36話 しぶとい男
「ね、今日は何処連れてってくれるの?」
肩と肩が触れ合う程の距離で聞く。
弌茄君は少し得意げな顔をして答えた。
「楚ちゃん、喫茶店好きだろ?こないだ滅茶苦茶良い雰囲気の店見つけたんだ。まずはそこでコーヒー飲みながら、今日の計画を話すよ」
「え~~すっっごい楽しみ!喫茶店も勿論だけど、どんな壮大な計画があるのかな~~~」
「期待し過ぎるなよ?デ……デートなんて、初めてなんだから」
「いやぁ期待しちゃうよ。だって目の下、すっごいクマ出来てるし」
「えっ!!?マジで!?はは………恥っず……」
私の指摘に、弌茄君は眼窩の縁を少しなぞって気恥ずかしそうに笑った。
……愉しい。嬉しい。なんて幸せなんだ。
本当の私を曝け出し、弌茄君と二人で街を歩く。
季節外れの暑さに文句を言い合い、昨夜交わした甘いメッセージの内容を語り合い、時折目の端に映る子供達の戯れを見て微笑み合う。ずっとこのまま、二人で………
「あ!!ここだよ楚ちゃん」
どのくらい歩いていたのだろう。弌茄君の跳ねる声にハッとした時には、既に目的地へ着いていた。
歩みを止める二人。立ち並ぶ街路樹を背にして、彼が指差す方向へ視線を向ける。
「わぁ……!!」
漆喰に塗られた白い壁、建物の裾に積まれたレンガ。外に置かれた幾つかのテラス席には、深緑色の大きなパラソルが華のように咲いている。
天井さんの店、”Weich bis Hart”のような木組みで暖かい印象とは違い、シンプル且つ大人の雰囲気が漂う外観だった。
入り口扉には大胆にも店名が直接チョークで書かれており、”GiftAnzug”とある。ドイツ語のようだ。
「なんか、カッコいいお店だね……!」
「だろ?……って、俺がドヤるのもおかしいけど。さ、入ろうか楚ちゃん」
「うん!」
顔を見合わせながら、弌茄君が扉を開く。頭上で軽やかな鈴の音を鳴らしながら、私たちは店内へと………
……………あれ?
「ん?楚ちゃん?入んないの?」
「………何で、ドイツ語って分かったの私……」
「え……」
ドイツ語には全く精通していない。何故フリガナも無いのに、この単語がドイツ語であると分かり、且つ読めてしまったのだろう。
「………」
……それを言えば、最初からおかしい。
これは私の脳内で描かれた彼との理想的なデートイメージ。私の記憶に無いものは当然輪郭を持たない抽象でしか描けない。……現実世界で最初、聖海ちゃんから言われたように私は上京したてだ。電車を降りた後、サブマリンシティには東側の三十五番出口から向かった。
私は、西口側に広がる景色に一度も足を踏み入れた事がないのだ。なのに、何故こんな鮮明に………
「イラッシャイマセーーー」
思考を遮るように、店内の奥から野太い男の声がする。
地響きのような足音が一定の間隔で鼓膜を揺らし、私は徐々に気付いていく。
―――ヒーローが言っていた。『奴は、しぶとい男だ』と。
正義の鉄槌に倒れ伏した後、辛うじて生きていたアイツは人間社会に溶け込みながら傷を癒していたのである。
覆面ライダーアグナム第三十九話。舞台は東京、池袋。主人公のカケルとヒロインのルカの初デートから話は始まる。
「キョウノオススメノコーヒーハ、コチラデーース」
カケルの計らいで訪れたオシャレな喫茶店。だがそのオーナーは……
「お、お前は……まさか………!!!」弌茄君が急に迫真の演技を見せつける。
「………ソノ、マサカデース」
恐る恐る顔を上げた。
ボコボコと大きな気泡を湧き上がらせる猛毒を入れたコップを持ち、悪魔の様な笑みを湛えながら両腕を広げる、禍紫のスーツに身を包んだ巨躯のナイスガイ。
