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49話 揃ったピース

井原ヒロ、彼とまともに話をしたのは、今この瞬間が初めてだった。


それまで俺が奴に抱いていたイメージはズバリ”冷徹で寡黙”な男。必要以上の事は語らず、黄色い声で持て囃す有象無象には目もくれない。故に、たった今見せた彼の表情と発した言葉は、稲妻に撃たれたかのような衝撃を俺に齎した。


『弌茄君をよろしくね』


……奴も、吉井と接触する機会は殆ど無かった筈。それなのに苗字ではなく名前で……?しかも、最後に見せた顔はどこか、慈愛に満ちた様な柔らかささえ湛えていた。


”人は見かけによらない”などという常套句で括るつもりはない。奴の見せた表情は、もはや豹変と言い換えていい程だった。あまりにも、抱いていた人物像と辻褄が合わない。


「なんで、急に………」


………いや、良く考えれば、()()()()()。記憶を掘り起こす。


椅子から落ちそうになる彼を吉井が抱きかかえて救った時、井原はどんな表情を浮かべていた?


階段の踊り場で、突然妹の名前を出し『メイド服、どうだった?』という謎の質問。それに『似合っていた』と吉井が答えた直後、井原はガラス窓の中でどんな表情を浮かべていた?


他にも、心当たりは無数にある。すれ違った時、視線が合った時、風聞を耳に入れた時……。彼が吉井に対して浮かべていた顔は、どんなものだったろうか。



「…………」



どれも、同じだ。目尻が垂れ、口元は緩み、仄かに朱に染まった相貌。今しがた見せた表情も同じだった。


おかしいじゃないか。お前は俺の親友の幼馴染を寝取った悪辣な間男の筈だ。何故、吉井に対して()()()()が出来る?


途端に俺は奴の事が分からなくなった。と同時に、知りたくなった。


”踏み込むな”と再三に渡って自戒していたにも関わらず、俺は、慌てる様に帰り支度を進め、井原ヒロの後をひっそりと追う事に決めた。







「………マジで何やってんだ、俺……」



校門を抜け、街に出る。井原の姿はすぐに発見できた。その美しさに道行く往来から何度も二度見されつつ、奴は歩を進めていた。


十数メートルの距離を取りながら、時に電柱、時に自販機等に隠れて俺は井原を尾行する。


何が悲しくて男の尾行なんぞやっているのか自分でも分からない。後を尾けた所で井原の何が分かるというんだ。衝動に任せた完全なる愚行である。


相変わらず鬱蒼と人の集る都会の街。暑さにうだり、時に迫りくる自転車に飛び退きながら尾行を続けた。



「あっ!」



すると突然、前方で幼い声がした。意識を向けると、年端も行かない五歳くらいの男児が石畳の上に尻餅をついている。


……どうやら歩道を爆走していた矢先、勢い余って人の足にぶつかってしまったようだ。


しかも……その衝突相手は、井原ヒロだった。奴は往来の中で一人立ち止まっている。


驚きが痛みに勝っていたのも束の間、男の子は徐々に目の端に涙を浮かべ始める。そこからは一瞬で、傍若無人に慟哭してしまった。……子供は苦手だ。自らに起きた不利益の根幹を検めもせず、いかに自分に非があろうとも構わず被害者面をして泣き、縋ろうとする。通ってきた道だと言われればそれまでだが、俺の置かれていた環境との違いをまざまざ見せつけられているようで、苛立ちすら覚えてしまう。我ながら、救いようのない矮小な人間だ。



「………」



無意識の内に、井原の反応を予測していた。


……『空気を叩きつけるような舌打ちの後、一瞥もくれずにその場を立ち去る』。大方、奴の反応はこういうものだろう。蓄積したマイナスイメージから導き出された、ある意味での贔屓目は、奴を子供にも容赦しない鬼畜男に仕立て上げていた。


「ごっ……ごめんね!!大丈夫!?怪我してない!?」


「………は?」


青天の霹靂とは、まさにこの瞬間を指すのだろう。俺の予測はものの見事に砕け散る。


井原は、足を止めてその場にしゃがみ込む。そして泣きじゃくる男の子の頭を撫でながら、まるで我が子の身を案じるかのような焦燥を露わにしたのだ。


「頭とか、打たなかった!?どこも痛くない!?」


「うっ………うん……だいじょうぶ………」男の子は涙を拭いながら、井原に答える。


「……お家の人は、どうしたの?」


「…………わかんない。おかあさんと()、つないでたけど……はなれちゃった」



人混みの中で繋いでいた手が外れてしまい、母親とはぐれてしまったようだ。家族を見失ってから、一度は好奇心に任せて街を走り抜けていたのだろうが……井原の問いに答える最中、自分が今孤独であることを自覚し、男の子は再び泣いてしまった。



