39話 出勤初日
来る月曜日。それは日々野楚、もとい第三の人格”井原ヒナタ”初出勤の日である。
誂えられたかのように、本日は我が学園の創立記念日。よって開店を一時間後に控えた午前八時、私は天井さんのお店Weich bis Hartの前に居た。
「ふーっ………」
先日、電話口で姉から課された”決断”。それに対し私は、男装せず女性の姿で働くという答えを示した。
"自分の着たい服を"という結果に落ち着いた先日の対決の影響でメイド服への憧れが募ったのと、やはり弌茄君とのつながりの中に、本当の私(思いっきり身分偽ってるけど)を残しておきたかったという理由である。……それは、”彼の記憶が戻るんじゃないか”、という未練がましい期待が捨てきれない事の証明かもしれない。
「未練………。でも、男装してるだけじゃ何も進展しないのも事実だし……」
白のブルゾンとコーラルピンクのキュロットスカートに身を包み、ウィッグを纏わない金髪をそのままにして項垂れる。
実はあの対決の後、私はアメカジ&コンサバコーデもちゃっかり購入していたのである。流石に色まで弌茄君監修のものと同じにするのはドン引きされるかもしれないので、鱗目さん指導の下カラーリングは変えた。ついでにファッション用語もみっちり教えてもらった。
「と、とにかく。今日は仕事に集中しなきゃ……!!」
念願の、喫茶店での仕事。かわいい制服を着てコーヒーの香りに包まれながら、優雅にフロアを駆け抜ける。そんな素敵で楽しい仕事が、私を待っている……!
自分を奮い立たせて、あらかじめ天井さんから持たされていた店のカギを挿し、回す。小気味良い開錠音の後一呼吸置き、一気にノブを捻る。
空調の風を身に受けながら、仄暗い店内に入ると……
「うぅうぅぅわああぁぁあああ!!!こ、これが天井先生デザインの制服……!!!なんて斬新かつ洗練されたデザイン!!!やっぱり一線を退いても彼女のセンスは大健在!!!!ぎゃあぁぁああ可愛い!!!まさに非現実!!!フォォォオオオォォオオォ!!!!!!」
無意識に、ドアをそっと閉じた。
私は今何を目の当たりにしたのだろう。一人の女性が、この店の制服を着ながらあり得ない程のハイテンションで自撮りをし続けていた。
夢だろうか。ドアを開ける前に立ったまま一瞬で寝落ちしていて、本当はまだ私は店の中に入っていなかったのだろうか。うん、多分そう。
己を納得させもう一度……いや、この日初めて、私はノブを捻ってドアを開けた。あっれぇ?鍵開けてないのにドア開いちゃうよぉ?まったく天井さんは不用心だなぁ~~~……
「フォォォオオオォォオオォ!!!!!!」
現実かぁ~~~~。
耳を劈く絶叫。その声の主は、爽涼さを感じる青髪を、私より少し短めのボブカットに揃えていて、声の迫力とは全く反して可愛らしい小柄で童顔の少女だった。振り乱す前髪は、ポップな字体で”9”と書かれた奇抜な髪留めによって左側にまとめられている。
依然夢としか思えない謎のハイテンション美少女に怯んでしまうが、これが現実である以上立ち向かわない訳にはいかない。
「あ、あの……」
意を決して店内に入り、後ろ手でドアを閉める。
この時間に店に居て制服を着ている時点で、彼女が店員である事に間違いはない。ならまずは挨拶だ。
「フォオオォォ……………ん?」
「お、おはようございます………」
大きく仰け反りながらの自撮りを一枚撮り終えた所で、背中越しの彼女と目が合った。
その瞬間、彼女は驚いたのかスマホを胸に抱きながら後方へと飛び退く。
「うわぁっっ!!?と、突然の金髪長身美女……!!これもまた非現実………!」
そして憚ることなくスマホを掲げ、私に向かってパシャリ。
「これ、ホーム画面の壁紙にしても良いかな!?」バッチリ私が映った無許可の写真をこちらに見せて一言。
「なんで初対面の女をノータイムで壁紙に出来るんですか!?ダ、ダメですよ!!」
「え~~~?じゃあロック画面なら良い!?」
「譲歩出来てないですよ!!恥ずかしいんで消してください……!!」
「え~~~~……」
彼女は口をひん曲げつつ、明らかに不服そうな顔をして、スマホを操作し私の写真を消す。”消した証拠”と言わんばかりに彼女はカメラロールを私に見せつけた。そこには、画面いっぱいに先ほどのセルフィ―写真が並んでいる。
「で!何か用!?まだお店やってないけど!開くまでトークでもする!?しよっか!!んっとねぇ、最近私が推し進めてるプロジェクトはねぇ~~~……」
「い、いや!!用っていうか……その……」
爛漫とした笑みを浮かべながらマシンガンの様に喋りまくる彼女。その顔に外連は無く、あくまでも本気で、この時間に店のカギを使って入ってきた私をお客さんか何かだと思っているようだった。
「私、今日からここで働かせて頂く者で……」
「えっ…………えぇ~~~~~!!!」
驚きと共に、浮かべていた笑顔を一層輝かせ、急に私の両手を掴んでブンブンと上下に振り回す。
「じゃあ、天井先生が言ってた私の同期の、ヒナタちゃん!?」
「ヒっ、ヒナ……………は、はい!そうです……」
事前に、天井さんには”決断”の話をRUINでしていた。弌茄君への間接的な正体バレ予防として、この店員さんにも私をヒナタとして紹介してくれていたのだろう。彼女の”同期”という言葉で、天井さんやお姉ちゃんから聞かされていた人物だと確信する。……完全に私の都合で、初対面の同期に偽名を名乗るのはやはり心が痛むが……
