47話 豹変
夜の道を走り去るヘッドライトに照らされて、彼の背中へ伸ばした手が視界に映る。
隠しきれない汗と震えを自覚した瞬間、堰を切った様に鼓動が暴れ出す。
「……………」
あれ……もしかして私、今とんでもない事してる?
いきなり抱き着いて、告白……?!七千歩くらい過程すっ飛ばしてない?
……え、ていうか私告白しちゃった!?何してんの!?え、距離近っっっ!!ていうかゼロ!!!みみみ密着してる!!!?顔までくっついちゃってんじゃん!!!やばいやばいやばいやばい何何何何何死んじゃう死んじゃう!!!衝動に任せてなんて事してくれてんの私!!!うあああぁぁああ何も考えられん!!頭ん中わやじゃ!!爆発する!!!
「あっっ!!!あ、の………!!!ごっ……ごめん!!!弌茄君、やっぱり今のは………!!!」
自分がした行動に対し、遅れて理性が働く。動悸と火照りが起因の死すらも頭を過った結果、私は咄嗟に弌茄君から体を離し爆速で後退りした。
”やっぱり今のはナシで!!!”と弁明を図ろうとするが……どうしようも無い私は、本当の気持ちを嘘には出来ずに口籠る。
「………」
「い、弌茄……君……?」
薄く目を開ける。彼は何故か下を向いたまま微動だにしない。名前を呼んでも反応は無し。
……もしかして引かれた……?いや、そりゃあ引かれるだろ私!!間男の妹にいきなり抱き着かれて脈絡もなく告白されたらドン引きどころかドンドンドン引きだよ!!激安の殿堂じゃないんだから!!!つまんな!!!もうダメだ!!!!
でも、確実に明確に克明に”好き”と伝えてしまった以上、もう誤魔化せない。後戻りなんて……出来ない。
心にも無い言い訳で本心を蔑ろにするくらいなら……
「………………そ、そうだよ……」
もういっそ、今、全部ここで………!!!
「好きだよ………!!!大っっっ好きだよ!!!」
「………」
「あーーーー!!そうだよ好きだよ!!!私は弌茄君の事だーーーーーーっっっい好きだよ!!もう顔見る度に心臓飛び出そうになるし、一日中弌茄君の事考えてるよ!!!」
「………」
「会話の内容だって全部覚えてるし、口癖とか、よくする仕草とかも全部分かってるよ!!!そんでふと見た時にその癖が出てるの見て”あ、またやってる!”ってニヤニヤしたりしてるよ!!!悪いか!!!」
「………」
「学校で友達と”俺達って本当モテないな……”みたいな話よくしてるけど、私がいるんだからいいじゃん!!!まぁ弌茄君は聖海ちゃん一筋だから単に話合わせてるだけなんだろうけど……ってやかましわ!!!ここーーーーー!!ここにいるよーーーーー!!君のこと細胞レベルで好きな女がここにいるっつーの!!!」
まばらな通行人達から向けられる奇異の目などものともせず、私は溜め込んでいた積年の好意をあり得ない程のエゴに乗せて叫び続ける。
「弌茄君が”綺麗”って言ってくれたんじゃん!!弌茄君が”似合う”って言ってくれたんじゃん!!!弌茄君がこんなに好きにさせたんじゃん!!!責任取ってよ!!!もっと褒めてもらえるようにけっぱるから……弌茄君も私の事もっと見てよ!!!」
「………………」
「親の仇のように無視しないでよ!!!弌茄君ってば!!ねぇ……………」
これだけ呼び掛けているのに、弌茄君からの返答は一切無い。痺れを切らした私は今一度彼に近づいて、だらりと下りた右肩を少しだけ揺らしてみる。
すると、項垂れていた彼の顔がゆっくりと正面を向いた。……しかしその瞳から輝きは失われ、宛ら無機物の様に虚ろな淀みを宿している。真っ赤に染まった顔からは、ところどころ蒸気の様なものが立ち昇っていた。
「えっ……?い、弌茄……君……?」
「ハイ、ヨシイ・イツカデゴザイマスガ、ナニカ?」
微動だにしない音程と、必要以上に明瞭な滑舌。動画サイトの雑学チャンネルとかのナレーションで聞く様な、まさに機械音声としか形容出来ない声が彼から放たれた。
「ち、ちょっと弌茄君!?私本気なんだよ!?何でそんな口調に……」
「キョウノテンキハカイセイ、センタクモノハヨクカワクデショウ。チナミニ、オトメザノウンセイハサイアクデス。ウマニケラレテシニマス」
「ほ、本気の告白をゴミ星座占いで返さないでよ!!本当にどうしちゃったの!?……いくら弌茄君でも私……お、怒るよ!!?」
突然の変容に戸惑いながらも、まともに会話もしてくれない状況に抱いた不安と悲哀を”怒り”と評して、彼を脅してしまった。
