51話 聖海の真実
「って……待て待て待て!!」
突如明かされた謎の組織の片鱗。しかも有無を言わさずその組織に入団させられてしまうという展開に、流石の俺も両腕をオスプレイの様に振り回しながら声を荒げずにはいられなかった。
「どうした赤頭。V-22の真似をするなら手首から上だけを回した方がそれっぽくないか?」
「寸評はいらねぇよ!!!」
周囲を見る。銀砂は勿論、紅咲も、謎のギャルも完全に歓迎ムードを顔に滲ませている様子だ。
俺はただ野次馬根性で井原を尾けていただけであって……こんな訳の分からん集まりに参加するつもりは毛頭ない。
「……ということは、本当に井原は……っていうかお前ら全員、その事知ってんのか!?」
「あぁ。井原ヒロは女性で、私と恋愛関係には無い。そして彼女は吉井弌茄に恋をしている。……君を含め、皆その事実に自ら気付いてしまった不届者だ」
そう淡々と認められると逆に尻込みしてしまう。ある程度の確証はあったが、第三者の……いや、最も井原の傍に居た銀砂の口から事実だと言われ、俺は思わず息を呑んだ。
しかし……紅咲達はどういう経緯で真実を知ったんだ?
俺は、染みついた悪癖と職業病とも言える性が故に違和感を得たが、井原の男装は仕草や声、口調も含めて完璧に近い。吉井の親友でクラスも同じである俺ならまだしも、他クラスの紅咲、それにギャルに至っては学内で見かけた事すらない。そんな彼らが一体どうして……。
「もの言いたげだな。聞こうか」
しかし、今俺が最も知りたい事はそれじゃない。
「……何でだ?吉井が好きなら、そのままの姿で告白すれば良いだろ?わざわざ男装して、挙句の果てにはお前と付き合ってるフリまで続ける理由は……何だ?」
銀砂は表情を変えず、俺の肩に手を置きながら質問に答える。
「この組織の掟の一つ、”過度な詮索はするな”。あくまでも我々は傍観者だ。それを忘れるな赤頭」
「べ、別に必要以上に詮索する訳じゃねぇけどよ……」
「まぁ………実を言うと私ですら、彼女が男装してまで正体を隠す理由は知らないんだ」
「はぁ!?お、お前も!?」
「あぁ。何度尋ねても駄目だった。……恐らく恥じらいや恐れといった精神的なものだけでなく、もっと……彼女の存在そのものに関わるような、重大な理由があるはずだ」
男装状態でも中性的で絵画の様なルックスだ。女性の姿に戻れば、世を沸かす芸能人達ですら軒並みモブと化してしまうだろう。流石の吉井も心は揺れる筈。……井原本人にその自覚があるかどうかは知らないが、何故そんな遠回りをする……?
「だが、”イツカと結ばれたい”という彼女の意思は疑いようの無い事実だ。だからこそイツカを諦めきれず、正体がバレてしまうリスクを背負ってまで東京に来た」
「……吉井が お前の事好きだってのは、当然井原も知ってんだろ?その辺はどうなんだよ」
そうなると、井原の恋に於いて最も障壁となるのが銀砂になる。吉井は物心つく前からコイツが好きだったらしいし、現状、井原は想い人を寝取った忌むべき間男になってしまっている。
その渦中にいて、こんな大仰な組織まで作って井原の恋を推すコイツの意図が分からない。
幼馴染だったなら吉井の恋心にも薄々勘付いていた筈だ。井原の気持ちを知っていて且つ吉井に気が無いのなら……吉井には悪いが、もっと早く振っていれば、ここまで拗れた相関図にはならなかったんじゃないか……?
「イツカからの告白は、完全に予想外だった」
「予想外……って、本気で言ってんのか!?付き合い短い俺ですら一瞬で気付いたぞ!?十年以上つるんでたお前が気付かない訳が……」
「………」
すると、突然銀砂が手を叩く。
「さて、ここで一旦自己紹介といこうか」
「お、おい!そんなはぐらかし方……」
彼女は肩に掛けていた自分のカバンから、一冊の本を取り出して俺の顔の前へと突き出した。
あまりの近さに思わず仰け反り焦点も合わない。情けない呻きと共に一歩退き、眼鏡の位置を直してその表紙を改めて見る。
「………これは……」
一冊の漫画だった。表紙には、人間の髑髏を両手に抱える少女が描かれ、夥しい程の血に塗れた顔に微笑を湛えている。上部のタイトルにはおどろおどろしい字体で”遠隔殺人”とある。
………近頃SNSやテレビ含むメディアでも取り上げられ、コアなファンを獲得しつつある新進気鋭の作家、辻松晋呉のデビュー作。
コンプライアンスを厭わないゴア表現と、読者の心を抉る圧倒的な鬱展開。生ぬるい日常系やラブコメに辟易した一部の読者から熱狂的な支持を受けている作品。俺もその内の一人だが……何故急にそんなものを……?