―――”GiftAnzug"
ドイツ語でGiftは”毒”、そしてAnzugは”スーツ”を指す。
命からがら逃げ果せて潜伏した喫茶店、そこで意外にも豆の選別と焙煎に才覚を表した彼は、いつしか前オーナーから店を受け継ぎ、自身を表するその名を店に付けたという―――参照:『覆面ライダーアグナム大全』より
「ポッ………ポイズンスーツ…………シメキリス………ッッッ!!!」
妄想の中で弌茄君は、どこからともなくアグナムノートを取り出し、速やかな変身を行うのだった。
……―――――
「終了~~~~~~~~~!!!第二ラウンド終了です!!!!」
「ハァッッ!!!………ハァ………はァ………!!」
実況席からの合図で、私は妄想の世界より帰還した。
意識を飛ばしながらも夢遊病のようにバーチャル・ドールを操作していた私は、慌てて完了ボタンを押してデータを送信する。
間髪入れずに、実況席は進行を続けた。
「では、イツカ選手のコーディネートから見ていきましょう!!ドン!!!」
弌茄君の画面に、再びコーデに身を包んだ3Dモデルが登場。その瞬間、これも先ほどの再現と言わんばかりに観客から驚きと感嘆の声が漏れだす。
「おぉ!!?今度は少しシンプルな構成の様です!鱗目さん、解説をお願いします!」
「そうですね……いわゆる”コンサバ系”というものでしょうか。言葉自体はバブル期を境に死語となりましたが、肩まで切られたフレンチスリーブで適度な肌見せ、即ちセクシーさ。プリーツスカートによる遊び心を感じる可愛さ。二つの調和は、今の時代においても十二分に人々の目を惹くでしょう。実況の銀砂さんの言うようにシンプルで無駄の無い引き算のコーディネート。勝負服というテーマでこれを持ってこれるのはやはりイツカ選手、只者ではありませんね」
もはやそのままヘッドハンティングでもするのではないかと疑うほどの大絶賛。ついには鱗目さんの解説をメモし始める女性まで出始めた。
続いて、またも聖海ちゃんの口ドラムロール……聖海ロールがマイクに乗る。
表示された点数は……”98点”。先ほどの97点を超えて来た。
「またしても満点に近い点数~~~~!!!井原選手、大ピンチです!!!」
いやピンチというか、三番勝負なんだからもう終わってない?さっきの私の点数2点なんですけど。最後のラウンドで弌茄君がなんかのバグで”-192点”とか出さない限り勝てなくない?
「さぁ!!窮地に追い込まれた井原選手、第二ラウンドのコーデです!!はいドン!!!」
そして、私の画面が切り替わる。
表示されたモデルは、聖海ちゃんのアドバイスを完全に反映した、私のイメージから導き出された渾身の………
「「「きゃあぁぁあああぁ!!で、出たああぁぁああ!!!」」」
渾身の………
「うおおぉお!!井原お前ぇ!!!」
渾身の、ナイスガイだった。
「またポイシメじゃねぇか!!!!!!」
……あそこまで目を見開いてツッコむ聖海ちゃんを、果たして弌茄君ですら見た事はあるのだろうか。
はち切れんばかりの豊満な筋肉を見せつけながらニヒルに笑う本日二度目のポイシメに、観客からの悲鳴が飛び交う。
「いや、まさか二連続で……!?”デート服”のテーマで?私の見間違いか!?……か、解説の鱗目さん!!ポイシメですかアレ!!?」
「アレは完全にポイシメですね。私も驚きと恐怖で一瞬トリップしかけましたが、脳に植え付けられたトラウマが”アレはポイシメだ”と叫んでいます。ポイシメです」
架空の単語でゲシュタルト崩壊を起こしかねない程、青ざめた顔で連呼する鱗目氏。
