32話 仮想試着室
◇
「っし、着いたな!」
フードコートを出て通りを進み、エスカレーターにて三階へ。
このフロアは雑貨、アクセサリーにコスメ、そして服といったファッション系統の店がメインに軒を連ねていた。どうやら映画館もあるらしく、立方体の支柱に嵌め込まれた液晶には、”消えゆく君へ”という恋愛映画の広告が大々的に映し出されている。やたらと人気な作品のようだが、少年漫画や深夜アニメに浸かった私の遍歴には、あまりそぐわないジャンルだ。
客層も、階を昇る度に男女比が傾いていき、今ではもう見渡す限り女性のみ。弌茄君は肩をすくめて居心地悪そうにしているけど、私も男装している以上肩身は狭い。
……そして、今我々の目の前に広がるのが、姉である日々野春華の展開するアパレルブランド”KouKoúli -Froúton(通称:フルトン)”のショップである。
密度の高いフロアの中でも、特にフルトンは店内外に夥しい数の人々が集まっており、オープンしてまだ一か月とはいえ揺るぎない人気が窺える。
「やっぱすげぇなぁ……他の店に比べて規模もデカいし」
弌茄君の言う通り、他のショップに比べフルトンの広さは段違いと言って良い程で……パッと見でも優に平均の倍程の広さを誇っていた。
「で、結局俺はなんで呼ばれたんだ……?やっぱり邪魔者以外の何物でもないだろ」
「まぁ今に分かるさ。店内に入るぞ二人共」
ニヒルに笑う聖海ちゃんは、そのまま淡々とフルトンの中へ入っていく。残された私たちは思わず顔を見合わせそうになったが、互いの立場を思い出して踏みとどまり……気まずさを振り払うように彼女の後を追うのだった。
「………あっ」
しかし、その途中。通り過ぎた入り口付近に立つマネキンをふと一瞥する。何故か歩みを止めていた。
マネキンが身に纏っているのはシンプルな白のワンピース。ただそれだけ。……目立つ装飾も柄も無く、行き交う買い物客は目もくれずに素通りしていく。私だが目を奪われていた。
大きい身長と家柄のせいもあって、世の女性からすればシンプルな服さえも碌に着たことが無い。自分自身も”どうせ似合わない”と諦めて素通りしてきた。
「…………どうした?楚。さっさと行くぞ」
弌茄君が喜んでくれるような服を、こんな私が選べるのだろうか。
私が着たい服を、彼は喜んでくれるのだろうか。
「うん。……ごめん」
次第に曇っていく感情を咄嗟に隠し、先を行く彼女たちを追って再び歩みを進めた。
◇
「いらっしゃいませ!!」
キンキンと耳を劈く甲高い女性スタッフの声を皮切りに、ショップ内に散らばる他のスタッフさん達も一斉に歓迎の声を轟かす。思わず”ラーメン屋かよ”と突っ込みたくなるが、解釈次第ではどちらかに失礼になる気がして声には出さなかった。
店内の客層は老若問わず。女子高生やベビーカーを引く奥様、どこか凄みのあるご高齢のご婦人など……皆一様に目を輝かせながら、陳列する商品を手に取っている。
「今日はどういったアイテムをお探しで?」
中に入って数歩と満たない内に、私たちの下へ先ほど歓迎の口火を切った女性スタッフが近づいてきた。
スタッフの正装なのか、店名が筆記体で書かれたワンポイントが右胸辺りに映える黒のTシャツと、シンプルなデニムパンツを着用する彼女は、綺麗な黒髪を後ろに結わいたポニーテールで、その童顔と相まって非常に愛らしい印象を受けた。
「い、いえ……まだ何も決めていなくて……!」
聖海ちゃんの営業ボイスが炸裂する。喉に直接チェンジャーでも埋め込まれているのかと勘ぐってしまうその弱弱しい声を聴いて、スタッフさんはすかさず提案した。
「もしよろしければ、ご希望をお聞かせ頂いても宜しいですか?お客様のイメージに合うアイテム探しのお手伝いを……」
「本当ですか!?……じゃあ………」
詰め寄る彼女を一瞥して、次に聖海ちゃんは店内奥の方をじっと見る。そして何かを発見したのか、視線の先を右手で指し示した。
「あれを二台。借りても良いですか?」
私と弌茄君含め、三人は彼女の指を視線で辿る。
