30話 池袋へ行こうよ
◆◇◆
日曜×真昼×池袋=
……解は当然、”大喧噪”。
溢れかえる人々の往来に吞まれながら、私は交差点の真ん中で苦痛に耐えきれず、震える手で顔面を覆いながら呻き声をあげる。
「うぅ……人……人が多い……!!多すぎる……!憎い……人間が憎い………!!!」
「アメコミ敵のオリジンストーリーじゃないんだよ。邪魔になってるからさっさと歩け」
真横を歩く聖海ちゃんが、私の制服の袖を引っ張り牽引する。
一瞬崩れたバランスを整えるように、慌てて歩調を速めた。
「……っていうか!聖海ちゃんまで来てくれなくても良かったのに……。せっかくの休みの日に、私の用事なんかに付きあわなくても……」
「何言ってんだ。上京したて且つ性根が引きこもり体質の楚一人じゃあ、迷子になるわ人混みに酔うわ転ぶわ弾け飛ぶわで生きて帰って来られないだろ」
「私って一人で東京歩いたら弾け飛んで死ぬの!!?」
……結局、姉の言っていた”決断”については保留中だけど……”私服を揃える”という提案には従う事にした。
そして今朝、まさに出掛けるぞというタイミングで聖海ちゃんから『今暇?』というメッセージが届き、そこから誘導尋問やらミスリードやらミスディレクションやら色々駆使され……”服を買いに行く”という目的が漏れてしまったのだ。
結果、男装した私と聖海ちゃんの二人で池袋を闊歩するという事態に至る。
まさに”服を買いに行く服が無い”今、あの部屋着極まりないジャージで外は出歩けないので、必然的に制服、且つそれに合わせた男装を施すしか選択肢は無かった。
「………」
”それにしても……”と、聖海ちゃんを一瞥する。
再会してから部屋着と制服以外、私服の彼女を初めて見たけど……抱いた印象は”清楚”、その一言だった。
白地に可憐な草花が描かれたワンピースに、深い紅の厚手のカ……カーディガン?を羽織り、足元はハイヒールの踵を少し低くしたような靴で機能性と瀟洒を兼ねており、色は生成で彼女の真白い肌と穏やかなコントラストを演出。髪型も いつものロングから、後頭部に髪を纏めたハーフアップになっていて、実に凛々しく、そして可愛らしい印象を持たせている。
待ち合わせ場所に彼女が現れた瞬間、親友であるが故の気恥ずかしさなど忘れてしまう程、思わず”美しい”と息を呑んでしまった。
そう、普段の行動と言動がエキセントリックなだけで、聖海ちゃんは根本的にハイセンス美少女なのだ。
逆に普段何食べてたらこんな美少女からあんな粗野で粗暴で粗悪な行動や言動が繰り出せるのか、然るべき機関で研究結果を纏めて欲しいものだ。
「ほら楚、腕」
「え、何!?ちょっ……」
歩きながら、聖海ちゃんが突然私の右腕に左腕を絡めてきた。
思わず肩が跳ね、甲高い腑抜けた声が漏れる。
「ちょ……聖海ちゃん……!!み、皆見てるって……!!急にどうしたの!?」
道行きすれ違う人々は、腕を抱いて思い切り密着し合う私達を見て一様に頬を赤らめ、中にはヒソヒソと黄色い声で何かを耳打ちするカップルや学生たちまで出始めた。
かくいう私も……華奢で細い腕から伝わる確かな体温や、眼下から昇る花の様なシャンプーの香りを一気に知覚して、瞬く間に顔が熱くなるのを感じた。
「露骨に照れんな!……皆見てるからいいんだよ」
「えぇ!?」
「休日の池袋、ウチの学校も近いし生徒とエンカウントしても不思議じゃない。そこで、このイチャラブデートを刮目させる事で、あわよくば私らカップルの関係良好振りが学内に噂として広がる。……つまり、外堀を埋めるのさ」
「そ、外堀……?」
「あぁ。何ならデートの最後にホテル街に行く素振りでも見せれば、そりゃもう外堀どころの騒ぎじゃない。”奴ら一体、何処に何処を掘りにいったんだい!?”って話にならぁよ」
「………」
ドン引きだった。
笑えないレベルのド下ネタを”ならぁよ”なんて語尾で締めくくる人間が私の真横を歩いている。ドン引きだ。カスの創作落語でも聞かされた気分だ。
産業廃棄物でも常食していなければ、こんな美少女からこんな下品な語彙は生まれないだろう。
