29話 日曜日とストーカー
◆◇◆
『ねぇ、弌茄君』
『ん?何?』
『………”好き”って、どういう事だと思う?』
『なっ……き、急に何だよ……!』
『あははは!照れてる。……ね、どういう事だと思う?』
『わっ……分かんないよ、そんなの。俺まだ子供だし』
鬼ごっこ、昆虫、玩具。
”好き”という言葉に、誰にでも馬鹿みたいに伝えられるものと、ただ一人だけに粛として伝えたいものの二種類があるという事を、俺はつい最近単なる知識として得たばかりだった。そして彼女の口調から、それは後者であると察した。
でも、そこから先は大人だけの世界。俺のような齢十にも満たない子供には到底理解できないだろう。だからこそ、そんな未知の世界の常識に足を踏み入れようとしている彼女が、今この瞬間どうしようもない程に眩く、文字通り大人びて見えたのだ。
『私ね、ぜーんぶ分かっちゃった』
彼女はいじらしく、口角を片方だけ上げたドヤ顔を披露する
『……ほんとかよ?』
『あ!!信じてないでしょ!?ほ、本当だもん!全部分かったの!!』
ドヤ顔から一転。頬を赤くして、空気を切り裂く様に両腕をブンブンと振り攻撃を仕掛けてきた。……前言撤回しそうな程、子供に戻ってしまった。
『いってぇ!!や、やめろよ分かったから!!…………じ、じゃあ教えてよ。……”好き”って、何だ?』
すると、彼女はピタリと攻撃を止める。
そして徐にベンチから立ち上がると……依然拗ねた表情のままこちらを振り返って、思い切り舌を出しながら、意地悪な声色で言った。
『やっぱり、弌茄君には教えてやんない!!』
『は、はぁ!?なんだよそれ!!』
そこから、彼女は沈黙する。
再び口を開いたのは、俺が少し心配になり身を乗り出した瞬間だった。
『………答え合わせしようよ』
『え?……答え、合わせ……?』
思いがけない言葉の羅列に、つい間抜けな声で聴き返してしまった。
『大人になって、また逢えたら……そこで、二人で。”好き”の答え合わせしようよ』
『………』
そういえば……もうすぐだ。彼女が東京から帰ってしまうのは。
心の何処かで忘れようとしていた、今この瞬間まで堰き止めていた現実が、不意に心へ流れ込む。それは悲しみと……根拠のない、縋る様な希望とを孕んだ斑になって、俺の頭を掻き乱した。
『……分かるかなぁ、俺』
『……きっともう、分かってるよ』
『え!?い、いやいや!分かんないって!子供だし!』
何故か彼女は、きっと俺よりも悲しい表情を浮かべていた。
『だから、その時には私が完全に弌茄君をろんぱするんだ!私の”好き”の方がもっと、ずっっっと大きくて強いって!!!』
『それたぶん論破って言わないと思うけど……。”強い”とかじゃなくて”正しさ”の話じゃ……』
『う、うるさい!!!いいから決まりね!!!ちゃんと覚えといてよ弌茄君!!』
今まさに論破しかけた俺の言葉を遮り、再び彼女は怒ってしまった。
すぐ顔に出るのは変わらない。やっぱり彼女は、俺の知っている子供のままの■■■ちゃんだ。
…………あれ
■■■ちゃん……?
『え?』
そこにはもう、誰もいなかった。
『………』
何で俺は一人で……誰と喋っていたんだろう。
微かに熱い、暮れの陽光を浴びながら。ただ鼓膜を響かせるのは鳥と、木々と、一人分の呼吸だけ。
もう夕方じゃないか。……早く帰ろう。
確かな違和感と共に、踵を返す。
しかし、すぐに足を止める。
『………何だ、これ……』
頬に、何かが伝う感触があった。
『俺……泣いて………?え?あれ……?なんで……』
苦しい。
何故か胸が、気が狂うほどに苦しい。まるで何かを拒絶するように。何かを拒絶する事を、体が拒絶するように。
何かを忘れているんだ。俺は、途轍もなく大切な何かを忘れている。
それだけは分かる。でもどれだけ思い出そうとしても……体はただ機械的に、無意味な涙を流させるだけだった。
……思い出せ……思い出せ、思い出せ!思い出せ!!!
