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50話 知り過ぎた男




「ようこそ、我が()へ」



………”どうしてこうなった”の一言に尽きる。


井原ヒロの尾行中、脳裏に閃きを得た瞬間 背後に現れた銀砂聖海。彼女は不敵な笑みを浮かべ、『ついてこい』と一言。本能的危機を感じ反射的に誘いを拒否するが……俺は一つ、重大なミスを犯していた。


()()がどうなっても良いのかい?」


彼女がカバンから取り出したのは、俺のノートPCだった。井原を尾行する為に焦りながら支度を済ませたせいで、俺は自らの心臓と言い換えても良い愛機を机の中に取り残してしまっていたらしい。……完全に正気を失っていた。


「お、お前っ……!!先に教室出てたんじゃねぇのかよ……!?」


「今日の日直は私だ。日誌を届ける為、一度職員室に寄ったのさ。タイムラグが生じて私は君たちよりも遅く校舎を出たんだよ。……そしたらすぐ、我が愛しの恋人を健気に尾行する君の姿が見えた」


「………それでわざわざ教室戻って、俺を()()()為の弱みを血眼で探したってか?どんだけ悪趣味なんだお前……」


「”周到”だと褒めて欲しいな。それに、血眼になるまでもない。焦燥と罪悪感の滲んだ君の横顔から、綻びがあるのは確信していたよ。………まぁ、その綻びがまさかこれほど()()()()()()ものとは思わなかったが」


黒々としたノートPCで口元を隠し、妖しく嘲笑する銀砂。苛立ちと同時にそこはかとない恐ろしさが四肢末端にまで走った。


「さぁ、選択の余地はない。ついてきてもらうぞ赤頭君」


「……………」


こいつも、()()


吉井の幼馴染で、常識知らずの呆けた女子。恋愛に興味の無いような振りをして、その実ポッと出のイケメンに靡く軽薄な人間。………違う。こいつも井原と同じく何かを隠して、いや、偽っている。


銀砂から漂う底知れない圧力に言葉を呑む。軽薄なのは俺の方だった。

愛機を人質に取られた俺は……そのまま否定も拒否もせず、ただ黙って銀砂の後を付いていくのだった。


「……歓迎するよ、赤頭君」


そして時は進み、今。


銀砂に言われるがまま帰路から外れ、明治通りを愚直に進み続ける事およそ十分弱。池袋一丁目のやや閑静な住宅街の中に、その建物はあった。


そこそこの築年数だろうが、真白い外壁も相まって新古はっきりとしない三階建てのオフィスビル。ビル内の階段を上がり三階へ。


辿り着いた扉の前で、銀砂が必要以上に時間をかけてノブを捻る。そして中へ。妖しい笑みを浮かべながら手招きをされるが……当然、俺はその場に立ち尽くす。こいつの意図が微塵も垣間見えないまま連れてこられた謎の建造物の中に、誰が躊躇なく足を踏み入れられるだろうか。


……しかし、銀砂は有無を言わさず俺の右腕を掴み、信じられない程の力で引き寄せた。体勢を崩しながら情けない呻きと共に、部屋の中へと入ってしまった。


「っ……!!」


目の前に広がるのは、いかにも”オフィス”然とした広く無機質な空間。まだ明るいが窓はアルミブラインドで蓋をされ、代わりに白色灯が室内を照らしていた。


中央に幾つかの長机がコの字型に並べられており、入って右手に見える巨大なホワイトボードに対して口を向けている。入って左手、部屋の奥の方には本棚が乱立しており、よく見ると漫画、小説、写真集などが一切のジャンル分けをされずギチギチに入れられている。敬虔なA型の人間が見たら発狂してしまうだろう。事実、俺は発狂しかけて即座に目を逸らした。