だがお陰で、彼女の体温に対して抱いていた緊張や動悸は瞬く間に正常値へと戻り、私は普段通りの冷静さを取り戻せたのだった。
「おかーさん!!早く早く!!」
「もう、引っ張らないの!!」
駅から歩き続けて十五分弱。そろそろ到着、という所で……私たちの横を一組の母子が通り過ぎて行く。それだけじゃない。気が付けば、周囲に同じような子連れが増えていた。
そして彼らは皆 眼前に聳える高層ビル、サブマリンシティへと入っていく。
「ん?なんかキッズ向けのイベントでもあるのか?」聖海ちゃんが怪訝そうな顔で呟く。
私はスマホを取り出し、表示された画面と子供達とを視線で往復しながら……静かに唇を噤んだ。
「……楚?どした?」
「はっっ!!!な、何のイベントやってるんだろうね~~~!?」
「………?」
彼女の真上に表示されている怪訝メーターが更に上昇していた。
聖海ちゃんが付いてきてくれるのは非常にありがたいし嬉しいけど………まぁ、こっちは、また日を改めて一人で来よう。
と、いうか………もしかしたら弌茄君も………
いや、あれから十年も経つんだ。きっともう興味はなくなっているだろう。
そこはかとない寂しさとスマホを一旦胸の内と懐に仕舞い込み、依然眉を顰める聖海ちゃんと共に、残りの道程を歩いて行った。
◇
「はぁ………はぁっ……ぅえ………」
「そんな嗚咽するほど練り歩いてないだろ……!いつもの体力どこいったんだよ楚……」
入り口から動く歩道にて専門店街へ入り、そのまま中を通り抜けてワールドエクスポートマートビルというもう一つのビルの一階フロアに広がる、第二の専門店街”アトラ”に到着。
アパレル、レストラン、ガチャガチャ、ファストフードetc…
このフロアだけでも無数の店が立ち並んでいる。当然通路には老若男女が跳梁跋扈しており……皆一様に満面の笑みを浮かべながら、目当ての店に入っては楽しみ散らかしていた。
対する私はと言うと……そんな彼らの輝きと喧噪に脳をやられ、到着して五分も満たない内に通路脇のベンチへ座り、完全なるグロッキー状態になっていた。
「くっっ………苦しい……意識飛びそう………」
「単なる人酔いだろ!?……しょうがない、一旦近くの店にでも入って休憩しよう」
「う、ううん大丈夫……私はまだ……って、ちょおぉっ!!?」
腕を掴まれ無理矢理ベンチから引き剝がされると、そのまま目の前にあるフードコートへと連行されてしまった。
……例に漏れず其処にも人は満杯で、座る場所を見つけるのも至難の業というような塩梅。
何とか最奥部の右端、かなり辺鄙なところに空席を見つけて着席。そして私を気遣って聖海ちゃんが一人でオーダーしに行ってくれた。
四人用のテーブルだけどしょうがない。もし誰か来たら、人数によっては退却か相席しよう。
「ほい。その状態じゃ食べ物は無理だろうし……飲み物でいいっしょ?」
数分後、彼女はアイスコーヒーをトレイにニ杯乗せて戻ってきた。
「よいせ」という気の抜ける掛け声とともに腰かけ、私の目の前になみなみ注がれたプラ容器を差し出す。
「あ、ありがとう聖海ちゃん。あとでお金払うから……」
現状、財布を取りだす体力も削がれていた。
顔だけ前に乗り出し、突き刺さったストローを加えてゆっくりと飲む。
「でも正直、思ってた以上にごった返してるな。登校以外であんま外出しないから舐めてたわ」
あっけらかんとした口ぶりと共に、足を組みながらカップの蓋をストローごと開けてぐびぐび飲み始める聖海ちゃん。
傍から見れば”顔だけでコーヒーを飲む男”と、”酒の様にコーヒーを飲む女”の出来上がりである。……こんな所、外堀以前に誰にも見られたくない気もする。
「お姉ちゃんの店まで無事辿り着けるかな私……」
「んな大げさな……。スペ●ンカーでも辿り着けるわ」
「簡単に言ってくれちゃって………!あっ、おいしいねこのコーヒー」
乾いた喉をすっきりとした苦みが駆け抜ける。
オーバーヒートしていた頭が冷やされ、徐々に正気を取り戻していくのを感じた。
「この人混みじゃあ、ウチの生徒がいたとしても互いに気付けやしないだろうな」
