稿用紙、レンズ、エディター………。形が違うだけで、溢れ出る表現欲求をその器に満たしたいという僕らの欲求は同じだ。過程で混じるものがグロテスクでも、乙女チックでも、エロスでも!僕らはそれを”不純物”とは決して呼ばない!!君の体現する魂は、君だけの色に染められた……神以て美しい泉だ!!!」
「あっ……紅咲………」
端正な顔をした赤髪の男子高校生が、迫真の表情でエロスを肯定している。
アンバランス極まりない光景に脳がトリップしかけるが……少なくとも彼が本気で俺の作品を受け入れてくれているのは伝わった。
そして紅咲に続き、銀砂も俺の下へと歩み寄る。
「コイツの言う通りだ。この場にお前の作品を侮蔑する者など一人もいない。……それを言ったら私の作品など九割九分九厘エログロで出来てるぞ?なんせ、陰・惨・漫・画・家だからな」
紅咲に対して睨むような視線を送る彼女。意外にも、結構根に持つタイプらしい。
「……朔も同じ意見だろう?」
「まー正直、私は”どうでもいい”って感じかな。好きな事なら好きにやれば良いし。……でも、他人の好きな事を馬鹿にするつもりは無いよ。それがエッッッなやつでも」
「朔……」
俺を見る三人の目は、どれも同じだった。羞恥に磔にされた変態を見る侮蔑の瞳ではなく、創作と言う果てしない航海を共に行く同士を労うかのような懇篤さを湛えている。
己の欲望のままに生み出してきた作品を、俺は只管恥ずべきものだと、他人に理解して貰えぬものだと決めつけ、ひた隠しにしてきた。
しかし彼らは、俺と同じく欲望のままに己の魂を体現する変態なのだ。
……ここには俺の魂を受け入れてくれる人間がいる。それだけで、呪縛から解き放たれたような清々しさが全身を覆った。
「お、お前ら……………ありがとう…………」
「あ、でも……」
ふと何か思い出した様に、朔が俺の謝意を遮った。
「………流石に、”あかずっきゅん☆かんぱにー”は………ナシかも」
先ほどまでの真剣な眼差しは消え去って、明らかに小馬鹿にしたような顔で言い捨てる。
暫し思考が停止するが、体が再び羞恥で熱くなるのを感じた。
「おっ………おいおいおいおいおい!!!!今蒸し返すなよ!!!!」
「いやでも”ずっきゅん”はヤバくない?ねぇ会長」
「あぁ。”ずっきゅん”はヤバいな」
銀砂も、目を閉じ腕を組みながら神妙に頷く。
「お前ら!!!さっきまで俺の事色々受け入れてくれてる感じだっただろ!!?急に何だよ!!?」
「作品については勿論受け入れてるけど………”ずっきゅん”に関してはちょっと看過できないかな。”ずっきゅん”はヤバいよ赤頭君」
「三人で連呼すんな!!!……もういい、やっぱり帰る!!!」
不貞腐れたように立ち上がり、入り口扉の方へと駆けだすが……その行く手を銀砂が華麗なサイドステップで遮ってきた。
「な、なんだよ銀砂!どけよ!!」
「いいのか?我々は君を肯定するが……世の大半の人間は変態ではない。このまま帰れば、不特定多数の一般人に君の魂が露見する事になるぞ?」
「おっ………脅してんのか……!!?」
「出来るなら穏便に済ませたい。私は君の観察眼と頭脳が欲しいんだ。どうか我々と共に、イツカ達の恋を支えてくれないか?」
人の心情も知らずに、銀砂は右手を俺の前に差し出す。
……この手を握ってしまえば、俺はこの個性的を極めた偏屈人間共と共に訳の分からん組織の一員として、訳の分からん作戦に組み込まれる。しかし……握らずに帰れば………
「クソッ……!!何でこんな事に………!!!」
どう考えても選択肢は無い。
俺は歯を食いしばりながら……震える右手を以て、静かに銀砂の握手に応じた。
「よし!!交渉成立だ!!ようこそ赤頭市狼。我がPDFへ!!!」
銀砂の声と共に、三人は一斉に割れんばかりの拍手を鳴らす。
対する俺は脅迫に屈した己の情けなさに、一人静かに涙を堪えていた。
「赤頭君、安心しなよ。会長は手段こそ人知を超えて乱暴だけど……約束は守る人だ。悪いようにはされないよ」
「勝手に身辺嗅ぎまわって掴んだ弱みを脅しに使うような女が、悪いようにしないイメージが湧かないんだが……」
「最初に言っただろう。我々はあくまでイツカ達の恋愛を見守り、最低限の支援を行うだけの傍観者だ。手荒な手段は取らないしさせない。………それに、数少ない貴重なクリエイター仲間だ。無下に扱う訳ないだろう」
「その通り。改めてよろしくね、赤頭君」
「よろしくー」
再び歓迎ムードに包まれる室内。
掴みどころもなく、何を考えているか分からない奴ばかりだが……やはり彼らの表情に嘘や外連は感じられない。それがどうしても調子を狂わせる。
「………マジで誰にも言うなよ?俺の活動の事。バラしたら、お前らに押し付けられたっていう体で国家転覆を目論むからな」
「バラさんから安心しろって……。それに、私からすれば何をそこまで恥じるのか分からんのだが」
「ゲーム自体も、サンプル見る限り同人とは思えないクオリティだし。誇っていいと思うけどね」
改めて俺の作品ページをまじまじと眺めて、銀砂と朔は深く頷き合う。
「…………じゃあ、”ずっきゅん”も別に良いだろ」
「「「いや、”ずっきゅん”はヤバい」」」
「それ言いてぇだけだろ!!!」
どうやら名だたる変態達にも、俺のネーミングセンスは受け入れがたい代物らしい。
かくして俺は、銀砂率いる謎の恋愛支援集団”PDF”の一員として、我が親友と哀しき間男の恋を陰から支える使命を与えられてしまうのだった。




