5話 バラ色だった日々
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十年前……当時七歳だった私は、夏休みの一か月間を東京で過ごした。
理由は何てこともなく、母の実家がこちらにあって、やたらと人生経験させたがりな父により出された、”知らない土地で過ごすことで学ぶこともあるだろう”という気まぐれな提案の下、半ば強制的に送り込まれただけ。実家にいた母方の祖父母はとても優しかったけど、幼い私には、慣れない環境はどこか不安で、不気味で、退屈だった。
聖海ちゃんとは……ある日の昼間に家から抜け出して、適当に近くを歩いていて辿り着いた公園で出会った。
「お!!いいぞ!!その調子だ!!」
どこかの川で取ってきたザリガニの胴体にタコ糸を巻いて、頻繁に水を与えながら砂場を散歩させるというエキセントリックな娯楽に一人で興じていた彼女は、見慣れない顔の私を見るなり近づいてきて……『今から友達ね!!』と、友好関係を選択肢すら提示せずに強いてきた。
そこから、ザリガニを一旦水の入ったバケツに入れた後……私について根掘り葉掘りと聞いてきて、いつしか私も彼女に興味を持ち、結局その日は夕方まで話し込んでいたっけ。
「あ、そろそろ帰らなきゃ………じゃあね、まりなちゃん」
「えぇ~~~もう帰っちゃうの?これから隣町の川にザリガニ戻しに行くのに」
彼女はバケツを掲げつつ、露骨に落ち込んだ表情を浮かべる。
「隣町産のザリガニなんだ………」
「あ!!じゃあ今度はわたしの別の友達も連れてくるから!」
「え?べ、別の……友達?」
「うん!おとこのこなんだけど、すんごい面白くてぇ……」
”おとこのこ”という単語に体が反応した。
「お、おとこのこは……ちょっと、嫌……かな」
当時の私は、異性が苦手だった。
群れる時だけ野蛮でうるさくて幼稚で、目先の異変を指差してはケラケラと笑う。
生まれつきだった金色の髪、青い瞳。それを個性ではなく異物だと、最初に弾いたのも男の子達だった。幼い私は当然、それを無邪気と括って納得するだけの余裕も人生経験も持っていなかった。
今思えば、この認識は……後に知る一族のしきたりに対する納得をより深める一因となった。
「えぇ!!?なんで!?いーじゃん別にーーー」
「二人っきりなら……また遊びたいな!じ、じゃあね!!」
「あ!ちょっとまってよ!!いばら!!」
ごねる彼女をそのままに、私は公園から逃げるように走り去る。………その時
「こら!!!またあの川からザリガニ取ってきたのかお前!!!やめろっていっただろ!!」
「げ!!!イツカ……!」
走りながらふと振り返る。すると、どこからか現れた一人の少年が……聖海ちゃんを叱りつけていた。
「あの川じゃないし!!隣町の川だし!!!」
「隣町の川だからって首を縦に振る訳ないだろ!!」
「う、うるさいうるさい!!」
「いいからさっさと戻しに行くぞ!!……どうせまた散歩させてたんだろ!?まったく、干からびちゃったらどうするんだ!!」
「今もバケツ入れてるし、散歩してる時だって文字通り浴びるほど水あげてたもん!!」
「説教受けてる奴が”文字通り”とか言うな!!いいから来い!」
叱られて、不貞腐れた表情を浮かべる聖海ちゃん。そこで、突然思い出したかのようにこちらを笑顔で振り返り、口に手を沿わせながら大声で叫ぶ。
「あ!!いばらーーー!!!こいつ!!こいつが別の友達だよ!!」
「………」
彼と目が合った。……そのまま帰ってしまえばいいものを、私はついその場で立ち止まってしまう。
「ほらイツカ!!あのこ、私の新しい友達!!」
「友達……?!本当かそれ?毒ザリガニに噛まれて幻覚見てるんじゃないのか?」
「噛まないし毒もないよザリガニは!!ほら見ろ!!あそこ!!」
「あ、本当に人がいる………!!……きみ!!本当にこいつの友達なのか!?」