「じゃあ、私から自己紹介!名前は佐伯 九!四季山学園高等部一年生!!趣味は探求!!」
「た、探求……?」
「そう!!!この世の”非現実”を追い求める、探”九”者!です!!」
そう言って、左手の親指と人差し指で示した”鍵括弧の片割れ”の中心に、右手の人差し指を立ててなんとか漢数字の”九”を作る佐伯さん。突然のハンドサインに動揺したが、彼女の胸元の名札に描かれた漢字表記の名前を見て納得した。
四季山、それは私や聖海ちゃん、そして弌茄君の通う学園の名前。佐伯さんは我々と同じ学び舎に在籍しているのだ。
ここで私も四季山生と答えれば後々ボロが出るのは確実。呼吸を整え、あくまでも堂々と答えた。
「い、井原ヒナタです。学校は、與那森高校……です」
與那森高校は、東京出身の母親が当時通っていた学校。八王子近辺と、かなり離れた地域にあり、よほどの事ではボロは出ないだろう。予めネットやSNSにてストーカーばりの情報収集を行い、学校行事や教師の雰囲気なども把握している。私気持ち悪っ。
「與那盛?聞いたことないなー!………で!学年は!?一年生!?」
「はい」
あっ、ヤバ。うっかりサバ読んじゃった。
まぁ、気を遣われるのも嫌だし、兄とタメにして双子設定にすると余計ややこしくなるかもだし………このままでもいいか。
「同い年だ!!やった!!じゃあ、イバちゃんの趣味は!?」
「い、イバ………?」
早くもあだ名を付けられてしまった。……でも、普通なら”ヒナタ”から取って”ヒナちゃん”とか、そういう無難なものになりそうだけど……
と、私の困惑を見た佐伯さんが小首を傾げる。
「気に入らなかった?”イバちゃん”。良いと思うけどなぁ~~~」
「い、嫌って訳じゃなくて……下の名前で来るかなぁ……と思ってたから」
「う~~~ん、確かにめちゃくちゃ可愛い名前だけど、なんかこう……しっくりこないんだよね!なんとなくいばらって響きの方がファーストネームに合ってる気がする!!!すんごい失礼だけど!!!ごめんなさい!!!」
思わず”ぎくり”とした。……やけにハイテンションな女の子という印象しかなかったけど、決してそれだけではない。どこか掴みどころのない勘の良さというか、鋭さを持っている。
「あ!じゃあ私の事は”さえちー”って呼んでね!同い年なんだし!!」裏にしたピースサインを額に当て、アイドル顔負けのウインクを発動。悉く、インドアで内気な私とは対照的な女の子だ。
「よ、よろしく!さ……さえちー……さん」
「敬は省略!!もう一回!!」ビシッッと指を差される。
「ぅっ………さえちー……」
「合格!!んじゃあイバちゃん、改めてご趣味は!?」
”絶対に趣味を聞くまで逃がさない”という意思すら感じる再三の質問に、改めて彼女の掴みどころの無さを感じる。
「ちなみに私は漫画にアニメに映画にコスプレに……とにかく非現実に飛び込めるもの全部かな!!あっ、漫画で言うと最近は辻松先生の”遠隔殺人”っていうのがアツくて……」
マシンガントークは止まらず、その目の輝きは一層増すばかり。
対して私は彼女の質問に対して即答できず、思慮を巡らせていた。
「し、趣味……かぁ……趣味……」
正直、弌茄君に関わる事以外への興味は私には無い。
けど、だからと言ってこの世に存在する娯楽の全てを無視して、それで”弌茄君が一番”というのはあまりにも説得力に欠ける。故に私はこれまでの人生で、夥しい程のコンテンツに片っ端から足を突っ込んで来た(猫カフェ以外)。覆面ライダー含む特撮は勿論、スポーツ、映画、アニメ、囲碁、将棋、ルービックキューブやけん玉、プラモに釣りにスケボーetc…
結局というか当然というか、現時点でやはり弌茄君に勝るコンテンツなど存在しないと断定してるけど、これらの経験は”趣味”ではなく、弌茄君への愛を確かめるための”轍”なのではないか。かといっていきなり『趣味は吉井弌茄君です』と言い出すのも客観的に見たらサイコストーカーだし……
………と、苦悶の表情を浮かべていた矢先、カウンター奥の扉の向こうから微かに、野太い声が響く。
「チカちゃーん!?お着換え終わった!?イバラちゃんも来てるーー!?」
「「っ!!」」
この店は天井さんの住居も兼ねている。一階が店舗で二階が居住スペース。扉を開けるとすぐ階段があり、そこから行き来するようだった。
姉の話では、当初は天井さん一人で切り盛りする予定だったらしく、それ故にスタッフ用の休憩室及び更衣室は無い。出勤の前後に一階で、カーテンを閉め切った状態且つ窓の無いカウンターにて私たちは着替えを行い、天井さんはその間二階で完了を待つ。休憩は昼の十二時から十三時までの一時間、十五時半から十六時までの三十分と二回ある。喫茶店としての営業は十八時までで、そこから深夜までは天井さんのワンオペによるバーに姿を変えるらしい。想像を絶するタフネスである。
「ヤバ!ごめんねイバちゃん!話しすぎちゃった!はい!」
どこからともなく私の制服を出し、焦った様子で突き出すさえちー。
とりあえず、趣味の話は有耶無耶に出来たようだ。
「趣味は休憩中に聞かせてね!!」
出来てなかったようだ。




