27話 鏡の中
よもや二日連続で想い人の土下座を目の当たりにするとは……
しかもカフェの一件で再三 土下座した影響か、三つ指を付いた際の肘の角度、背中のラインはどれも見惚れる程の美しさを宿し、そして知ってか知らずか彼の頭頂部が指し示す方角は、今年の吉方位の一つである北東。縁起さえも考慮した完璧な土下座。明らかに昨日よりも土下座の精度が上がっている。土下座の精度って何?
「ヒナタさんが働くカフェに、営業開始前にも関わらず勝手に侵入し……着替え途中のヒナタさんを見てしまったんだ」
勝手に侵入て。どんだけ自分を加害者に仕立て上げるの弌茄君。看板がopenになってたからしょうがないよって散々言ったじゃん私!!てかそんな神妙に下着姿見た事を改めて謝られたらまた恥ずかしくなってくるじゃん!!やめてよ!!
「頼む!!!少なくとも顔面が原型を留めないくらいは殴ってくれ!!!その後公衆の面前に俺を全裸にひん剥いて晒し上げた末に県警に突き出してくれ!!」
「俺も暴行罪で捕まるだろうそれは………」
昨日あれだけ打ち解けて(?)RUINしてたはずだけど、やはり彼の中で罪悪感の炎は消えるどころか一層燃え上がり続けたのだろう。
……本人が許しているにも関わらずこの調子だと、もう誰にも彼の謝罪は止められないのかもしれない。
「………ヒナタは、許したんだろ」
「え………」
どうにか初恋の人の顔面を変形させる道だけは避けなければならない。その一心で私は、鋭角に逸れた会話を切り出した。
「多分、許したんだろ。ヒナタは」
「あ………あぁ、ヒナタさんは”気にしないで”と言ってくれた。でも、俺は未だに俺を許せない。本当はあの場で直接ヒナタさんに制裁を加えてもらおうと思っていたが、彼女に人を殴るなんて暴力的な事はさせられない。だから……井原。ヒナタさんの代わりに……そして家族であるお前の怒りも同時に……俺にぶつけてくれ!!!」
だから同一人物だっつーの!!ヒナタに出来ない事はヒロにも出来ないよ!!!なんでこっちの私なら容赦なくぶん殴ってくれるって確信してるの!!?私の事なんだと思ってるの!!?
沸々と湧き上がるショックと怒りを堪えつつ、脳味噌をフルに回して打開策を練る。
そして十数秒後、半ば見切り発車で私は口を開いた。
「………ヒナタが、言ってた」
「えっ………」
「昨日、”友達が出来た”って言ってた。多分、お前の事だろ。……その時、”下着見られた”なんて一言も言ってなかった。アイツは本当に何も気にしてないんだと思う。それに、お前は故意に女の着替えを覗く様な奴じゃない。……何か事情があったんだろ」
「………」
弌茄君は口をぽかんと開けている。
”そんな評価をされるくらい俺達って深い仲だったっけ?”という顔だ。しまった。彼の人格を肯定するには、あまりにもこのモードでの交流が少なすぎる。間男であれば否が応でもネガティブイメージの構築に努める筈だ。
「いや、その………俺の聖海が友達として認めてる人間が、悪いやつとは思えない……ってだけだ」
「………」
明らかに”しゅん”としてしまう弌茄君。咄嗟の間男ムーブがクリーンヒットしてしまった。本当にごめん。
「だから俺も気にしない。………殴るなんて出来ない」
「でも………!」
顔を上げ、半歩ほどこちらに詰め寄る弌茄君。その顔の前にそっと手を掲げる。
「だったら、一つペナルティだ。………死ぬ程面倒な女だが………ヒナタと仲良くしてやってくれ。聖海以外では、お前が初めての友達だろうからな」
これは完全なるノンフィクションである。男友達は無論弌茄君しかいないし要らないし、そもそも彼とは結婚したいわけだから理論上男友達は存在しなくていい。と同時に、女友達に関しても私の性格に若干の難があるせいか聖海ちゃんしかいない。憐れむな。殴るぞ。
「俺なんかじゃあ、ヒナタさんだって……」
「………黙れ」
独り言の様に卑下を続ける弌茄君を、私は壁の方まで追いつめる。……身長差がほぼ無いせいで鼻がぶつかりそうになるくらい近づいてしまった。危ない危ない。気絶するか襲うかしてしまう所だった。
そして彼を横切る右腕は、すぐ後ろの壁へと伸びる。
勢いでやってしまったけど、これはもしや……元々は隣人トラブルの引き金になり得る行為からの誤用から端を発し、今ではもう死語の一途を辿り終えていると言っても過言ではないあの………か……か……壁……ド……
「どっ……どうした井原……?すっごい息乱れてるけど……だ、大丈夫か!?」
「はぁ……はっ………あ、いや……問題ない………何でもない……………!!何でもないが………ちょっと目を瞑ってもらっていいか……」
「何で!?本当に大丈夫か!!?ほ、保健室行くか!?」
「あっしまった………つい理性が…………わ、忘れてくれ……」
あっっっっっぶな!!!!何しようとしてんの私!!?なに過程すっ飛ばしてゴールテープ切ろうとしてんの!!しかもこの姿でそれしてるの見られたら作品ジャンル変わってくるだろ!!!
