37話 最終ラウンド
―――――……
「ほ、本当に良かったのか?家まで上がっちゃって……」
或る休日。最寄りの公園で待ち合わせをして、そこからコンビニで思い思いの食べ物を買い私の住むアパートの一室へ。
小さなテーブルを挟んで向かい合って座り、露骨に身じろぎしながらも、弌茄君が問う。
「良いも何も、家でデートする約束じゃん!私、一人暮らしだし気にする事ないよ?……そ、それよりさ、もっと近くに来てよ。弌茄君……」
「い、いや……何かこう、緊張するっていうか…………うぉっ!?」
視線も合わせてくれない様子に痺れを切らし、私は滑り込む様に弌茄君の真隣りまで移動する。そして、脇目も振らずに密着。反射的に彼の肩が震えた。
「ち、近っ………いいい楚ちゃん………近いって……!」
「今更照れてるの?……近いの、嫌?」
「そんなことない……け、けど……こう、心臓に悪いというか……」
逃げる体を追うように、顔を寄せる。吐息さえもかかってしまいそうな距離で、弌茄君の泳ぐ目が一層焦点を定められなくなっていた。
「……ずっとこうしたかったんだ、私」
「えっ」
「学校で話したり、外に出て色んな場所行ったり。もちろん弌茄君がいるならどんな場所でも幸せだけど………やっぱり、こうして誰もいない場所で二人っきりになりたかった」
「………」
「いつも三人だったけど、二人っきりでも結構遊んでたよね。……まぁ子供だし、鬼ごっことか流行ってたカードゲームとか。あとは覆面ライダーの話して、その流れでなりきりごっこみたいな事したり。………ふふ、こうして振り返ると、男の子同士みたいな遊びばっかり」
「いっつも楚ちゃんがライダーで、俺が怪人役だったよな。キックやらパンチやら、もう完全にサンドバッグだったよ俺」
「えぇ!?いやいや、そんな本気でやってなかったよ私!!キックもパンチも”ちょんっ”て感じだったじゃん!!」
「いーーや、あれはガチだったね。あの時やられた古傷が、今も冬の時期になると痛くて痛くて……」
明らかなオーバーリアクションで腹部を両手で摩り、ニヤつきながら痛がる素振りを見せる弌茄君。からかわれている事に対して恥ずかしさでムキになった私は、彼の脇腹をくすぐりながら責め立てた。
「どこにそんな傷あるの!?絶対嘘!!」
「うぉっ!!?ち、ちょっと楚ちゃんやめて!!!ぅははははは!!ちょ……くすぐった……死ぬ!!死ぬって!!!」
身じろぎし、猛攻から逃げようとする彼を追尾する。いつの間にか、お互い膝立ちになっていた。
「あははは!!はは………くっ……こ、このっ!」
やがて痺れを切らした弌茄君は、私の両腕を軽く掴んでなんとか引き剥がす。その時……笑い疲れてフラついたのか、そのまま私の方へと倒れ込んでしまった。
「うわっ!!」
「あっ……!!」
凭れかかる弌茄君の身体を受け止めきれず、私は背中から床に落ちる。
……反射的に目を瞑っていたが、体の何処にも痛みは無かった。ただ後頭部に、太く逞しい右腕が優しく巻かれていた。
「ごっ……ごめん楚ちゃん!!頭ぶつけなかった!?」
「う……うん。大丈夫……」
弌茄君の咄嗟の判断。腕がクッションとなって、私は守られていた。
目を開ける。視線が合う。そして互いに気付く。
私を守った右腕は、彼と私の身体を限りなく手繰り寄せていた。鼻先が付いてしまう程の距離。二人の顔は同時に赤く染まっていく。
「「………」」
いや、同時じゃない。今日は私の方が早かった。普段の弌茄君なら慌てふためいて後ろに跳ね退くだろう。でも、顔を染めて、吐息に熱が籠る私を見て、彼はただ無言で喉を鳴らす。
「弌茄君……」
「な………なに?」
「……………いいよ」
「えっ!?……い、いいって………ななな……何が!!?」
ようやく、いつもの彼らしく慌て始める。理性を保とうと離れる顔をそっと両手で挟み込み、そのままこちらへ引き寄せた。
「……私は分かってたよ。家に入ってから……ううん。その前から、弌茄君ずっと私の事見てた。期待してる目で」
「っ………」
「だから、いいよ。私も同じだから」
「お、同じ……?」
「うん。私も期待してた。………ねぇ弌茄君。目、瞑って?」
脈打つ鼓動。身体を伝う汗。溺れるように酔ってしまった思考。ただ本能のままに、二人は静かに閉眼する。
「弌茄君……」
「い、楚……ちゃん………」
永遠にも近い一瞬の中で、吐息が交じっていく。
互いの鼓動だけが響き合う空間で、漸く私たちは結ばれ…………
「―――――オトリコミチュウ、スミマセーーーーン」
「「ッッ!!??」」
バァァン!!!と、部屋の扉をぶち破る音。
驚き過ぎてカートゥーンが如く体を跳ねさせ、ついでに目玉も飛び出た我々は、そのまま扉の方へ向き直り、身構えた。
仰々しい足音が近づき、部屋の入口からその姿を現す。
「おっ………お前はまさか………!!!」
「………………」
弌茄君の迫真の演技が光る。対して私は、青ざめた顔のまま一人肩を震わせ、込み上げる怒りを抑えきれないでいた。