外堀作戦を諦めたからこそ、酒の様にコーヒーを飲んでいるのだろう。
……いや、聖海ちゃんの場合見られててもやりかねないから断言は出来ないけど。
「そりゃそうだよ……こんな人混みで……同じ学校の人となんて会わないって………。それより早くお家帰りたい……」
愛しき我が家に想いを馳せながらコーヒーを飲み続ける。
お姉ちゃんには悪いけど、お店に行ってもじっくりショッピングは出来ないな……。
「………どう?少しは落ち着いたか?」
「ま、まぁ……最初よりは、だいぶ楽になったかも」
漸く上体を起こしてカップを持ち、最後の一口を吸い切った。
聖海ちゃんは安堵と嘆息の混じったような笑みを浮かべ、私を追ってがぶ飲みを始める。
「ち、ちょっと聖海ちゃん!それは流石にワ、ワイルド過ぎるというか………」
「んー?まぁまぁ気にするなって。今言っただろ?どうせ学校の奴らになんて会わないんだから」
「そうは言っても………」
少しばかりヒヤヒヤしながら、思わず周囲を見渡した。
目に映るのは女子高生同士のグループや大学生、社会人のカップル、そして家族連ればかり。皆それぞれの談笑に夢中でこちらを気に留める様子はない。
確かに彼女の言う通りだ。私も鉢合わせについては危惧していなかった。しかし、ここに来て急に心がざわつき始める。
「うーん……やっぱラーメンでも頼もっかな。楚は?」
「今は春雨も喉通らないよ……。や、やっぱりもう行こう?体調も落ち着いたから」
突如言い知れぬ不安に襲われた私は、二人分の空のカップをトレイに乗せ、それを持ちつつ立ち上がった。
かくいう彼女は、”誰も見ていない”という高を括った呑気な顔で私を見る。
「急にどうしたんだ?何をそんな焦って……」
「い……いいから行こ?早くお姉ちゃんのお店に……」
何か……
「だぁかぁらぁ~~~大丈夫だって!もう少し休んでても別にさ~~~」
こう、着実に……
「と、とにかく行こ!ねぇ聖海ちゃん!!」
「ちょっ、も~~~強引すぎるぞ楚氏~~~~」
フラグを立てて……いるような……
「うわぁ~~~……やっぱり全然席空いてないじゃん……どうしよっかな」
「っっっ!!!」
カクテルなんとか効果……みたいな現象だろうか。
折り重なる喧噪の中で、私の背後から聞こえた たった一人の声が鮮明に、鋭く私の鼓膜を貫いた。
「……………す、すみません……お隣、ちょっとだけ座らせてもらって良いですか?」
あり得ない。いやいや、こんな場所で何の打ち合わせも連絡も無く……?絶対にあり得ない。
きっと人違い。そう、彼なハズがない。
……しかし、背中に感じるこの気は、遺伝子レベルで私のセンサーに大音量のアラームを響かせた。
「あ、はい!もちろんどうぞ………」
シュバッと組んでいた足と姿勢を正し、営業スマイルを貼り付ける聖海ちゃん。
しかし、私の向こう側に立つ彼の姿を見た瞬間、先の言葉は途絶えて、貼り付けたスマイルはホルマリン漬けにでもされたかのように固まってしまった。
「いやぁ、すみません助かります!………………………あっ」
軋んだ歯車の様に、後ろを振り返る。
全てを察して身構えていたが……恐らく私の顔面は、たった今アジアで最も引き攣っているだろう。
「………ま、聖海………!?え、なんでここに…………えっ……!?じ、じゃあこの人………は」
「………」
視線が合う。
彼は私以上に目を見開き、全身を跳ねさせる事で驚愕を表した。
次第に青ざめて行く顔。震える体。そして、絶望の入り混じる声で以て私の……いや、もう一人の私の名を呼ぶ。
「いっっ……井原…………!!?」
私と聖海ちゃんの目の前いたのは、”覆面ライダーアグナム”のフルグラフィックTシャツに身を包み、ウッキウキの顔でラーメンとコーラを乗せたトレイを抱えながら、
「デ、デデデデ………デッッデデ……デデデ……デート!!!?!!?!?!!」
例え”そう”だったとしても、決して当事者の目の前でするべきではない発言を、死ぬ程売れてる漫画のタイトルの様な嚙み方で行い……その直後、立ったまま気絶してしまう弌茄君だった。




