42話 開演
突如遅れてやってきた満身創痍のカフェ店員、佐伯九ことさえちー。
心配になる程の息切れを伴い、最寄りのテーブルに手を突きながら私達の下へと歩み寄る。
「さ、さえちー!?大丈夫!?まだ寝てた方が……」
「だっ……大丈夫……!イバちゃん、ここは私に……任せて……」
”任せる”といっても……風前の灯の様に衰弱した彼女に、地獄の業火が如く猛り狂ったこの子供達の相手が出来るとは到底思えない。各々のお母様方でさえ手を焼いているのだ。ポッと出の私達バイトに打破できる状況では……
「はい皆!!!私にちゅうも~~~く!!」
青ざめた顔のまま、溌溂とした声を上げるさえちー。その直後、暴れていた子供達だけでなく、店内にいる全ての人間の視線が彼女に集中した。
数秒の間を置き、ニヤリと笑う彼女は懐から三つの赤いボールを取り出し右手に持つ。見たところ、ポリエチレン製の簡素な玩具。
右手からまず一つ目のボールが宙を舞う。続いて二つ目、三つ目。次々に空中から落ちるボールを左手に取り素早くまた右手へ。寸分の狂い無くそれを繰り返していく。所謂ジャグリングというものだ。
「「「おぉ~~~…」」」子供達、店内のお客さん、そして私と天井さんは突如始まった流麗な曲芸に驚き、思わず感嘆の声を漏らしていた。
「おねえちゃん、すっごーーい!!」
「ありがとう!!でも、こんなもんじゃないよぉ~~~!!ほいっ!!」
彼女はジャグリングの途中で再びポケットに手を突っ込んで、ボールを一つ、また一つと足していく。それを繰り返し、最終的には計六つのボールが空中で円を描いていた。
「「「おおぉぉおっっ!!!」」」
「えっ……普通にめちゃくちゃ凄くない……?チカちゃん何者……!?楚ちゃん知ってる?」
「いやいや今日が初対面ですよ!?こんな特技があったとは……」
巧みに操られているボールには一瞥もくれず、さえちーは私達のいるカウンターを振り返る。そして、右目であからさまなウインクを飛ばす。
彼女の意図がここで分かった。”曲芸で子供達の気を引いている内に……”という事だろう。私は天井さんと顔を見合わせ、それぞれの業務に再び着手し始めた。
「じゃあ皆に質問!好きな動物さん、一人ずつ教えて!!」
私たちの様子を見たさえちーは突然、曲芸とは関係の無い質問を子供達に投げかける。彼らは、一度は目を丸くするが、互いに顔を見合わせ無邪気に笑いながら一斉に手を挙げた。
「ねこ!」「わんちゃん!」「ぶたさーん」「らいおん!らいおん!!」
次々に名を挙げられる動物達。
「ひこうき!」「はんばーぐ!」
一聞すれば無機物と加工食品だが、彼らの世界では動物扱いなのだろう。我々は年を取るにつれて常識と引き換えに自由を捨てていたのかもしれない。
「飛行機にハンバーグかぁ!いいね!………じゃ、見てて!!」
次の瞬間、あろうことか彼女は両手で行っていたジャグリングを右手一つで行い始めた。ボールの軌道は円から直線へ。しかしそれぞれが衝突することは無く、奥から手前に放物線を描くよう調整されている。店内には、感嘆というより最早どよめきが響いていた。
そして、目まぐるしく流れるボールの群れから一つが左手へ飛ぶ。
「…………えぇっ!!?」
なんと、ボールの色が変わっていた。赤から黒へ。それだけじゃない。表面には真ん丸のシンプルで可愛らしい二つの目と、左右に三本ずつの白いひげ、中央下部には”ω”の形に口が描かれており……よく見れば、ボールの上部には小さい三角形の突起が二つ伸びていた。
「”ねこ”だぁ!!」
子供達は”わっ”と声を上げ、大人たちは目を見開きながら驚嘆の声を漏らす。彼女はその左手のボールを、先程の質問に「ねこ!」と答えた少女に向かって優しく投げた。
「それ、君にプレゼント!大事にしてね!」
「ほんと!?やった!!ありがとうおねえちゃん!!」
「じゃあ次は~~~~!!?」