…………やってしまった。自分で生み出した妄想にいつの間にかアグナム三十九話の一幕を混入させ、挙句の果てには再び奴をこの場に召喚してしまった。
「井原お前っっ……!!これ、アグナム第三十九話で再登場する方のポイシメじゃねぇか!!」
ただ一人、怪人との再会を喜ぶ弌茄君。さっきよりも増したキラキラ瞳で今度は私の肩を掴んでガックンガックン揺らし始めた。
「え!?”~する方の”って、さっきのとは何か違うんですか?!イツカ選手」
「ど、どう見ても違うだろ!!?こっちは自分の喫茶店に入店した主人公達に振舞うためのウェルカムポイズンコーヒーを右手に持ってんだよ!!!」
「知らんわ!!自営業なのかよコイツ!!……っていうかそもそも、何で再現度100%のポイシメコーデとウェルカムポイズンコーヒーとかいうトチ狂ったアイテムまで揃ってんだこのアパレル!!?どうなってんすか解説の鱗目さん!!!」
「どうやら、社長の仕事仲間の一人がアグナムにキャストとして出演していたらしく……そこ繋がりで色々あって、コスプレ衣装として数十点のアイテムが発注可能となっているようです。社長の完全な悪ふざけですね」
社内事情の解説まで淡々とこなす鱗目氏。
「だぁ~~~~!!!もう台無しだよ!!!……はい点数!!”1点”!!!オラ次行くぞ!!!」
「EDMのサビ前みたいなテンポで先行かないでよ!!!」
……もはやその1点はAIのどんな琴線に触れたのか。
この時点で、弌茄君の合計195点に対し私が3点。ラグビーで言うなら”オールブラックスVS茶道部”くらいの得点差である。敗北以外の何物でもない。
「次のテーマはこちら!!!”お家デート”!!!」
「……い、いや聖海ちゃん」
最後の最後でとんでもないテーマが飛び出た事はさておき、私はこっそりと実況席に近づいて聖海ちゃんに耳打ちする。
「あの、もう私絶対に逆転出来ないよね……?対決としては終わりじゃ……」
「黙らっしゃい!!!この場にいる全員、さっきのショックで合計得点なんて忘れてる!!このままゴリ押しで最終ラウンド行くぞ、ほら位置につけポイシメ錬金術師!!!」
ラジオネームでもあり得ないレベルの二つ名を付けられてしまった。
どれだけ脳のストレージが埋まっていても、流石に”合計3点”という体たらくは忘れないだろうと思うが……彼女の覇気に気圧されて、私は言われるがまま元の位置に戻る。
「気を取り直して参りましょう!!……テーマは”お家デート”。初めて訪れる恋人の家……そして部屋。互いの鼓動さえ聞こえてしまうような甘い静寂の中、彼の瞳に映る装いはいつにも増して眩しく、どこか煽情的で………!そんな、恋のステップアップ必至な最強の勝負服をコーデして頂きます!!!」
次第に長文化していく前口上。……彼女の想定は、かなりディープな範囲まで及んでいたらしい。
家に、二人きりで……
本来ならここで爆発的な赤面と動悸に苛まれるだろうけど、今の私は冷静だった。……いや、厳密に言えば別の緊張感を抱いていた。
――――もう、失敗は出来ない。
聖海ちゃんの言う通り、求められるのは最強の勝負服。極限まで近づいた二人の距離を確実にゼロにするような、可憐且つ妖艶なコーデが求められると考える。……このテーマでは絶対に、弌茄君と私が考える理想形を照合し、盤石な調整を行いたい。
「では両選手、位置について!!!」
これがラストチャンス。全ての邪念を捨てて、持ちうる私のセンスを全てここにぶつける。
「レディーーーーー……………ゴォッッッッッ!!!!」
最終ラウンド開始。実況による最後の合図が耳を劈く。
私は再度、妄想の世界に自意識を沈めた。




