46話 ヒーロー
「はぁっ……はぁ………!」
どのくらい走ったのだろうか、私達はほぼ同時に限界を迎えた。
高層マンションの麓に広がる公園の入り口で足を止め、膝に手を突き、荒れた呼吸に身を任せた。
「こ、ここ何処……!?」
汗だくの顔で周囲を見渡し、か細い声を上げる弌茄君。夥しい数のオフィスビル、立ち並ぶ居酒屋やチェーンレストラン、妖しい光を煌々と放つ謎の看板。道を闊歩するのはスーツを着た初老の男性や、派手な私服に身を包んだ淑女達ばかり。闇に賑わう街並みに感じる肩身狭さは、”大人の”という稚拙な冠詞に纏める事で初めて腑に落ちるのだろう。
要するに、
「わ、分かん……ない……ハァ……はぁ……っ」
「だよね………!」
二人とも足を踏み入れたことが無い街。私一人だったら、いつか聖海ちゃんが言っていたように爆発四散していたかもしれない。
「ていうか……ハァッ……ヒ、ヒナタさん、めちゃくちゃ体力あるね……!!肺活量には自信あったけど……はぁっ……息切れ止まんないわ俺……」
「えっ!?わ、私!?」
既に呼吸が整い始めている私を見て、弌茄君が感心した様な表情で言う。
「い、いや……!!やせ我慢してただけだよ!……ハァ……ハァッ……!!ほら!!めっちゃ息切れてるよ私!!ハァッ……!!ハァーーーッッッ!!」
「息切れというより咆哮では……!?」
正妻希望の乙女が全力長距離スプリントに耐えうるタフネスを持っていて良い筈がない。私はハッとして、ワザとらしい深呼吸を再開した。
暫くして、弌茄君の呼吸も元に戻る。それに合わせて私は渾身の演技を止め、汗を拭いながら口火を切った。
「あの……」
「な、なに?ヒナタさん」
「あっ……ありがとう、弌茄君。その……助けてくれて……」
勢いに任せて走りだしたが、いざ立ち止まると……あの時の弌茄君の姿、発していた言葉、ついさっきまで繋いでいた手の感触が一気にフラッシュバックしてしまう。まともに目を合わせれば全身から火を噴いてしまう気がして、なんとも腑抜けた口調になってしまった。
「いっ……いやいや!!俺は全然……むしろ余計な事言って怒らせちゃったし……。怖い思いさせて、ごめん」
「あ、謝らないで!!……全然怖くなんてなかったよ。い、弌茄君が……来てくれた……から……」
顔は見れないまま、しかし抱いた感情を克明に伝える。何故か弌茄君は照れ隠しするような咳ばらいをして、私と同じく明後日の方向に顔を逸らしてしまった。
「………ていうか弌茄君、あの最後のセリフ……もしかして、アグナムから引用した?」
「えっ!!?」
「『本当に死にかけるのはどんな気分だ?』って。アグナムの四十二話で、劇中初めてブチ切れた主人公が肉親の仇のラスボスに言ってたセリフでしょ?」
虫も殺さない程に温厚だったハズの主人公のカケルが冷徹な眼差しで放った一言は、当時SNSでもかなり話題になった。
大男に拳を寸止めした直後、私は彼の言葉にすぐピンときた。
「…………うっっっわ!!そうじゃん!!!恥っっっず!!」
爆発した様な赤面を両手で抑えつつ、仰け反りながら叫ぶ弌茄君。
「む、無意識だったんだ……」
「必死だったのよ!!!口喧嘩すらした事ないからこう……ああいう時に何て言ったら退いてくれるか分かんなくてさぁ!!必死だったのよアタシ!!!」
「何で天井さんリスぺクトみたいな口調に……?」
「うわぁぁああぁぁダメだ!!!思い出したらダメなやつだ!!!激烈に痛ぇオタクじゃねぇか俺!!!忘れてくれヒナタさん!!!」
「それと……顎揺らして脳震盪起こした動きも二十八話の戦闘シーンとそっくりだったし、セリフで言えば『俺もお前に怪我させたくない』ってのも三十七話でカケルが執筆してたやっすい少女漫画の主人公のセリフから引用してたよね!」
「ぐわあああぁぁぁああぁぁぁ!!!!俺を殺す気か!!!やめてくれって!!!」
大人の街にて悶絶し、挙動がバグったNPCの様にのたうち回る彼。当然貶める気なんて更々ないんだけど……何故そんなに恥ずかしがるのだろうか。