人々の姿が重なって上部しか見えないが……それは、奥の壁に沿って等間隔に、七台ほど立ち並んでいた。
「え?何あれ……?」疑問が思わず口に出てしまう。
アパレルショップに似つかわしくない巨大な黒い筐体。自販機程の高さだが、厚さはそのおよそ三分の一程度。縁が見えない程のフルスクリーンには、等身大の女性の3Dキャラクターが、頭髪と衣服を身に纏わない姿で映し出されていた。着せ替え人形の素体、と言い表すのが正しいだろう。
「”バーチャル・ドール”。五年ほど前の草案の発表段階で既に話題となり、去年から実用化されたシステムだ。表示された素体に、精巧にモデリングされた実在するアイテムを着せ替える事で試着せずとも簡単且つ迅速にコーディネートが出来る。……発注可能なら店内に無いアイテムも選択でき、素体も対象者の写真を三面図として取り込めば一瞬で3Dモデル化出来る」
「へ、へぇ~~……」
ついさっきまでの営業ボイスから急に饒舌な解説モードに切り替わるもんだから、我々三人はぎょっとしてしまった。
「フルトンくらい著名なアパレルブランドの新店舗なら、まず間違いなく導入されているだろうと踏んでたが……ビンゴだったな」
その著名ブランド創設者の妹でありながらバーチャル・ドールのバの字も知らなかった私は、ただただ聖海ちゃんの情報量と推察力に感嘆の声を上げる事しか出来なかった。
……しかし、それなら一台で十分な筈だ。どうしてわざわざ……
「では、これを二台貸して下さい」
「二台?……え、えぇ。順番のご案内で宜しければもちろん、ご自由に使って頂いて構いませんけど……」
「ありがとうございます!じゃあ井原君、イツカくん、そしてスタッフさん。一緒に来て下さい」
「”くん”……!?」
「わ、私も!?は……はい……」
突然の君呼びに戸惑う弌茄君と、売り場を案内するはずが突然バーチャル・ドールへの招待券を押し付けられた女性スタッフ。そして微塵も聖海ちゃんの意図が分からず混乱する私含めた三人は、一様に訝し気な表情を浮かべながら彼女に引っ張られていく。
◇
「はい!じゃあイツカくんはこっちで、井原君はこっち!!」
「こっち……て、何すればいいんだ!?」
「………」
人の波をかき分けて、利用者の行列に並ぶこと十分強。順番の回ってきた我々は立ち並ぶ筐体のほぼ中央……右から四番目に私が、五番目に弌茄君が立たされ、肝心の聖海ちゃんとスタッフさんはすぐ後ろで並んで待機という謎のフォーメーションを取っていた。
「あ、あのぅお客様……これは何を……私はどうすれば……」
手を拱くスタッフさんの言葉を聞いた直後、聖海ちゃんは貼り付けていた営業スマイルを取り払い、手ではなく腕を拱き完全なる仁王立ちへとトランスフォーム。そして、公衆の面前であるという事を全く厭わない大声で言い放った。
「ではこれより!!!吉井弌茄 並びに井原ヒロ両名による……”ファッションセンス対決”を行う!!」
「「「………はぁあ!!?」」」
あまりにも唐突な、意識外からの開幕宣言。無論私たちは彼女を振り向いて驚愕の声を上げる。
と同時に、ショッピングを楽しむ皆々様からの視線が我々へと収束し、場が水を打ったように静まり返った。
「た、対決……!?急に何言ってるんだ!?」
キャラ崩壊防止のため基本寡黙を貫いているが、私は思わず叫んでいた。行列待ちのお客さんや仕事中のスタッフさんをも巻き込んで突飛な開幕宣言を行い、不特定多数の人々から痛い程の視線を食らう羽目になっているのだから当然だ。
「あ、あのお客様困ります!急にそんな大声を……それに、対決って一体……」
「実況は銀砂聖海、そして解説はフルトンスタッフの鱗目氏です」
目を離した隙に、聖海ちゃんはどこからともなく持ってきた長机とパイプ椅子を並べて鎮座していた。
「えぇ!!?いつの間にか実況席設営されてる!!!」
目玉が飛び出るほど驚愕するスタッフさん。よく見れば”鱗目”と書かれた名札が首から下げられていた。