そして驚いたのは……奥の長机に肘をつき、正面から俺を見据えている一人の男。


「やあ、ごきげんよう」


「あ、紅咲(あかさき)……!?」



井原に負けず劣らずの甘いマスクと目を惹く赤髪。二年に上がったばかりでありながらサッカー部主将を務め、学業に於いても常にトップ争いに名を連ねるまさに文武両道の男、紅咲(れん)。しかし……学内で浮いた話は一切出てこず、これといった友人も見当たらない。かと思えば、いつぞや行われた吉井と井原の三番勝負では横入りして場を進行し、大敗を喫した吉井に対し大々的なフォローを入れたりなど……いまいち掴みどころの無い男である。


そんな紅咲が、何故ここに……



「自己紹介は後だ。まずはそこの椅子に掛けてくれ」



疑念渦巻く中、横に立つ銀砂が思考を遮る。指し示す手の方向を言われるがまま進み席に着く。ホワイトボードの正面。言うなれば上座だ。


借りてきた猫の様に警戒心剝き出しで周囲を見渡す。四隅に置かれた観葉植物、シンプルな壁掛けの時計、左側に座る紅咲。そして……



「うぉっ!!?」



右側にも一人座っていた。……PCを開き、死んだような双眸を湛えてキーボードを叩く長身の女性。ダボっとした黒いパーカーを着て、首には同色のチョーカーが巻かれている。髪は黒髪ボブだが紫のインナーカラーが垣間見える。耳には夥しい量のピアスを開け、どうやら下唇にもリング状のものが貫通している。


そして傍らには”最強!四半世紀分の鉄分!”と書かれた飲みかけのパックジュースが置かれていた。………薬事法フルシカト過ぎるだろ。どこで売ってるんだよ。


ついジロジロ見てしまったが、彼女は表情を変えず俺の方を見もしない。取り憑かれたように液晶に視線を落としている。明らかに歓迎されていないが、その様子は少しだけ親近感を抱かせた。


これで、現時点で部屋に居るのは銀砂、紅咲、俺、そして名も知らない謎の女の四名だ。


「さて、赤頭君。色々と聞きたい事はあるだろうが……まずは私から質問させてくれ」


ホワイトボードの前に銀砂が立つ。


「………何だよ」


「君は先ほど、井原君の事を尾行していたな?………何故だ?」


「………」


何だ……?これは……。


まず、このオフィスは何だ?この得体の知れないギャルは誰だ?彼女は勿論の事、銀砂と紅咲の関係は?俺は何故連れてこられた?井原を尾行していた理由を、わざわざこんな隔離された場所で問い詰められるのは何故だ?俺は、何を試されている……?


「………少し、質問を変えようか」


困惑する俺の様子を見て、銀砂は嘆息した様子で言う。


「君は、井原ヒロの()()()()()()?」


「っ………」


核心を突いた質問に肩が跳ねる。


……恐らく、コイツは全て分かっている。俺が尾行していた理由も、俺が井原に感じていた疑念も。自ら墓穴を掘らぬよう、回りくどい質問で俺を探っているだけだ。


という事は、紅咲も……?それに、この謎のギャルも井原の()()を知っているのか……?

そもそも知っているなら……いや、それが事実なら、どうして銀砂は……


「悪いが、答えるまで君を帰す訳にはいかない。赤頭君………答えてくれ」


観念……というか、そもそも隠す理由は無い。一体こいつらは井原にとっての何なのか、何が目的なのか。俺の答えでそれが分かるのなら、という好奇心をどうしても拭う事が出来なかった。


「…………井原は」


キーボードを叩くギャル以外、銀砂と紅咲が注視する中、俺は口を開く。


「井原ヒロは、()()()()だ」


「………ほう」


もし”井原は女性で、彼らはその事実を知っている”という仮説が間違いであれば、俺の勘ぐりは井原にとって傍迷惑な誤解を広めてしまう。故に仔細は省き、敢えて説得力を欠いた極論の様な言い方をした。


