26話 無敵
「無敵だ……」
カフェでの一件を終え、翌日。
今日も今日とて私 扮する井原ヒロはお馴染みの男装姿で登校していた。時刻は昼。午前の授業をちょうど終え昼休憩に入ったところである。
弌茄君は友人の赤頭君と購買へ。……いつも通りの時間の流れ。
しかし、今日の私はいつもと違う。
「ふ……にへ………にひ………」
固く冷たい椅子に座り、眺めるのはスマホ画面。液晶に表示されているのは、昨日の弌茄君とのRUINのやり取り。
………あぁ、私弌茄君とトーク(活字)したんだ。
広義で言えば、私が彼のプライベートを一時的に独占したんだ。……しかもタメ口で会話(活字) してるし。………いや一応、井原ヒロとしては面と向かってタメ口使われてるけど、”宣戦布告”とか攻撃力高めの会話しかしてないし。
こういう砕けた話を彼と出来ている現状が、たまらなく嬉しい。……ちょっとだけ、昔に戻ったみたいだ。
夢遊している様な高揚感のせいで、朝からまともな思考が出来ていない。弌茄君とも、顔を合わせた途端火を噴く様に顔が熱くなる為、朝からまともに彼を直視出来ない状態が続いていた。
「どうしたの楚………それぞれの口角と目尻が繋がるレベルでニヤけてるけど……」
「そんなニヤけてないよ!!」
突如横からヌッと現れた聖海ちゃんの心無い一言に、思わず地声で反応してしまう。
「…………はっ!!っごほ!!……ん”んっ………お、おはよう」
すかさず咳払いで誤魔化し、釣り合いを取る様な低音で言葉を繋げた。幸い、クラスの皆は談笑に集中しており誰一人こちらを見てはいなかった。
そういう彼女こそ、”それぞれの口角と目尻が交わる点をPとする”という命題で一問作れそうなレベルでニヤけつつ着席し、頬杖をついた。
「もしかして………イツカと何かあった?」
「ナッッッ………ナニモ……ナニモナイヨ………?」
「ポンコツロボみたいな音程で言われても説得力無いって。……何かあったんでしょ?」
聖海ちゃんは、まるで『全部知ってるぞ』と言わんばかりに達観した眼差しを向ける。
基本は”残念過ぎる美女”な彼女だけど、時折こういったミステリアスさが垣間見えるのだ。心の奥底まで見透かされてる様な感覚に陥る。
……私は一呼吸置いて、声を潜めつつ彼女に顔を近付けた。
「じ、実は……昨日私、弌茄君と………ル、RUIN交換して……」
「えっ……マジ?どういう流れで!?」
そこから、昨日カフェで生じた事の顛末を聖海ちゃんに話した。
「……という訳で………井原ヒロに、その……妹が誕生しまして………」
「………」
聖海ちゃんは絶句していた。
「妹か……また随分爆発的に飛躍したな……」
「は、はは……」
「………そうか……やっぱり男装を解いてもアイツは……」
「え?何?」
聖海ちゃんの言葉を聞き逃してしまい、前のめりで問う。
しかしそれは、つい先ほどの私同様、わざとらしい咳払いでかき消されてしまった。
「何でもない」
「……そっか」
会話の流れが途切れる。
生徒たちの喧噪で埋められたその間隙に乗じて、私は昨日の件から抱えていた一つの心の靄を、遂に吐き出してしまった。
「……ねぇ、聖海ちゃん」
「なに?」
問いかけに、何かを察した様な表情を浮かべて彼女は向き直る。
一つ呼吸をして、言葉を続けた。
「知ってた……の?弌茄君が……その……」
十年前の記憶を、失くしている事。
……言い淀む私とは対照的に、聖海ちゃんは一切の動揺も躊躇も無く、ただ私の眼を見て答えた。
「知ってた。十年前、楚が北海道に帰って行ってから、すぐ。色々検査して、医者からの診断も一過性健忘。記憶喪失だ」
なんとなく、そうなんじゃないかと思っていた。いや……私よりずっと長く弌茄君と一緒にいた彼女が知らないハズがないのだ。
でも、こうして事実として彼女の口から語られた瞬間、胸に乾いた痛みが走る。それは微かな、怒りかもしれないし、悲しさかもしれなかった。
「どうして……教えてくれなかったの?せめて一言くらい……!」
意地悪や揶揄い等といった理由で、聖海ちゃんが記憶の件を黙っていたなんて事は毛頭考えてない。でも……
「言い訳するつもりは無いけど……ただ単に、言えなかった。楚の気持ちは再会する前から知ってた。でも、だからこそ……」
「………」
私が逆の立場でも、”君の想い人は、君の事を完全に忘れている”だなんてはっきりと告げられる自信は無い。多分、告げられていたとしても、自分の眼で見るまでは信じない……と思う。
彼女の言葉を聞き、顔を見て、私はそれ以上何も言えなかった。
「あくまで憶測だし、楚も同じこと考えてるだろうけど……イツカの記憶喪失は、あの火事のトラウマから来るものだと思う。過去に遭った恐怖から、自分を守るために……」
「……」