「ソノ、マサカデーーーース」
お馴染みの禍紫に身を包んだナイスガイは、腹立つ小躍りを披露しながら笑っていた。
「ポッ………ポポポ……ポイズンスーツ………シメ………」
「うわあぁぁぁぁああぁぁぁあああ!!!!」
弌茄君が懐から取り出したアグナムノートを奪い取り、私は半泣きで叫びながら奴の前へと躍り出る。
「え!!?い、楚ちゃん何してんの!!!?危ないって!!!ちょっと!!!」
「何回私の妄想邪魔すれば気が済むんだコイツ!!!……もういい。私がこの場でゴリゴリのギッタギタのバラバラのグッチャグチャにして、二度と脳内に現れないよう始末してやる!!!」
「それはそれで脳内に余計なトラウマ生じないか!!?」
ページを開く。瞬間、ノートは眩い光に包まれ宙に浮いた。
同じ光に包まれるアグナムGペンを握りこみ、筆先を走らせながら私は叫ぶ。
「変身!!!」
「変身!!?」
腰に現れたバックル。浮遊するノートが吸い込まれるように嵌まった瞬間、私の全身は瞬く間に正義の鎧に包まれていくのだった。
………―――――――
「…………おい」
終了のゴングが鳴り、例に漏れず現実世界に帰還した私。
『最終ラウンドなので、今度は井原選手の作品から』という実況の計らいにより、私は最早一周回って、清々しい面持ちで筐体の横に屹立していた。
表示されたのは、”劇場版 覆面ライダーアグナム~逆襲のポイシメ~”の一幕、カケルとルカの自宅デートに押し入ってきたポイズンスーツ・シメキリスに対してブチ切れたルカが、カケルのアグナムノートを奪い自ら変身した際に生まれた、”アグナム・激情フォーム”。
般若の様な形相を貼り付け、両肩には禍々しい洞角。宛ら魔王が如き黒いマントを羽織ったその姿は上映当時、子供だけでなく同伴の母や父兄をも恐怖に陥れたという―――参照:『覆面ライダーアグナム大全』コラム欄より
「井原選手………これは何ですか?」
静寂に包まれる会場内。ただ一人、聖海ちゃんのドスの効いた低音のみが響く。
「こ、これは……その……」
口ごもる私。溢れるほどの冷汗をかきながら言葉を選んでいると、横からすかさず大興奮の弌茄君が乱入し、今度は私の肩を掴んで縦方向に激しく大シェイクしながら叫んだ。
「井原お前ぇえ!!!!こっっっ、これは作中唯一ルカが変身した劇場版限定フォームのアグナムじゃねぇか!!!一体お前はどこまで俺をエキサイトさせれば気が済むんだ!!!!」
「だからうるせぇってイツカ選手!!!この三ラウンド、今んとこお前しか興奮してねぇぞ!!!」
「なんだって!!?正気かお前達!!?」
「こっちのセリフにも程があるわ!!!つーか何で最後の最後で急にアグナム出てきたんだよ!三段オチならここもポイシメだろ!!」
「ツッコミの論点がずれてますよ銀砂さん」
選手を怒鳴り散らかす実況を宥める解説。その間も弌茄君による私へのシェイクは継続していた。
そろそろ脳スムージーが完成してしまう頃、漸く彼は私を地面に着地させ、しかし未だ興奮冷めやらぬ様子で自分の筐体を指さした。
「でもな井原……俺も負けてばっかりじゃねぇんだぜ………」
「いや呆れるほど勝ってんだよイツカ選手。何に負けてるんだお前は」
彼の熱く滾る眼差しに、私は全てを察する。
「ま、まさか吉井………!!!」
「そのまさかだ!!!ヘイ実況、画面表示カモン!!!!」弌茄君が指を鳴らして指示を送る。
「やかましいわ!!キャラどうしたんだお前!」
不服な顔をしながらも、進行上仕方なく聖海ちゃんはPCを操作し、弌茄君の作品を液晶に表示させる。
………会場全員のお察しの通り。そこには、紛う事無きポイシメがポージングをキメていた。
「ここにきてお前もかよ!!!悪夢か!!!」
「井原が劇場版verアグナムなら、俺は劇場版verのポイシメで勝負だぜ!!!」
「だからどこが違うのか分からんわ!!!ねぇ!?解説の鱗目さん!!」
「いえ、よく見るとこのポイシメは右手に小さな花束のブーケを持っています。これは自宅デートで良い感じになったカケルとルカを祝福せんと先走った、彼のお茶目な性格が表れています」
「え、鱗目さんポイシメ知ってんですか!?」
「よくよく考えたら、先日甥っ子にせがまれて劇場版だけ見に行ってました。あれがポイシメだったんですね」
「ユッ……ユダがいるぞ!!!急に私だけアウェーじゃねぇか!!!」
突如として寝返った鱗目さんに頭を抱える聖海ちゃん。最早ギャラリーも飽きてきたのか、冷ややかな目と共に会場を後にする者が出始める始末。
そして苦悶が爆発したかのように、彼女は実況席を思い切りひっくり返しながら叫んだ。
「もう終わりだ終わり!!!やってられんわ!!」
「え!!?で、では両選手の勝敗は……?」鱗目さんが慌てた様子で問う。
「井原が0点!!イツカはさっきの腹立つ指パッチン加味して-192点でドロー!!はい終わり!!!」
なんかのバグが、本当に起こってしまった。