君は………………
俺………は………
◇
「はぁっっっっ!!!!遅刻っっっっ!!!!!」
目覚まし時計のけたたましいアラームが部屋に響いている。
やけに現実的な夢から覚め、爆発的な起床を果たした俺こと吉井弌茄は、著しい焦燥についていけない体を無理矢理働かせて、ヨタヨタとベッドから降りた。
が、そこで違和感に気付く。……スマホを開くと、現在時刻の下に今日の日付と、”日曜日”という輝かしい三文字が表示されていた。
「あっっっ………せったぁ~………!!!良かったマジで………はぁ~~………」
脱力してその場にへたり込む。ついさっきまで見ていた夢の内容は、既に頭から泡沫の様に消え去っていた。
「て、九時二十八分!?……それはそれでヤバい!!!」
再燃した焦燥感。華麗なターンで後ろを振り返り、そのままテレビの前にスライディングしつつ正座へ移行。
数秒間リモコンを捜索し、見つけた瞬間掴み取って電源を付けた。
『東雲澪原作の大人気小説が、遂に実写映画化。”消えゆく君に”、十一月六日公開!』
『車買うなら!大和オートへGO!』
『これ一本で、貴女の髪に潤いを――――』
幾つかのCMを経て、漸くお目当ての予告が流れる。
『覆面ライダーアグナム!!このあとすぐ!!』
テレビから勇ましい男性の声が響く。
俺が幼き頃から愛して止まない特撮ドラマシリーズ”覆面ライダー”。昭和、平成、令和を繋ぐ長い歴史を持つが、令和六作目となるのがこのアグナムだ。
漫画家として活動しながら、漫画の神(手塚〇虫ではない方)より授けられた力でアグナムへと変身する主人公 筆岡カケルと、人間(特に漫画家)を襲う謎の怪人”シメキリス”達との戦いの物語。
”アグナムノート”という特殊なノートに”アグナムGペン”という特殊なペンで任意の変身フォームや武器、その他アイテムを描き、腰に巻いた特殊なバックルに装着しページをめくる事でそれらを具現化することが出来る。
変身アイテムは軒並み商品化しているが、リアルさを追求し、玩具のベルトもノートに付属しているペンで描ける仕様になっていて、子供達も最大の没入感を以てアグナムになりきれる。
ただ一つ劇中と違うのは、テレビでは毎話百回くらいはノートに描いて戦闘しているのにページが減る気配も、ましてやノートを新品と交換する素振りも無いのに対して、玩具の方は安物イヤホンの説明書並みのページ数しかないにも関わらず価格が税込み五千二百円とフルプライスな為……大小問わないお友達は毎度断腸の思いで変身するか、そもそも一度も変身することの無いまま持ち腐れているかに二極化しているという点だけ。
ちなみに俺は今週だけで既に三冊ほどアグナムノートを新調している。正義の為にはバイト代も惜しまない、敬虔な大きいお友達である。
「うぉっ!!」
今週も、アグナムとシメキリスの手に汗握る戦闘シーンが満載だ。目まぐるしくフォームを変えながら、バラエティ豊かな武器を描き、駆使している。こりゃあまた新商品と俺のバイト時間が増えるぞ。来週は是非とも素手で殴り合って欲しいものだ。
「いけっ!!よし!!………えぇぇっ!!?それは卑怯だろシメキリス!!!」
「マジかお前……ここで裏切んのかよ……」
「うわぁぁああぁぁあ!!!アグナムーーーーー!!!!」
「ま、まさか……巻末ページに世界の真相が………!?」
こうして、彼らの一挙手一投足に無意識下で呼応しながら、俺は全力で約二十四分間を楽しんだ。
◇
「ふぅ~~~……今週も最高だったな……」
余すところなくアグナムを楽しんだ俺は、すっかり覚醒した意識のまま部屋を出て階段を降りて行く。
さて、この後は超大手SNS”×”で、アグナム公式からの最新情報を……
「あ、おはようございます。弌茄先輩」
リビングに到着すると、そこにはわざとらしくエプロンを付けた人間が一人、立っていた。
セミロングの銀髪、かなり小柄だが鋭い目つきと紅い瞳は、どことなく神々しささえ感じさせる。
しかし彼が両手にもっているのは、これまたわざとらしいハートマークがでかでかと描かれた旗が刺さるオムライス。ケチャップで描かれていたのはこれまたデカいハート。緊張と緩和を一つの塊にしたようなその光景は、結果的にシュールという表現に落ち着いた。
「おっっ……おはようじゃねぇよ!!!何で俺ん家いんの!!?どっから入ったんだ篝!!!」
「それは当然玄関からです。先日、先輩の家鍵からこっそり型を取り、ポリエステル樹脂と硬化剤で合鍵をDIYしましたので」
「何でそんな冷静に語れるんだよ!!すな!!そんなDIY!!!」
