31話 聖海の案
「……………あれ!?弌茄君!?え、嘘……き、気絶してる!!?」
こちらが驚きを露わにする間もなくフリーズしてしまった弌茄君。私は彼の顔の前に手を翳すなり呼び掛けるなりしてるが、全く反応が無い。
と同時に、周囲からの視線が我々に向かって一点集中する。騒がしいのもそうだが、一番の理由は、私の姿と声のイメージが合致していない事だと気付く。完全に地声が出てしまっていた。
その様子を見て、すかさず聖海ちゃんからの怒号が飛ぶ。
「おい楚、バレるぞ!もし気絶してなかったらどうする!!」
「そんな強盗の懸念みたいな事言わないでよ!!それどころじゃ……」
……と、そこでやっと彼の瞳にハイライトが宿る。
顔を震わせ、周囲をキョロキョロと見渡した後……
「あれ……ここは……?今何時……!?てか何日!!?BC!?AD!?」
「その概念がある時点でADだろ」
聖海ちゃんから冷たい叱責が飛ぶ。
まだ致命的な意識混濁は見られるけど、取り合えず現実世界には帰って来られたみたいだ。
私は咄嗟に咳払いをして、よそよそしく彼から距離を取る。
「……こんな所で……ふ、二人で……何を………?」
意識が戻っても、依然として彼の顔は青ざめていた。
よりによって弌茄君に、プライベートで聖海ちゃんと二人でいるところを見られてしまった。彼からすれば、これで自分の想い人が私生活でも間男と逢瀬を重ねているのが確実になってしまったのだ。外堀どころかダイレクトに城を落とされた様なものだ。
「何って、さっき自分で言ってただろう?……私たちは今、休日に二人で”デート”中だ」
腹の底からせりあがる様なネッッットリとした低音で聖海ちゃんが言う。必要以上の演出に思わず全力で否定しそうになるが、それより先に弌茄君が呻き声をあげた。
「ゲェッッ!!!」
何で彼の断末魔は毎度ヒキガエルを彷彿とさせるのか。弌茄君の奥はまだまだ深い。
「そ、そう……か。いや……そうだよな。…………ごめん。邪魔しちゃあ悪いな」
「………」
絶望を顔に貼り付けながら、定まらない焦点をそのままに呟く。
違うの弌茄君。デートじゃない。そもそも付き合ってないんだって。
今すぐその泣きそうな顔ごと思いっ切り抱きしめて一日中甘やかしたいところだが、劣情をぐっと抑え、差し伸べそうになっていた手を引っ込めた。
「というかイツカ、お前なんだそのTシャツは」
ここで聖海ちゃんが、彼が堂々と着こなしているフルグラフィックTシャツに言及する。
久しぶりに聖海ちゃんが自分に関心を持った事に目を輝かせて、弌茄君はTシャツの裾を引っ張った。
「何って、覆面ライダーだよ!今はアグアムってのがやっててさ!……聖海も昔、好きだっただろ!?」
「……あくまでも昔の話だ。私はもう特撮に興味は無い」
「っ……そ、そう……か」
またもシュンとして俯いてしまった。
……ここで、私の両腕が無意識に震え出す。
高揚にも似た感情が声と共に喉元を通り過ぎるが、なんとか口唇を締めて堪える。
本当は、今すぐ言いたい。
『私は今も見てるよ!!!!!!』………と。
そう、私も本当は覆面ライダーの熱狂的なファンなのだ。
きっかけは弌茄君だった。一緒に遊んでいたころ、彼がしきりに当時のライダーについて熱弁していた事から興味を持ち、それから今に至るまで現行はもちろん平成初期や昭和ライダーに至るまで全てを網羅している。
弌茄君が着ているのは令和六作目のアグナム。今朝も彼とシメキリスの戦いを観覧し手に汗を握った。
関連の玩具も当然全て持っている。昨今は販促の関係から夥しいほどの種類が展開しているが、中でも変身アイテムであるアグナムノートは、ちょっと鼻をかみたい時に取るティッシュの枚数くらいの厚さしかないのに価格が五千二百円とフルプライスな為、先日も私は断腸の思いで三冊目を購入した。
「と、とにかくごめんな!邪魔しちまって。やっぱり別の席探すから……じ、じゃあな……!」
明らかな作り笑いをして、弌茄君がその場を去ろうとする。