「”遠隔殺人”が……どうしたんだよ?」
「私の名前は銀砂聖海。漫画家で、ペンネームは辻松晋呉だ」
「……………は?」
一秒も間を置くことなく、銀砂は飄々と言った。
蔑ろにされた”間”の仇をとるように……俺は暫く、呼吸すら忘れて硬直した。
「な…………」
漸く喉元を過ぎた声は、意思とは反して裏返る。
「何、適当な事言ってんだよ!!?……お前が辻松晋呉だぁ?んなワケあるか!女子高生がこんなエグい漫画描ける筈ねぇだろ!!」
臓物飛び交い、血で血を洗い、人間を宛ら肉塊としか考えていないかの様な……悪辣とも呼べる表現の数々。読者の誰もが、『こんな漫画を描けるのは、俗世を捨てて産業廃棄物でも常食している狂人だろう』と考えている筈だ。
その作者が、同級生の女子高生だと?……冗談でも笑えない。
呆れ果てたように銀砂の言葉を跳ねのける。しかし彼女は顔色を変えず、”そう来ると思った”とでも言う様に肩を竦めた。
「………しょうがない。証拠という程でも無いが、一つ懐を見せよう」
そう言って、銀砂はホワイトボードの粉受けから黒いマーカーを手に取る。腑抜けた音と共に細字部分のキャップを外すと、ボードの中心から何の逡巡も無く筆を走らせ始めた。
「お、おい……急にどうしたんだよ銀砂?」
「まぁ、少し落ち着いて見てなよ赤頭君」
訝しむ俺を背後から紅咲が宥める。幼子をあやす様な口調に軽く苛立ち、思わず振り返ってしまう。
「うるせぇな!!お、お前らだってあんな馬鹿げた話信じられねぇだろ!?銀砂が漫画家で、あの辻松晋呉なんて嘘……」
「嘘だと思うなら、もう一回振り向いてみなよ」
今度は謎のギャルがPC画面から目を逸らさずに言い放つ。
俺の予想と反し、全くもって淡々としている彼らに更なる苛立ちを感じながら……俺は彼女の言うままにもう一度、ホワイトボードの方に首を回した。
「…………なっ………!!!?」
戦慄が、全身を縷々として駆け巡る。衝撃に脳が揺れ、一歩二歩と足がもつれる様に後退し、挙句の果てには固いフローリングに尻餅までついてしまった。
広大なホワイトボードには、地獄が描かれていた。
荒廃した都市、無数の惨死体が瓦礫に混合するかの如く折重なっている。尊厳を失くした肉塊と成り果てた彼らを、黒い翼を夜の様に広げる悪魔が頭上から見下ろし、禍々しい嘴を開けてけたたましく嗤っている。
……擬音やセリフは一文字として書かれていない。だが俺には、悪魔の嘲笑と吹きすさぶ鉄の様な風の音が確かに聞こえた。これはボードに描かれた絵ではなく、窓を通して目の前に広がる実際の光景だと錯覚してしまう程だった。
「まぁ、こんなものか」
「えっ……は、はぁ!!?……この一瞬で………描いたのか……?こ、これを……!?」
後ろを向いていた時間は、体感にして三十秒にも満たない。
俺は沸き立つ鳥肌をそのままにホワイトボードの裏側へと回り込む。しかし、そこにはシミ一つ無い白だけが広がっていた。”ボード反転させ、予め描いていた絵を見せただけだろう”という予想すらも崩れ去った。
「”遠隔殺人”は週間連載、家に他人を上げたくないのでアシスタントも付けずに全て私一人で描いている。そして日中は学業で描く時間も取れない。嫌でも速筆になるさ」
………これを”速筆”という俗な一言で纏めてしまっても良いのだろうか。どう考えても人の域を超えた魔術としか思えない。
「御覧の通り、私は昔からこういうちょっとグロテスクなものしか描けなくてな。綺麗な物を描きたくても、目を離した隙にお茶目なスプラッタが顔を出してしまう」
「”ちょっと”……?”お茶目”……?」
「今は編集部の目に留まって仕事になっているが……私は昔から自分の絵が嫌いで仕方ない。幼少期から死に物狂いで綺麗なものや可愛いとされるものを見て、聞いて、触って、絵にしてきた。……でもダメだった。捻くれた私は世に溢れる綺麗や可愛いを穿った目でしか見れず、まともに描ききれなかった」
そこまで語った所で銀砂は右手を、握ったマーカーごとホワイトボードに叩きつける。銃弾の様な音に一同全員が肩を跳ねさせた。
「だがしかし!!!!私は見つけたんだ。この身が震える程に美しく、愛おしく、そして儚い一つの”恋”を………!!」
「…………ま、まさか……」
うっかり介入してしまった俺を、銀砂は潤んだような瞳を浮かべながらビシッッッと指さした。
「そう!!!……十年前の夏休み、偶然東京に遊びに来ていた彼女はイツカと出会い、その場で恋に落ちた。その瞬間の彼女の顔は今でも刻印の様に脳から消えない……!!!そして私は誓った。”何があろうともこの恋を実らせ、絵にしてみせる”と。そうして初めて私は……このトチ狂った作家性から解き放たれるのだ!!!」
天を仰ぎ、豪雨のなか下水道を通って脱獄してきた元銀行員の様なポージングで叫ぶ銀砂。
怒涛の口上に脳が追い付かず、俺はただ放心するしかなかった。