彼の名前は篝永遠。俺と同じ高校に今年入学した一年生。
雪の様に白い肌、目を見張る程に美麗で女性的な相貌をしているが、生物学的には男性である。
なんやかんやあって中学時代からの付き合いだが、昔から俺に対して何かと狂気的な絡み方をしてくる謎多き人間だ。
「ここ最近は忙しく、先輩と会えていなかったので鬱憤がたまり……気が付けばDIYしていました。安心してください。合鍵はこれ一つだけですし、この後すぐに溶かして処分します」
「まぁ……ならいいけど」
無論よくないのだが……こんな事は今までに幾千幾万と行われてきたので、すっかり脳神経が焼き切れてしまいそれ以上の反論は出来なかった。
「それと先輩、どうでしょう今日の僕のコーデは。腹部がチラ見えする薄手のトップスに、腰のラインが際立つスキニー。シンプルながらもかなり煽情的でしょう?」
「何を煽情してるのか分からないが……それより、朝飯作ってくれたのか?」
ファッションについて素通りされた篝は無表情のまま頬を膨らませ、手に持ったオムライスを今一度掲げた。
正直に言って、彼の料理の腕前は常軌を逸している。篝に振舞われた料理に関しては、その後どんな有名店でも満足できなくなってしまう程だ。
オムライスを振舞われるのも一度や二度ではないが……俺は既に、どのファミレスに行っても二度とオムライスを注文出来ない体に書き換えられていた。
「先輩の為にソースから仕込みました」
「一体何時間前から居たんだお前………!!ま、まぁ……ありがとう」
どこまでも狂気的だが、全て善意と厚意によるものである事は知っている。
香しい匂いに生唾を呑みながら、素直に感謝を告げた。
「なんて光栄な言葉………。先輩、やっぱり食事後、”B”くらいまでは出来ませんか?」
「え、どういう意味!!?なんの隠語!?」
無表情のまま、頬だけ異常に赤らめて息を荒げ始める篝に、思わず困惑する。
「…………すみません、取り乱しました。僕の理性の強さに命拾いしましたね先輩」
「何言ってるんだお前……」
「…………それともう一つ、今日先輩の家に来たのは……”忠告”も兼ねてです」
「ち、忠告?」
「あの雌猫……いや、銀砂聖海の恋人という男、”井原ヒロ”。端正なルックスと驚異的なスペックで僕ら一年生の中でも騒がれていますが、最近先輩は何かと彼にちょっかいをかけているそうですね。………あまり彼と関わらない方が良いかと」
「ち、ちょっかいって………!まぁ、確かに意地になって勝負とかも仕掛けたけど……」
それに、井原だけでなく妹のヒナタさんにも散々迷惑を掛けてしまっているが。
「………で、何で関わらない方が良いんだ?お前が聖海以外に警戒心抱くなんて……」
「匂うんです」
「匂う?」
「えぇ。上手く言えませんが、どこか……僕と似たような匂いが……」
「………お前と似た匂いだからって、何が問題なんだ?」
「っ…………と、とにかく。これ以上無闇に井原ヒロと接触するのは控えてください。あと、それとは別の完全な私怨で、あのドブ鼠……銀砂聖海とも関わらないでください」
篝は昔から聖海のこととなると、憎悪にも近い負の感情を剝き出しにする。……聖海の方は気にも留めてないといった感じで、平気にスキンシップを図ったりしていたが。
「それでは、死ぬ程名残惜しいですが僕はこれにて失礼します。…………あ、そういえば先輩。さきほどタイムズのアグナム公式アカウントで、ポップアップストア出店のお知らせがあったようですよ」
「えぇっ!!?マジか!!」
すかさずスマホを開いて確認を行う。
「相変わらずですね先輩。では、また学校で」
「あ、あぁ!!……朝飯、ありがとうな」
「……ふふ、冷めないうちにお召し上がりください」
珍しく微笑んだ篝は、そのまま堂々と玄関から家を出て行った。
対する俺はテーブルに着くやいなや公式アカウントを開き、逸る気持ちを抑えながら最新の投稿をチェックする。
「こ、これか!!」
公式が提示したポップアップストアの商品一覧には、変身アイテムだけでなくキーホルダーやTシャツ、バッグ、文房具にクリアファイルに文鎮など……あらゆる限定品がラインナップされていた。
「これは行くしか………えーーっと……場所場所……」
場所の記載は、いじらしくもアナウンスの最後にあった。
開催はなんと今日から。場所は東京、そして池袋。
「………サブマリンシティ」
瞬間、鼓動が高鳴る。
ソワソワしながらも俺はとりあえずスマホを置き、手を合わせる。
「いただきます」
脳内で購入リストを作成しながら……篝の特製オムライスに舌鼓を打つのだった。