「と、とにかく。………これは要求であり命令だ」
「め、命令……?」
「お前に負い目があるなら………友達になれ。ヒナタもそれを望んでる。……アイツと、アイツの兄からの要求を、これ以上断るのか?」
「そっ……それは………」
動揺し、目を泳がしながら逡巡する弌茄君。
突き刺すような視線を向け続ける私に、彼はやがて口をつぐみながらも顔を向けた。
「………わ、分かった。もうゴチャゴチャ言わないよ、俺」
「………ならいい」
名残り惜しいにも程があるが壁から手を離し、彼と距離を取る。
少し着崩れた制服を直す弌茄君を見て………しかし、心に浮かんだ微かな靄を、無意識下で口に出していた。
「……お前自身は………」
「え?」
そこまでで、口を閉じる。
事実を知るのが……いや、事実であろう仮説を口にするのが、無性に怖くなってしまった。
「何でもない」
「そ、そうか」
”お前自身はどうなんだ?”
聖海ちゃん以外の異性との関わりなんて、本当は煩わしいだけなんじゃないか。そんな人間と押しつけがましく交友を結んだ所で何になる?……義務感から、恋はきっと実らない。私はまた選択を……
「…………でも、恥を忍んで言わせてもらうけど……。命令されたからじゃないよ」
顔を上げる。……彼からは、先程までの逡巡が消え去っているように見えた。
「昨日、実はヒナタさんとRUINを交換させてもらったんだ」
知ってる。私だからそれ。
「初対面の時から何度もキショい行動ばかりしてた俺にも、優しく接してくれて。RUINでもタメ口で良いからって。……明るくて、優しい妹さんだな」
「………そ、そうか」
照れる。私だからそれ。
「都合良い事言うようだけど……命令とか、償いじゃなくて。本当は俺もヒナタさんと友達になりたかったんだ。資格の話だった。俺も友達少ないからさ……昨日のやり取り、楽しかった。多分心のどこかで、許されたいって思ってたんだ。………やっぱり最低だよ、俺」
「そ、そんなことっ……そんな事ない……だろ」
「でも安心して欲しい。もう妹さんに、ヒナタさんに迷惑は絶対かけない。悲しませる事も嫌がる事も絶対にしないし誰にもさせない」
「………」
え、プロポーズされてる?
普通にプロポーズされてない?友達の話してるんだよね?それもう”結婚を前提に”のカテゴリじゃない?”トモダチ”っていう音なだけで、どっかの言語で”結婚”を意味してるとかじゃない?そういうグローバルさを披露したっていう可能性はない?
「よっ………よろしくおねがい……します……」
「えっ?……あ、うん……よろしくお願いします」
紅潮する顔をそのままに、ついうっかりヒナタ目線で疑似プロポーズを引き受けてしまった私を見て、当然弌茄君は困惑する。……一応兄として文脈は通っていなくもない為か、数秒遅れて彼も頭を垂れた。
「それじゃあ……ヒナタの事、頼む」
「………こちらこそだよ。ありがとう、井原」
その時、階下から一人の男子生徒の顔が覗く。と同時に、呆けた様な声色が閑静な空間に反響した。
「こ、こんな所にいたのかお前ら!!!探しちまったよ……!早く購買行こうぜ吉井!塩キャラメル焼きそばパン売り切れちまうって!!」
弌茄君の友人である、赤頭君だった。
何もやましい事はしてないし、してもらってもないが、何故か”見られた”という感情が先走り、お互い咄嗟に距離を取って真反対の方向を向いてしまう。……動悸と冷汗も伴って。
「で?お前ら、何の話してたんだ?」
「いやっ……別に……」
つかつかと階段を昇りながら、眉を顰めてこちらに近づいてくる。
「まさかお前……吉井に何か余計な事言ってないだろうな?こいつはただでさえお前に初恋の女取られて傷心中なんだぞ?これ以上この哀れな生き物から何かを奪うな!!」
「哀れな生き物って言うなよ!!!……俺が井原を呼びだしたんだ」
「はぁ?………また懲りずに勝ち目のないセルフ消化試合でも持ち掛けたのか?」
「今の所お前しか余計な事言ってないからな!!!……じゃあ井原、時間取らせてごめん」
そう言って、彼はグイグイ腕を引っ張る赤頭君に引きづられ、階段を降りていく。
「じゃあ、ヒナタさんに宜しく!!!」
最後の段を降りる前にそう言って、彼の姿は死角に入る。
………ヒナタの姿で『ヒロによろしく』と言われ、ヒロの姿で『ヒナタによろしく』と言われてしまった。アンチノミーにも程がある。
「まっ……待って…………待て!!!」
くだらない脳内はさておき、思わず階下の弌茄君を呼び止めてしまった。
それを聞いた彼は咄嗟に壁のへりを掴み、牽引を止めてひょこっと顔を覗かせる
「なっ……何!?」
「あの……その………」
最後に、これだけは聞いておきたい。
あの場では聞けなかった……彼の意見を。
ヒナタでも楚でもない立場で。
「井原………?どうした?」
俯き気味で、だがしかしはっきりと彼の耳朶に触れるよう……私は深呼吸の後に言った。
「ひ、ヒナタのメイド服………どうだった……?」
……瞬間、場が一瞬にして静寂に包まれる。突飛な言葉が反響を終えるまで、永久とも思える十数秒間が過ぎていく。階下に見える空き教室の上方の窓に嵌め込まれたガラスには、明らかに赤面している私が映っていた。
やがて弌茄君はその言葉を理解する。私同様、肺に必要十分の空気を入れて……はっきりと、親指を立てながら言った。
「信じられないくらい、似合ってた!!!」
そこで、彼の姿が完全に消える。……痺れを切らした友人に再度引きずられていったのだろう。
対して一人踊り場に取り残された私。
彼の反響が止んでからも、それは私の脳内で引き継がれ延々と鳴り響いていた。
思わずその場に蹲り、自分の両頬に手を当てる。
そしてすぐ離す。
信じられないくらい、熱くなっていたから。