しかし……眉を顰める事すらしない銀砂と紅咲の顔を見て、その仮説は確信に変わる。

墓穴を掘るんじゃないかと肝を冷やしたが、杞憂だった。俺は一呼吸おいて言葉を続けた。


「何故かは知らないが、性別と、恐らく名前も偽名だ」


そこで言葉を止める。しかし銀砂は腕を組んだまま、()()()を促すかのように俺を見つめていた。


「………他には?」


「っ………そ、そしてこれもあくまで推測、碌な根拠も無い俺の妄想だが……井原は………吉井に、好意を抱いている。それも、恋愛感情にも近い程の」


「何故そう思う?詳しく聞かせてもらおう。……包み隠さずな」


銀砂の問いに、俺は今まで抱いていた井原に対する心象の全てを語った。井原が度々、吉井に示した表情、時折垣間見える女性的な口調、そして先ほど教室で問い詰めた際に発した言葉。尾行の末……迷子だった男の子に『おにいちゃん』と呼ばれた瞬間 顔に浮かべた逡巡。話していく度に一つ、また一つと無意識下で感じていた疑念が形を得て行く。


どうやら俺は始めから井原ヒロに対して、言い知れぬ違和感を抱いていたらしい。


「………以上だ」


「………」


俺が羅列した言葉を呑んで、彼らはただ黙している。

次に口火を切ったのは紅咲だった。


()()、その推測が当たっていたとしたら……これから君はどうする?」


「……………どうもしねぇよ」


この邪推が当たっていたとしても、俺はそれを晒し上げるつもりはない。無論、吉井に伝える事もない。


井原は女性で、本当は銀砂ではなく吉井に好意を抱いている。そしてそれらの事実を全て銀砂が知っているのなら……彼女と井原は恐らく恋人ではない。つまり、吉井の恋はまだ終わっていないのだ。


だがそれを吉井に伝えたとして、()()()どうなる?


わざわざ不本意な男装をして偽名を用い、果てには銀砂の彼氏として振る舞う理由は分からない。だが、あの表情に偽りはない筈だ。彼女は吉井に惚れている。きっと何か、深い事情があるのだ。それを我が物顔で暴いてしまえば……一つの恋を進める代わりに、もう一つの恋を止めてしまう気がしてならない。


それは俺の矜持に反する。視聴者として、読者として、目撃者として。誰かの物語を狂わせる資格など微塵も無い。


「そうか」


暫しの沈黙。紅咲が銀砂を一瞥し、頷く。

それを見た彼女は小気味良い足音を室内に響かせながら俺の下へと近づく。再び身体に緊張が走った。


やがて足音が止まり、銀砂は眼前の机に両手を叩きつけて深く息を吸う。


「………合格だ」


「…………は?」


その瞳は、何故か輝きに満ち満ちている様に見えた。


「改めて歓迎するぞ赤頭市狼!!今日からお前は、我々の同士だ!!」


「……………はぁ!?同士!?なっ……何だよいきなり!!?」


言っている意味が分からず声が上ずる。銀砂は、構わず俺の手をあり得ない力で握り込んだ。


「っていうかそもそも………お、お前ら一体……何なんだ!?」


「知りたいか?ならば教えてやろう。………紅咲!!」


言葉に釣られて紅咲を見る。彼もまた、やたら満足げに微笑んでいた。


「我々は、この世を彩る”純愛”に手を差し伸べる事を使命に生まれた組織。銀砂さんを会長として……儚く危うい、吉井君と()()の恋を実らせるべく、日々活動している」


銀砂はホワイトボードへと駆け寄り、黒いマーカーペンを用いて、枠一杯に長たらしい英単語を脈絡なく書き連ね始めた。


「掲げる使命、並びに組織名は”Pure love(純愛には) Protection(手を),Disgusting(胸糞には) Death(死を)”!!略して”PPDD”……それだとなんか収まりが悪いから、PとDそれぞれ”Fold()”って事で”PDF”だ!!!よろしくな赤頭!!」


「僕も歓迎するよ赤頭君。ようこそ、PDFへ」


………どうやら今この瞬間を以て俺は、何かモッサリとこじつけた感じの変な名前の組織に加入させられてしまったらしい。あまりに突飛で不可思議な事態に脳が付いていけず、只々口を開けて放心するしかなかった。



「よろしく~」



ここに来て、謎のギャルが初めて声を発する。意外にも澄んでいて可愛らしい声だった。………そして、地味に歓迎されていたらしい。


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