44話 寄り道
「じゃ!また明日ね、さえちー」
「うん!一緒に帰ってくれてありがとうイバちゃん!」
池袋駅から歩くこと十分弱、さえちーが住む実家の前まで到着。玄関へと向かう彼女に手を振ると、その数百倍もの勢いで手を振り返してくれた。
「でもイバちゃん家、本当にここから近いの!?一人で大丈夫……!?」
さっきまでとは違い晴れやかな笑みを浮かべていた彼女だったが、私の家路を案じてまた急に声を沈める。
「大丈夫だよ、本当目と鼻の先だから。何より私鍛えてるし、心配しないで!」
「でも……………。やっぱり、私もイバちゃんの事送っていく!」
「そしたらさえちーが一人になるでしょ!?大丈夫だって!!」
その後も天井さんに負けず劣らず憂惧する彼女を気丈な声色で無理矢理安心させ、私は何とか自分自身の帰路に着く。
しかし、直後にハッと気づく。
……帰る前に買い物だ。今ウチの冷蔵庫にはスライスチーズとチェダーチーズしかなかった筈。このままではダブルチーズバーガーのバンズとバーグ抜きぐらいしか作れない。由々しき事態だ。
「近くにコンビニとかあったっけ……」まぁ、大通りに出ればすぐに見つけられるだろう。
踵を返し、住宅街を抜け、幾つかの横断歩道を渡って大通りへ。酔いそうになる程の人混みをかき分けて最寄りのコンビニを探す。
……いや、お姉ちゃんも前に言ってたけど、やっぱりちゃんと料理もしていかないとダメかな……
不摂生は女の敵。思い切ってスーパーに寄って食材揃えてから帰ろう。
取り敢えず、位置情報をオンにした上で地図アプリを開く。目的地を”最寄りのスーパー”と設定すると、半径数百メートル圏内に幾つかの店が表示された。
「一番近いのは……歩いて二分か。よし、ここにしよう」
見上げると、既に店の看板を前方に確認できる。やや拍子抜けしてスマホを閉じ、足早に目的地を目指した。
◇
「おっっっも………!」
スーパーに着き、買い物すること約一時間強。店内を巡りながら適当にレシピを検索し、好奇心に駆られて幾つもの料理に応じた材料をガサガサとカゴに入れてしまった。当然まだ給料は入らないのに、日雇いバイトやってた癖でかなりの出費。なんて愚かなんだ私は。もうすっかり夜だし、どの面を下げてさえちーにやんややんやと喋っていたんだ。
パンパンになったレジ袋を二つ、両手に提げて店を出る。どんよりとした後悔をそのままに、再び家路を急いだ。
「もうすぐ八時か……だいぶ遅くなっちゃったな」
あれほど心配ないと啖呵を切っておいて、まだ夜の街をほっつき歩く私。
人の波は引く気配が無い。……ここまで長い時間一人で外を歩くのは久しぶりだ。心の片隅で、ほんの少しの不安というか寂しさというか、とにかくマイナスな感情が芽生えて行くのを感じた。
「ねぇ、君。ちょっといい?」
すると、そんな負のオーラに釣られてか……浮ついた若い男の声が背後から聞こえる。
周囲には仕事帰りの男性やカップルばかりで、女一人で歩いているのは私しかいない。察したが、当然無視して歩き続けた。
「ねぇって!もしかしなくても、買い物帰りぃ!?荷物重いっしょ?持ってあげよっかぁ!?」
「………」
「って、まだ無視すんのかよ!!夜にこんなとこ歩いてたら危ねぇってマジで!俺ら送ってくからさぁ!」
痺れを切らしたのか、声の主は突然走り出して私の前に立ちはだかり、道を塞いできた。
現れた数は……三人。左から、一人は金髪で趣味の悪い柄のTシャツとズボンに身を包んでいる。もう一人は前髪で目が隠れたキノコみたいな頭で色白の痩身。最後は他二人と違ってガタイが良く、体のいたるところにタトゥーが彫られていた。どうやらタトゥー男だけ酷く酒に酔っているらしく、少し足取りが覚束ない様子。
「………どいて下さい」仕方なく、最低限の言葉を投げる。
「冷てぇなあ~~!ねぇ、君高校生?めっちゃ可愛いじゃん!なぁ!?」最初から声をかけていたのは、この金髪の男らしい。
「あぁ、レベル違ぇわ。正直死ぬ程タイプ」
虫唾が走る。キノコ人間のタイプなど微塵も聞いてない。ブナシメジにでも恋すればいいのに。いや、そうなるとブナシメジがこの世の何よりも不憫だな……。
「ちょっと遊ぼうよ。近くにカラオケあっからさ!」金髪が、ヘラヘラした笑みを浮かべて近寄ってくる。
「行きません。急いでるんで、どいて下さい」
男達の横をすり抜ける。しかし、彼らはしつこく私に付き纏い、ついには声を荒げ始めた。
「んだよ!!ちょっとくらい良いだろ!!?なぁ、おい!!待てって!!」