「殺しておくれ……殺して……おくれやす………」
「な、何で!?あくまで私もアグナムファンとしてパロディ部分の答え合わせをしてるだけで……」
「”パロディ部分”って言わないで!!答え合わせという名の公開処刑だよ!!」
「処刑!?……で、でも本当にカッコよかったよ弌茄君!!」
アスファルト上で跳ねまわる彼の手を取り、そう告げる。触れた瞬間、彼の身体が大きく震えたが、その後は挙動が落ち着いていき……漸く暴れ狂うのを止めてくれた。静かに上体を起こしてこちらに顔を向ける。
顔は腫れあがった様に真っ赤なまま。視線は合っているけど、明らかに泳いでいた。
「私、馬鹿になんてしてないよ。だって弌茄君のお陰でこうして無事でいられてるんだもん。……何回でも言うけど………本当に、カッコよかった。ありがとう弌茄君」
「っ………」
本心である事がやっと伝わったのか、今度は目を逸らさずに言葉を受け止めてくれた。
「……………あ、あはは………だっ……伊達にライダーオタクやってないからな!憧れて鍛えてきた甲斐があったって事かも!!!ははははは!!!」
突然、弌茄君が高い声色で笑い出す。自分を茶化す様に。……照れ隠しで吹っ切れた振りをして、自分に向けられた感謝を煙に巻くかの様に。
「いやぁ、アグナムファンのヒナタさんに”カッコよかった”なんて言ってもらえて光栄だよ!!!そんだけ上手くパロディ出来てたって事かなぁ!!?ははは……!!」
どこまでも捻くれた、いや、どこまでも素直で純朴で、そして自分に自信が無い。………そんな感想を抱くのは今日で何度目だろう。
あれほど焦がれて、たった一つ言葉を掛けるだけでも心臓が暴れてしまう程緊張して。永く空いた時間も相まって、何処か遠くに感じてしまっていた彼の存在。でも今はこんなにも近い距離で、手を取って話が出来る。
「………違うよ弌茄君」
それは決して憧れが霞んだ訳じゃない。むしろ憧れのせいで彼との距離が霞んで見えていたのだ。それが、彼を知る度に晴れていく。何も恐れる事は無い。弌茄君も私と同じで、まだ自分の事を分かってないんだ。伝えたければ伝えれば良い。触れたければ触れれば良い。彼はこんなにも近くに居る。
「借りた言葉でも、真似た動きでも。助けてくれたのは……助けようって思ってくれたのは、弌茄君でしょ?」
「そっ……それは……」
「………私は、弌茄君がカッコ良かったって言ってるの」
重ねる手をもう一つ。彼を引き寄せて、もう決して目が逸らせない程に近くまで。
分からないのなら、分からせれば良い。君が私にしてくれた全ての事に、私がどれほどの愛おしさを感じているのかを。
「っ……!!おっ……俺が……って………ど、どういう……」
「そのままの意味だよ。弌茄君は優しくて強くて、カッコ良い」
「カッ……………あ、あはは……!!てっ……照れるなぁ……!!!?ヒーロー……みたいな事!?そそそそそんな器じゃないんだけどなぁ~~~……!!」
「…………やっぱり、まだ分かってない」
気付けば、体が彼に抱き着いていた。
人目も厭わず背中に腕を回し、体裁など忘れてただ必死に引き寄せる。
お互いの頬が触れ合って、耳に呼吸が触れ合っていく。
妖しい”大人の”街の雰囲気がそうさせたのだろうか。いや……これはきっと、全部弌茄君のせいだ。
「ちょっっ……!!!え………っ!!?」
「こんな簡単に油断するヒーローなんて、いないでしょ?………弌茄君はただの男の子だよ。恋敵の妹をつい無意識で助けるほど、呆れるくらいお人好しな……ね」
「あっ……あ、あの………!ヒナっ………」
「………テレビで見るような”ヒーロー”に、私はこんな事思わない」
今は鼓動さえも触れ合っている。互い違いになった拍数が重なって喧噪となり、意識を揺らす。
「好き。私………弌茄君の事が、好き」
ありきたりな主人公の様に、聞き損じや聞き違いはさせない。
確実に届く距離と強さで、私は想いを伝えた。