あの服装を見て察するに、彼の今日の目当てはアトラ四階で開催されているアグナムのポップアップストアだろう。私も今朝から×で情報だけは確認していたし、今日だって私服の件が無ければ同じくフルグラフィックTシャツで参戦していた。さきほどすれ違った、おそらくアグナム目当てであろう子供達にすら、羨望の眼差しを隠せなかった。
………弌茄君も、まだ熱中していたのだ。
私に関する記憶が消えて、微かな繋がりさえも無くなってしまったと悲観していたけど、あの日二人で語り合った数々の内少なくとも一つが、まだ彼の中で活き続けている。それだけで胸がいっぱいになった。
自分の立場を忘れて、思わず彼の背中を追おうとしていた矢先……後ろから、聖海ちゃんの声が小さく聞こえた。
「いや、これはむしろ……」
そこからは一瞬だった。跳ねるように立ち上がった彼女は、そのまま私より前に躍り出て弌茄君の肩を掴む。
「えっ!!?な、何!!?」
「気が変わった。イツカ、お前は邪魔じゃないぞ」
彼の顔はまだ困惑に包まれていた。十四年間聖海ちゃんの突拍子もない一挙手一投足を身に浴びていたであろう彼だったが、ここ数か月間まともに会話をしていなかったせいで、抗体が反応するのにかなり時間がかかっているようだ。
「お前も付き合え。私たちのデートに」
「なっ………!!」
逆に、私の抗体は一瞬で免疫反応を展開する。すかさず二人の間へ入り、言葉を失う弌茄君を背にしながら、あくまでも冷静に聖海ちゃんに詰め寄った。
「急に何言ってるの聖海ちゃん……!どういうつもり……!!?」
いや、冷静ではなかったかもしれない。
確かな凄みのある小声に対して、彼女も小声で返す。
「これはチャンスだぞ。……私らは、今から楚の私服を買いに行くんだ。イツカも連れて行って、上手い事理由をこじつけて服を選ばせ、最終的に奴の好みに沿ったコーデを揃えられれば……もし今後ヒナタとして会ったとき、奴の気を引けるかもしれないだろ?」
「そっ………それは…………まぁ………魅力的な提案だとは……思うけれども………!」
凄みの中に綻びが混じる。
確かに、私は想いに反して弌茄君の”今”をあまりにも知らない。彼が好む異性のファッションなどもっての外だ。いや、聖海ちゃんに関して言えば何着てても喜ぶんだろうけど……
「で、でも……最終的に着るのは私だよ?サイズの時点でかなり制限付くし、弌茄君の好みと擦り合わせられないと思うんだけど……」
私の身長は177cmと、背丈の面で男装に支障をきたす事が全くない高さである。
だからこそサイズが合う服が殆どなく、ジャージのように淡白な服しかまともに着れない為、今もコンプレックスの一つだ。
ついさっきまでは、最低限外に出ても恥ずかしくないレベルを想定していたが、そこに弌茄君の寸評が入るかもしれないとなると難易度が跳ねあがる。
彼が是とするファッションセンスの投影された服が、彼とほぼ同身長の私のサイズで存在する可能性はかなり低いだろう。
「それに関しては案……というか望みがある。私に任しとけ」
「……?」
対して聖海ちゃんは150cm後半と、女子平均と言っていい身長だった。何でも着こなせるのは身長だけでなく彼女のスタイルやセンスが良いからだと分かってはいるが、先程も隣を歩きながらそこはかとなく羨んだのを思い出した。
彼女の言う”案”もとい”望み”に全くの心当たりはないが、とりあえず私はその言葉を信じる事にし、戸惑いながらも首を縦に振った。
「よし!イツカ、井原君。早速行こう!」
「えっ……!?う、うん……。あ、でもラーメン……」
勢いに押されて提案を呑む彼だったが、抱えているラーメンを一瞥し逡巡する。
聖海ちゃんはテンポを崩さないよう、同じテンションのまま続けた。
「三十秒で啜りな!」
「は、はい!」
「部活かよ」
喉仏を下げて突っ込む私をよそに、弌茄君は即座に我々の居た席に着く。
彼はまるで、今年の夏に全てを懸けた三年の主将のような熱さを以て、魂の啜りを披露するのだった。