しかし、それでも弌茄君の暴走は止まらない。
地面に置いていた、私と弌茄君がスーパーで購入した食材が入った三つのレジ袋、そこから私の分を徐に広げて一つずつ食材を取り出し始める。
「オヤ!ニンジン、タマネギ、ジャガイモ、カレールー!!オクサン、キョウノユウショクハ、ショウユラーメンデスネ!!?」
「カレーだよ!!!これほど盤石なカレー包囲網からどうやって抜け出してラーメン錬成するの!!?」
「コレハシツレイシマシタ。ウマニケラレテシニマス……」
「弌茄君やぎ座でしょ!!?」
ダメだ、完全に話が通じていない。
最初は死ぬ程おちょくられてるのかと思っていたけど、彼の眼は完全にハイライトを失っておりとても演技とは思えない。それに、人の告白をロボ化することによって煙に巻くような荒業を弌茄君がするとも考えられない。一体彼の身に何が起こってしまったのだろうか。
「い、弌茄君?」
「ハイ、ナンナリトゴメイレイヲ」
「完全にロボじゃん……ど、どうしよう……これ戻るのかな……」
先ほどと同様に肩を揺らしたり、頬を軽くつついたり、耳を少し引っ張ったりして物理的な刺激を加えてみる。しかし、その度に『ヤメテー』と腑抜けた抵抗を吐くだけで一向にロボから戻る気配は無い。
必要以上に触れるのは逆効果かもしれない。なら、自然と元に戻るまで待てばいいのだろうか。
もう一度距離を取る。さっきよりももう一歩遠く、ニメートルほど。……すると、これまで微動だにしなかった彼が、私に近づいてきた。
「う、動いた……!」
「ソンナニハナレテイテハ、アブナイデスヨオクサン」
「当然未婚なんだけど……」
試しにもっと離れてみる。彼は悉く私を追尾し、トリッキーな動きで距離を取っても同じ挙動で詰めてきた。……まさかさっきの一件の影響で、私を守ろうとするプログラムだけは残されているのだろうか。
「そんなポストアポカリプスに出てくる哀しい執事ロボ的な……いや、嬉しいっちゃ嬉しいけど……」
少なくとも、このままナビを使って歩いていけば弌茄君も私を追尾して、一緒に居住区まで戻れるかもしれない。この調子では、告白への返答など聞けそうも無いし……。
ついさっきまでめちゃくちゃ青春してたのに、何でこんなサブクエストみたいな状況に立たされているのだろうか。
半泣きでスマホを取り出す。ナビを起動し目的地に自宅を選択。徒歩で三十五分、距離にして五キロ。かなり遠くまで来ていたらしい。
「……………じゃあ、行こうか。ついてきて弌……ロボ弌茄君」
「ギョイ」
ロボ弌茄君の了承も得られた所で、踵を返して歩き出す。
しかし、進み始めたのも束の間。私達の後方から、耳障りの悪い酒やけた男の声が木霊した。
「あっっれぇ!!?君達、もしかして高校生ィ!!?」
「………」
振り返ると……ヨレヨレに着崩れたスーツを着た痩身の男が一人。二十代前半くらいでド派手な青髪と夥しい数のピアス。この街の雰囲気と合わせて推測するに、ホストとか夜の仕事をしている人間なのだろう。仕事終わりらしく、かなり酒に酔っていた。
「ってか君ぃ……めっっちゃくちゃ美人じゃん!!何でこんな所歩いてんのォ!?もしかしてデートかな!!?」
「……マジか……」
一日に二度もこんな状況に陥るとは。さすが大都会、治安が良い(皮肉)。嘆息しつつも男を無視して、再び歩き出す。
「ちょっとちょっとぉ無視しないでよォ!!こんな芋臭ぇガキとじゃなくてさぁ、俺とデートしようよぉ!!!」
人語を介する粗大ゴミに想い人をディスられた所で、誰が腹を立てるのだろうか。凪いだままの心頭を以て歩みを続ける。
「おい!!待てよこの………って、うおぉっ!!?な、何だお前!!?」
呆けた声色から一転、悲鳴にも似たような男の声を聴いて思わず振り返る。
視線の先には、ぴったりと私の後ろを付いてきていた筈の弌茄君がナンパ男に詰め寄り、右手一本で男の首を掴んで宙に浮かせているというカオスが広がっていた。
「えぇぇええぇ!!?い、弌茄君!?ななな何してんの!?」
「オクサンノキケンヲサッチシマシタ。ハイジョシマス」
「は、排除!?何だコイツ……は、離せこのガキ……!!ぐぇっ……」
先ほどの暴漢達を撃退した時とは違い、今の彼には一切の容赦さえ感じられない。ただ目の前の敵を抹消せんとする無機質な企みだけが彼を支配していた。