完全に狙いを定めているのか一心不乱に追いかけ、遂には後ろから服越しに私の腕を掴んで来た。
「っ………!!!」
「つっかま~~~えた!!」
掴んだのは金髪の男。そして前と後ろを二人の男が塞ぐ。
周囲を見る。道行く人々は皆目を逸らし、”何も見ていない”というような素振りで通り過ぎて行く。
「はーい、もう逃げられませーーん。君は今から俺達と、朝まで夜遊び決定~~~!!」
「ハハハ!お前マジで鬼畜すぎ!この子かわいそ~~~」
けたたましく笑う男達。
………口からは、溜息しか出なかった。
「あ?なんだよその態度」キノコ男が私の顔を覗いて言う。
「ははは!舐められてんぞお前」タトゥー塗れの大男が笑う。
「いいから連れてくぞ。ほら、こっち来い!」金髪の男が、私の腕を引く。
「……………」
服越し。でも、腕を掴まれた。……触られた。
弌茄君以外の………粗大ゴミに………
「あっ!?な、なんだよコイツ……全然っ……動かねぇ……!」
あまり目立つような真似はしたくなかったが、仕方ない。痛い目を見せなきゃこういう人間は一生分からないのだろう。
「おい、早くしろよ!!騒がれたら面倒くせぇぞ!!」
さえちーと二人の時に絡まれなくて良かった。私一人なら、何も気にせずにコイツらを………
スーパーの袋を地面に置く。空いた掌を固く丸めて拳を造る。軽く足を開いて地を踏み込み、まずは金髪の男の懐目掛けて拳を……
「お、おーーーーい!!!」
「っ!?」
少なくとも、肋骨全てをへし折るつもりで振りかぶった腕をピタリと止める。前方から現れたのは、見紛う筈もない姿。
「こんな所で何してんだ?ヒナ………ア……アオイ~~!」
「弌っ………」
それは、紛れもなく弌茄君だった。
私が買い物をしたスーパーと同じレジ袋を右手に一つ提げ、服はサブマリンシティで着ていたアグナムTシャツの色違い(黒)とジャージのズボン。恐らくかなりの年月履き続けているであろうズタボロのスニーカーで、固い地面を鳴らしていた。
「あぁ!?誰だテメェ」金髪が、弌茄君を睨んで問い詰める。
「え、え~~~っと………俺はその……コイツの兄……です!」
「「「兄ぃ!?」」」
驚きで思わず、男達と同時に私もハモってしまった。その反応を受けて一斉にこちらに視線が集中するが、吐息だけの華麗な口笛で誤魔化した。
「それでその~~~……妹のアオイに、何か御用でしょうか……?」
あくまでも冷静に、下出に回った態度で接する弌茄君。イラついている男たちは各々舌打ちをしながら彼に詰め寄っていく。
「兄貴だか何だか知らねぇけど、今から俺達この女と遊ぶ約束してんだわ。邪魔すんなよボケが!!」
「ってか、何?その服。ダサ過ぎね?ガキが着るやつじゃん」
「見るからにオタクって感じだな……こんなのが兄貴って、妹ちゃん可哀想過ぎ」
弌茄君はその場から動かず、”あはは……”と引き攣った笑いを浮かべるだけだった。
その様子に益々苛立ったのか、大柄の男が突然弌茄君の胸倉を掴む。
「いいからさっさと失せろやテメェ。殺されてぇのか?」
「い、いやぁ……殺されたくはないけどぉ……その、妹が………」
「………あっそ、じゃあ死ねや」
そう言って、男は拳を振り上げる。
「っ……!!!」
弌茄君が咄嗟に目を瞑り、後ろにいる男たちはニヤリと笑う。
対して私は反射的に走り出していた。
……弌茄君も買い物帰りだったのだろう。偶然見かけた私を助ける為に、そして男達に素性を知られないよう偽名で呼びながら単身助けに来てくれた。
私のせいで弌茄君が傷つけられる。そんな事はもう二度とあってはならない。今すぐ大男を止めて、弌茄君を……
「ぐっ………!!あぁああ!!!」
思慮を切り裂く様に、突如として響く断末魔。しかし弌茄君の声じゃない。あの大男だ。
ハッとして正面を注視する。私が目を離していたのはほんの一瞬だった。その一瞬の内に、二人の立場が逆転していた。
胸倉を掴まれていた筈の弌茄君だけがその場に立ち、掴んでいた大男が、アスファルトの上へ大の字に仰向けで倒れていたのだ。
「「は……?」」
後方に居た二人の男は、呆けた声を出しながら口を開けている。呆然としていたのは私も同じだった。
「あっ!!!す、すみません!!!つい手が………!!!」
沈黙を破った弌茄君は両手を挙げながら、焦った様子で大男に謝罪していた。
「お、おい……今アイツ……何したんだ……?」
「分かんねぇよ……!!でも多分、あの一瞬で……投げた……んじゃねぇのか……!?」
二人から笑みは消え、ただ困惑だけが表情を引き攣らせていた。