普通の感覚なら、突然ショップ内に実況席を設けて騒ぐ謎の一行など即粛清対象の筈だが……余程ノリが良いのか、単に危機感が薄いのか、周囲の淑女たちは皆『なにこれー』とか『おもしろそー』とか、ほのぼの四コマが如く呑気なリアクションをしつつ我々を取り囲んでいた。
「ち、ちょっとアナタ!!いい加減に……!!」
止まらない暴挙に痺れを切らした鱗目さんは、用意されたパイプ椅子をどかして聖海ちゃんへ詰め寄る。
しかし彼女は臆せず、むしろ鱗目さんに距離を詰め耳打ちした。
……小声のせいで、彼女たちの会話の内容は途端に分からなくなってしまった。
「あそこにいる制服の彼………どことなく面影がありませんか?」
「はぁ!?何を言って………」
「よく見てください。佇まい、所作、そして芸術的なフェイスライン。まるで………」
「……………はっ!!ま、まさか………!!春華……様の……!?」
「お気づきですか。………彼、フルトンオーナーである日々野春華の弟なんです」
《ナレーション》
日々野春華は、これまで表舞台に自分の姿を晒したことは一度も無い。姿だけでなく名前を含めた一切の個人情報を隠し、謎のカリスマとして事業を動かし続けている。
故に、彼女の素性を知るのはスタッフの中でも上位層の一部のみ。そして、退職後の漏洩対策も徹底しているため、一般人が日々野春華とフルトンをイコールで結び付けるなどまずあり得ないのだ。
聖海は楚との付き合いの中でその秘匿性を熟知していた。そして入店後の対応と雰囲気から鱗目を、年齢こそ若いが春華の素性を知らされている程度の役職者であると仮定し、釣り針を垂らす。馬鹿正直に食いついた獲物を前にし、その瞬間、後の交渉が通用することを確信した。
《ナレーション終わり》
「おっ……弟……!?春華様のご家族が、この店舗に………!!?」
「そう、これは言うなれば視察です。新店舗のスタッフが自社のラインナップを熟知し、的確にパーソナライズ出来るか……。あの二人がこれから行うコーディネートを観察し、長所と改善点を”解説”という体で口述して頂き、それを臨時監督を任された私が春華様に代わり評価します」
「じ、じゃあ彼の……井原ヒロ……というのは……?」
「仮の名前です。彼だけでなく私も身分を隠しています。そしてこの視察もエンターテインメントという蓑に包み大衆に晒す事で、バーチャル・ドール並びにフルトンスタッフ様の素晴らしい能力の宣伝効果も兼ねている……という訳です」
「し、視察………」
「えぇ。どうでしょう?これはチャンスと捉えるのが妥当と思いますが。………ここでのアナタの評価は私だけでなく、肉親である彼により、ほぼ代謝される事無く春華様へと届きます。即ち、春華様直々の視察と言っても過言ではないでしょう。……安心してください。多少の減点は私の口添え、この現場では演出により調整可能です」
「………」
何を話しているのかは分からない。でも確実に、絶対に何かテキトーな事を言って鱗目さんを言いくるめようとしているのだけは分かる。
「池袋の大型商業施設の一角、十分に素晴らしいですが……ここでの働き次第でゆくゆくは渋谷、銀座、表参道……そして海外店舗へ………!鱗目さん、モンテ・ナポレオーネ通りがアナタを呼んでいますよ」
「………………………」
今度は、私が痺れを切らして二人の下へと駆け寄る。
やっぱりこんな恥ずかしいイベント、即刻中止にするべきだ。普通に楽しんでる様子だけどやっぱり行列待ちのお客さんにも申し訳が立たない。
ほら、鱗目さんだって怒って………
「ご紹介に預かりました!!!!私が本対決の解説を務めさせて頂きます、鱗目加羅です!!!!!!おいお前ら!!!盛り上がって行こうぜ!!!!」
……完全に、目がキマッていた。
「ち、ちょっと聖海ちゃん!!?鱗目さんに何吹き込んだの!?」
「いやぁ~~上昇志向は扱いやすくて助かる!!!」
十中八九、”面白そうだから”という行動理念に基づき開催されようとしている謎イベントのコミッショナーは、パイプ椅子に凭れながら高笑いしていた。