「だから、アイツの脳には”刺激”が必要だと私は思う。過去のトラウマさえも矮小に思えるほどの刺激。………そう、”””寝取られ”””の様な」
「………ん?」
「井原ヒロという間男、そして兄と想い人(私)の色事を逐一報告してくる妹の井原ヒナタ。………この隙の無い圧倒的な脳破壊包囲網は、確実にイツカの中のトラウマをミクロサイズ角まで木っ端微塵に粉砕するだろう……!そしてその時初めて!!奴は自ら封じ込めていた過去を解き放ち、楚という存在をその身全てで実感する事が出来るのではなかろうか!!!」
「声でっか!!!ちょちょちょ!!しーーーっ!!!しーーっ!!」
両腕を広げ、拡声器の擬人化の様なけたたましさで熱弁する彼女を、慌てふためきながら制止する。
流石に大多数の生徒が談笑を中断しこちらを振り向いたが、”降霊術です”と言わんばかりに儀式めいた身振り手振りで聖海ちゃんの佇まいを仰々しく演出した結果、大多数の生徒が”なんだ降霊術か……”といった表情を浮かべて談笑を再開した。日本もまだ捨てたものではない。
「勝手に非人道的なフォーメーション組まないでよ……新たなトラウマに苛まれるだけじゃん!」
「でも、このままじゃイツカの記憶は戻らない。それにイツカ自身もトラウマを抱えていると同時に、記憶を失くしている事に対して少なからずの苦悩があるはずだ。幼馴染の私が見てそう思うんだから間違いない」
「っ………」
「だからこれは、私からの頼みでもある。……楚、頼む。私を寝取って弌茄を苦しめ続けてくれ!」
「心が無いの!?人の!!!」
でも……聖海ちゃんの言う通り、過去の記憶の一部が消え去ってしまっているというのは、私の主観を抜きにしても、弌茄君本人にしか分からない苦悩や不気味さがある筈だ。
それに、妹の存在を嘘とバラせば、芋ずる式に男装の嘘もバレてしまうだろう。自分が取り付けた足枷だけど、今更外す事は出来ない。
「ぐぅ~~………」
無意識に呻き、苦悶に顔を歪ませながらも、私は既に選択肢が無いことに対して納得若しくは諦観を抱きつつあった。
それを察してか、すぐさま彼女は身を乗り出し、脇目も振らずに問いただす。
「もしかして、BBF組む気になった?」
「な、なってない!!今絶対イニシャリズムにしたでしょ!!」
「バレたか……小説でもない限りバレないと思ったけど」
「小説じゃなくても単語ごとにそんなドヤってたら分かるよ!!!」
「………まぁ、いくらイツカでも……あんな美少女に迫られたら例え記憶なくてもいずれはオチるだろうし、過去の記憶もなんやかんや戻ると思うけどねぇ」
「せっ……迫るとかそんな、はしたない事……!!そ、それに弌茄君はそんな節操無い人じゃないよ!!」
すると聖海ちゃんは、人差し指を顔の前で揺らしながらジトりとした目を浮かべ、低い声で言う。
「いやいや~?アイツも良い奴だし基本軸はブレないけど……オスである事には変わりはない。ちょっとした下ネタでも赤面するし、前に橋の下で拾ったエロ本見せたら赤面どころかぶっ壊れたロボみたいになって会話も成り立たなくなったし」
「男子中学生みたいな悪戯かまさないでよ私の好きな人に!!」
「………まぁその話は置いといて。楚の場合は、スパイスとして背徳感もある」
「は、背徳感……?」
「クラスメイトである間男の妹の下着姿を見て、なんやかんやで友達になってんだよ?そしてその事実を兄は知らない。………男は闘争の生き物だ。罪悪感はやがて、”自分しか知らない”という背徳感として、間男に対する怒りと憎しみの捌け口になる。兄の知らない所で、寝取られた幼馴染に向ける筈だった劣情を一心不乱に彼の妹へぶつける姿はまるで獣の様な……」
「テ、テンプレ官能小説みたいな世界観に弌茄君を放り込まないで!!」
「おや、君は官能小説のテンプレートを把握しているのかねワトソン君」
「官能も推理も読んだ事無いけど多分シャーロック・ホームズは揚げ足取って誘導尋問みたいなセクハラしないよ!!」
とはいえ、獣の様な弌茄君を一瞬想像し、私の方が背徳感を抱いて一気に体が熱を帯びてしまう。……我ながら本当にどうしようもない。
………と、そこで。
「いばら」
突然後ろから、その三文字が耳朶に触れる。……いつもより何処となく神妙で、低い声色。聞き違う筈も無く、弌茄君の声だった。
「ひぃいぁっっっっっ!!!!!」
そのいつもと違う声色が齎す衝撃は稲妻が如く。脳から四肢末端にかけて重く鋭く甘い刺激が縷々として流れた。
彼にとっては”井原”のつもりだろうが、私にとっては当然”楚”なのだ。こういう反応になるのも至極当然。
「にゃ………な………何………何だ」
一時的に著しく退化した滑舌は、ダーウィンもしたり顔で頷く程の流麗な進化を遂げる。
っていうか、購買行ったんじゃなかったの!?