遠い距離から、私に問う。彼の眼は見れなかったけど、逃げようもないので……最低限の声量で答えた。
「う、うん。友達………だよ」
「…………そうか」
そう言った声色が、あまりにも優しくて……思わず私は、弌茄君の顔を見た。その時の彼はどことなく嬉しそうで、溢れる笑みを堪えきれていないのが分かった。
その時、なぜ心臓が早く動き始めたのか……今ならはっきりと答えが分かる。
「んじゃ、こいつのことよろしくな!!ついでに、俺とも友達になってくれよ!!」
「………」
……絶対に、そこからだ。私の気持ちは。碌に顔も見たくないハズの異性、彼の穏やかで暖かい瞳から、一瞬たりとも視線が外れなかった。
日頃、私を虐げてきた男の子達とは違うから?……いや、今日に至るまでの過去がどんなものだったとしても、彼に対するこの気持ちと返答だけは変わらなかっただろう。
「……うん……!!よろしく……ね」
この恋は、決して相対的なものじゃない。私が見つけて、私が選んだ運命。
それが弌茄君との、最初の記憶。
◇◆◇
「……なのに……!!!!なのになのに!!なのにぃ〜〜〜〜〜〜!!!!」
”間男認定事件”の日の深夜一時。
借りているアパートの二階、その角部屋にて私は布団を頭から被りつつ叫んでいた。あの一件から私はまともに会話もできない程落ち込み、必死で慰めようとしてくれた聖海ちゃんからも逃げるように帰宅した。
そして今……奥底から湧き上がる感情は、怒りだった。
「そりゃあ多少大人にもなったし?ましてや思いっきり男装してるけどさ?ちょっとくらい何か感じてくれても良くない!!?『俺達……どこかで会ったか?』のくだりはやってくれても良くない!!?」
隣と真下が空き部屋なのを良いことに、言いたいことを好き勝手大声に乗せる。
そもそもバレないように男装しているので現状何の問題も無い筈だが、実際あそこまで全くの他人として扱われ挙句の果てには間男認定されてしまうと、流石の私も精神的に大ダメージを受けざるを得ない。
「……………あーあ………何やってるんだろ私……」
暴走して回りくどい手段で彼に近づいて、でもいつしか彼は聖海ちゃんを好きになってて。そして私が聖海ちゃんを寝取ったみたいな認識を………いやもう全部私が招いた結果なんだけども。それに逆ギレしてるだけなんだけども。
「………いいな、聖海ちゃんは」
聖海ちゃんは友達。なのに……今は、今だけは彼女が羨ましくて仕方がない。……正直に言って、妬ましさも隠せない。
私の知らない弌茄君をたくさん知っている。私に向けられない想いをたくさん向けられている。私の言って欲しかった言葉を………
「だめだぁ~~~………!!!……このままだと更に嫌な人間になる………………お風呂入ろ……」
布団を放り投げて、脱衣所へと向かう。磨かれた鏡の前に立ち、帰ってきてからそのままの……つまり男装した自分の姿を改めて見る。
「ちょっとは面影あると思うんだけどな……」
いつまでもぐちぐち言いながら、さっさと服とウィッグを脱いでしまい微妙な寒さに震えながら浴室へ入る。……いつも通り体と髪を洗って湯船に浸かり、また体を流すルーティンを三十分かけて行い、再び脱衣所に出た。
「………」
まさか……そもそも昔の記憶なんて弌茄君は……
私との思い出自体、彼の中からキレイさっぱり消えて……
「っ……」
血の気が引くような感覚を、大げさに首を振るって搔き消す。そんなハズはない。そう言い聞かせるように。
そして濡れた髪を拭きつつ、やや曇ってしまった鏡に映る自分を一瞥した。
「……………まぁ、ちょっと難しい……かな」
ウィッグが外れ、姉から教わったバチバチのメイクも解け………髪は金髪のセミロングに、カラコンも取ったから瞳も黒から青に。……そして、さらしも巻いてないから、その……まぁ、あれでして。
こうして見ると四捨五入…………八捨一入しても、別人と言って割と過言ではないかもしれなかった。
………好き勝手言ってごめんなさい、弌茄君。