残された五つのボールからまた一つ左手へ。ボールは赤色から茶色に、耳を模した突起は同じだが今度は目は少し大きめで、鼻から口が白い丸で囲まれており、眉間には同じ色の小さな丸が二つ左右に並んでいる。デフォルメされていても、一目で柴犬を模していると分かった。
「あっ!!ワンちゃんだ!」
「これは君にプレゼント!!そしてぇ~~~~!!?」
そこからはもう怒涛だった。ジャグリングされている赤いボールが次々に子供達が挙げた動物に姿を変え、正確無比なコントロールで彼らの手元に投げられていく。そして”飛行機”は、小さな両翼と尾翼が突起として生えたボールに幾つかの窓が描かれることによって表現され、最後の”ハンバーグ”はボールどころか精巧な食品サンプルに姿を変える。流石にそれを放り投げるのは危険と判断したのか、さえちーから子供へと直接手渡される。
「はい!じゃあ最後はハンバーグね!食べられないから齧ったりしちゃだめだよ!」
彼ら全員が動物たちを手にする頃には、割れんばかりの拍手と歓声が店内に響き渡っていた。
感激に目を輝かせる人、途中からスマホでショーを撮影していた人、友人同士でたった今得た衝撃を分かち合う人、行列に並ぶお客さんたちもガラス越しに惜しみない拍手を送ってくれていた。そして暴れるのを止め、要望通りに姿を変えたボールを胸に抱えた子供たちは、弾けんばかりの笑顔をさえちーに向ける。
「おねえちゃんすごかった!!!」「ワンちゃんくれてありがとう!!」「ボールいっぱいまわすやつ、どうやるの!?」
その間、天井さんは次々に料理を作り、私はスムーズにフロアを駆け回ることが出来た。……もっとも、彼女のショーに釘付けだったのは我々も同じで、何度手元が狂ったかは分からないが。
「……ねぇ楚ちゃん。あれって……”大道芸”とか”手品”っていうレベルなの……?」
「今までテレビで見たどれより凄いですよ……!いや、芸とか手品っていうよりむしろ……」
そこで、子供達の内、一人の少女が声高に問う。
「ねぇねぇ!!おねえちゃんって、”まほうつかい”なの!?」
”魔法”。そう、彼女のステージングを含め、あれほどの不思議を目の当たりにした人間は誰しもがその概念を想起するだろう。この日、偶然居合わせた子供達からの要望に対して完璧な不思議で対応したのだ。タネを見破ろうなどという無粋な思考は微塵も起きず、真っ新な衝撃だけが脳を支配していた。
即興であれだけのショーが行えるなんて、過去にどれだけの研鑽を積み、普段どれだけの準備をしているのか。第三者が勝手に才能や努力を語るなど烏滸がましいが、そこには彼女自身の根幹に関わるような何かが絡んでいる気がしてならなかった。
「魔法使い……かぁ。惜しい!!」
少女の頭を優しく撫でたさえちーは、後方の広いスペースまで退る。鼻息荒く、満を持して行ったあの謎のハンドサインとドヤ顔は今朝とは違い、この上ない程の頼もしさを感じさせた。
「”魔法”じゃなくて”サイキック”!!!この世の非現実を探求する謎の女子高生!!その名も!!佐伯~~~~っ”九”!!ですっ!!!」
指で織りなした漢数字の”九”から片目で店内を覗くさえちー。逆さになった”No.9”の髪留めは、清々しい昼下がりの陽光で輝いている。
「………さいきっく?あんりある?」「なにそれー」「わかんなーい」「いみふめーい」
聴き慣れない単語に明らかな塩反応を浮かべる子供達は、しかし動物達を抱えたまま嬉しそうにそれぞれの母親の下へと踵を返していく。母親たちは拍手しながらも、さえちーに向かって深々と頭を下げていた。
「チカちゃん、めちゃくちゃ凄かったけど……”魔法”と”サイキック”って、どの辺が違うの……?」
「分かりません!!!ノリです!!!」
自称サイキッカーは溌溂と言い切る。
魔法使いとかサイキックとか、彼女のいう非現実には正直、まだ理解が追い付いてないけど……
少なくとも私には、機転と勇気、培った圧倒的な技術と表現力を以て現実の私達を救った彼女の姿が、一人の同僚として、友人として、何よりも誇らしく思えた。