「なっ……泣かないで!お母さんと、どこまで一緒にいたか覚えてる?」


「うっ……うぅ~~~………。お、おっきいクマさんが、ふうせんもってるところ……。おみせからでて、すぐ………」


「大きいクマ……?着ぐるみかな。クマさんがお店の入り口にいたの?」


男の子は無言で頷く。井原は、懐からスマホを取り出した。男の子が離れないよう手を握りながら、誰かに電話をかけている様子だ。


「あ、お疲れ様です。………ごめんなさい、今日、バイト遅れるかもしれません。……はい、ちょっと用事が出来ちゃって………あ!全然、体調崩したとかではないですよ!?……だっ、大丈夫ですって!心配し過ぎですよ!!………はい、はい。さえちーにも予めRUINで伝えるつもりです。ご迷惑お掛けします。………だから大丈夫ですって!!ご飯食べてます!眠れてます!!実家の母か!!」


謎の人物との会話を数分繰り広げた後、彼は通話を切る。それからまた別の誰かにトークを送る素振りを見せて……漸く、スマホをポケットに仕舞った。


「待たせてごめんね。………じゃあ行こっか!」


「………どこに?」


「お母さんを探しに、だよ!大丈夫。絶対見つかるから!一緒に探そう!」


手を繋いだまま、立ち上がる。男の子は暫く放心した後、安堵を含んだような顔をして「うん!」と力強く返した。


二人は、取り敢えず男の子が走ってきた道を辿り始める。


「………」


予想外の展開に迷いが生じる。……これ以上続けるか?

……今の時点で既に過干渉だ。尾行など、人間観察の範疇から大きく外れている。勘付かれてしまっては元も子もないし、子供の事は彼に任せて、ここいらで手を引くべきだ。


「…………いや」


だがやはり、どうしても井原から目が離せない。いつもの中性的だが鋭く低い声色ではなく、柔和で慈愛に満ちた様な……はっきり言って、女性的な声。


一体、()()()()が本当のお前なんだ?……もし、吉井やあの男の子に見せた表情が真だとしたら、普段学校で見せている姿は何なんだ?



気付けば、また俺は彼を尾けていた。まるで、括られた糸にでも引き寄せられるように。







二人の母親探しは、意外にもすぐに終局を迎えた。


どうやらかなり用心深い家庭だったようで、男の子の私物に迷子防止用の小型GPS発信機が付けられていたらしい。それを追う母親と道の途中で鉢合わせし、再会を果たした。捜索開始から約五分後の出来事だった。


深い安堵の末に涙ぐむ母親と、さっきまでの慟哭が嘘のように笑顔で跳ねまわる男の子。母親はひとしきり息子を抱きしめた後、井原に対して何度も頭を垂れた。


「本当に、ご迷惑お掛けしました……!」


「い、いえ!私……俺はなにも……。じゃあ、失礼します」


「えっ?あ、あの!是非とも何かお礼を……!」呼び止める母親を背にして、井原は手を振りながら来た道を戻る。


「お気持ちだけで十分です。では!」


その時、今度は母と手を繋いだ男の子が井原を呼ぶ。


「おにいちゃん!!」


「っ……!」彼はその言葉に足を止めた。


「ありがとう!!ばいばーい!」


「………どういたしまして。バイバイ」



穏やかな笑顔で、井原は手を振り返す。再び歩き出した彼は、電柱に隠れていた俺のすぐ横を通り過ぎた。かなり肝を冷やしたが、バレてはいない。深い息と共に肩を撫でおろす。



「井原………」



視界に映る彼の背中。バイトに急ぐのだろう。次第に歩幅が広がり、足音がせわしなくなっていく。気づいた時には人混みに紛れ、完全に見失ってしまった。


………最後に見せた、男の子から受けた感謝の言葉に対する彼の表情。


いや……その前だ。『()()()()()()』と呼ばれた直後に見せた表情。そこには微々たる驚きと……悲哀の様なものを湛えていた。



「………」



脳内に散らばっていた幾つものピースが、その瞬間音を立てて嵌まっていくのを感じる。


普段の姿とのギャップ、吉井に対して度々見せる”好意”にも近い表情、スイッチを切り替えたが如く柔和な声色、そして……男の子の言葉に対して見せた驚きと悲哀。


もしかして、井原ヒロは………





「白昼堂々、尾行とは。中々良い趣味をお持ちで」


「っ!!?」


意識外から突如、耳朶に触れた声。反射的に後ろを振り返る。

声の主を見た瞬間……俺は思わず目を見開き、呻くようにその名を口にしていた。


「し、銀砂………!!?」


「私の恋人に、何か用かな?……赤頭君」


そこに居たのは、俺達よりも先に校舎を出た筈の銀砂聖海だった。


彼女は不気味に嗤っている。たった今得た、俺の直感の全てを見透かすように。

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