「弌茄君!そ、それ以上は死んじゃうって!!離してあげて!!」
「ダイジョウブデス。ゴブンノヨンゴロシデヤメマス」
「それはもうほぼ死んでない!!?」
「ジョークデス」
「ジョークかなぁ!!?本気に見えるんだけど!!?」
だが少なくとも半殺し以上の事をやり兼ねないので、私は痺れを切らし慌てて二人の元に駆けつける。思い切り首を絞めている弌茄君の指を一本一本なんとか外し、やっとの思いでナンパ男を解放した。
「ゴホッ!!ゲホッ!!ッッゴホッ!!ぅエェッ!!」
アスファルトに尻餅をつき、えげつない咳払いを繰り広げる男。大粒の涙を流しながら、しかし彼の瞳は怒りに満ち満ちていた。
「ッ………このクソガキ………絶対許さねぇ……」
男は立ち上がり、屹立したままの弌茄君に殴りかかる。
まずい。危ない。……弌茄君ではなくナンパ男が。
今の彼は私に迫り来る脅威を淡々と排除するだけの自動迎撃装置。このままでは本当に通りすがりのホスト男を半殺しにしてしまう。
私は二人の間に割って入り、走り迫る男と対峙する。
「おい、どけ!!!そのガキぶっ殺してやる!!!」
「…………ウチのロボが……すみませんっっ!!!」
私は地を踏み込ながら体を捻り、渾身の力で右拳を振り上げ、そして突き出す。
「うぉあああぁああっっっ!???!!?」
男の顔面スレスレで動きを止めた拳は、周囲に漂う空気を切り裂いて爆風を発生させた。それは男の体を放たれた銃弾が如く吹き飛ばし、周囲の木々を小枝が如く揺らし、遥か遠くに見える駐輪場に並んだ自転車さえも、子供に荒らされた玩具が如く弾き飛ばした。
地面に体を叩きつけられた男は、数十秒の間隙を以て身に起きた事態を把握し、顔を真っ青に染め上げる。
「…………は………?」
「酔い……覚めました?」
必要以上に怖がらせない様、最大限高い声で呼び掛ける。
しかし、男は生まれたての偶蹄類の様に立ち上がると、全身を震わせながら金切り声を上げた。
「イッ………イヤァアアァァアア!!!」
「えっ!?ち、ちょっと………」
「バッ……化物!!!化物カップルだぁぁぁああぁあ!!!」
その場から死に物狂いで走り去り、みるみる内に小さくなっていく男の背中。
ふと周囲を見ると、爆風で着崩れてしまったスーツや私服に身を包んだ通行人たちが、唖然とした表情を浮かべて立ち尽くしていた。
「カ、カップル………見る目あるな……あの人……」
意外にも良い審美眼を持っていたホスト男に、思わず称賛の声が漏れ出ていた。
「あのー……ちょっといいかな?君たち……」
再びナビを開き、帰宅を再開しようとしたのも束の間。またも背後から若い男の声が耳朶に触れる。
……今日で三度目。いい加減煩わしさを通り越して辟易した私は、大きなため息を吐きながら振り返る。
「何ですか……?もういい加減に……!」
しかし、目の前に立っていたのはチャラついた金髪男でも、タトゥー塗れの巨漢でも、酒に酔ったホストでもなく。肩まで着崩れてしまった制服に身を包む、一人の警察官だった。
「この辺で、"叫びながら告白してる謎の女性"と、"酒に酔った男の首を締め上げてるロボみたいな謎の男"がいるっていう悪夢みたいな通報があってね……。君たち、何か知らないかな?……っていうか君、今何したの……?拳の風圧だけで街吹き飛ばしかけてた様に見えたんだけど……もしかして本官、悪夢でも見てる?」
警官は額に浮かぶ冷汗をそのままに、引き攣った表情を私に向けている。
「……………それは、醒めない方が良い夢ですね」
三十六計逃げるに如かず。私はロボ弌茄君の体を持ち上げて、有無を言わさずその場から走り去る。
「あっ!!!ち、ちょっと!!おい!!待ちなさい!!!待て!!!!」
「キョウイヲサッチシマシタ。ジンソクニハイジョシマス」
「公務執行妨害の方が脅威だよ!!!」
私たちは再び、夜の街を駆ける。
そして、心地よい夜風を浴びながら一つの事実を思い出す。
「そういえば私……おとめ座だったな………」
「ウマデハナク、バビロンノイヌニケラレルトコロデシタネ!!ハハハハハ!!!」
「しょーもな!!てか、弌茄君も走ってよ!!!」
どんなラッキーアイテムを小脇に抱えていれば、有耶無耶になった告白と補導を掛けた鬼ごっこを避けられたのだろうか。
少なくとも、"下手なブラックジョークでオチを付ける変なロボに変わり果てた想い人"、とかではないようだ。