「おい吉井!!急に『教室戻る』って、一体どうしたんだよ!?」
少し遅れて、赤頭君が息を切らしながら教室入り口まで走って来た。
「悪い赤頭。先に行っといてくれ」
「はぁ!?早くしないと売り切れ……」
「……頼む」
劇画の様に真剣な表情でそう告げる弌茄君に、彼は少し引き気味で嘆息した。
「わーったよ……たく……。さっさと来いよ!?」
そう言って踵を返し、再び教室から走り去って行くのだった。
「………急にすまない、井原」
「あ、あぁ……別に……」
相変わらず劇画顔のまま、弌茄君は私を凝視し続ける。
その間、ずっっと聖海ちゃんはニヤついていた。その交点Pに電極を差し込み稲妻を流した際に生じる電力(W)でも求めてやろうかと思ったが、それはまた別のお話。
「悪いけど……ちょっと、来てくれないか?」
「えっ………!?あ、あぁ……」
まっ……またお誘い!?今度は何を宣戦布告させられるの私!?
私も流石にそこまで馬鹿で単純じゃないので、これが告白とか淡いものでない事は分かる。
取り敢えず、さっきの不意の名前(苗字)呼びの影響で依然ドキドキしたまま、彼の言葉に従い私は席を立つ。
去り際に……彼の見てない所で、ニヤつく聖海ちゃんの頬骨の少し下あたりを思い切り両指で刺突する。彼女は悶え苦しみながら『ここが私の……交点P……』とか言いながら息絶えた。
◇
「………今度は何の話だ」
「………」
弌茄君は、会話の場所を三階東階段の踊り場に設定した。………結構歩いた。まだお昼食べてなかったのでプチ拷問だったけど、弌茄君の誘いだから全然問題はない。強いてペナルティを与えるとしたらハグくらいはして欲しい。
購買の開かれる西の正面玄関側と違い、昼休憩中に東側のこの階段を昇降する生徒は極端に少なくなる。それにすぐ上は入り口の施錠された屋上なので、私たちが到着した時、生徒の気配は一切感じなかった。
「井原………」
信じられないくらいの汗を流しながら、この上ない真剣な表情の弌茄君。……マジでいよいよ何の話なのか分からなくなってきた。
緊張感を孕む沈黙が続くと……その果てに。
「本当に……本当に、申し訳ない!!!!!」
弌茄君は冷たい地面に額を付け、ものの見事な土下座を繰り出して来た。
「えっ………えぇえぇっ!!?ど、どうしたんだ弌……吉井!!?なっ……何して……」
「本当に……申し訳ない!!!!」
「同じこと二回言ってる……」
丹田から爆発的な声量を以てメガトン謝罪を続ける弌茄君。……当然私は、彼が何に対して謝罪しているのかを理解できず、その場で茫然自失してしまった。
「井原………!お前の妹さん………ヒナタさんの………その………し……下着姿を……俺は……俺は……」
そこで、土下座のまま顔だけを上げる。……その相貌は大量の涙で濡れていた。
「ヒナタさんの下着姿を……見てしまったんだ…………!!!!!」
「……………」
「取り返しのつかない事をしてしまった………!!大事な妹さんを穢すような真似を………!!!頼む井原、俺を気の済むまで……俺の気が済むまで!!!永続的に殴ってくれ!!!そしてそのまま県警に連行してくれ!!!」
この様子では少なくとも二十一世紀が終わるまで気が済まなさそうだし、足を引きちぎっても県警に出頭するような勢いである。
……………彼の脳内に、背徳感という言葉など存在しないのだろうか。
推理、大外れだったよ。聖海ちゃん。




