23話 爆発
◆◇◆
「あっ……あの……コ、コーヒーでも飲んでいかない!?」
沈黙が重苦しく響く中、唐突に手を叩いて提案したのは天井さんだった。
不意を突かれた私たちは同時に驚き、視線を彼女に向ける。
完全に、気を遣われていた。
「い……いや、ご迷惑お掛けした上にそんな……」
「若人が変な気を回しなさんな!!!いいから席に着きなさい!!失神するくらいの極上なコーヒーをお見舞いしてあげるわ!!」
「さっきのチョップくらい攻撃的なんですか……?」
弌茄君がゾッッとした表情を見せる。
「比喩よ比喩!!!」
そう言って天井さんは気丈な足取りでカウンターへと歩いて行く。
かくいう私の頭は、未だに空のままだった。
◇
「美っっっっっ味………!!!!」「美味しっ…………!!!」
ティーカップを口に運んだ瞬間、私と弌茄君はほぼ同時に呟いていた。
天井さんが淹れたコーヒーは それはもう非現実的な美味しさで、まともに風味のディティールを説明すると この余白では足りなすぎるので、”とにかくおいしい”という洗練された一文のみを書き記しておく。
決して私にコーヒーの知見が無いとか、そもそも語彙の泉がペットボトルのキャップ程度の広さ及び深さしか無いとかでは決してない。足りていないのは教養ではなく、あくまでも余白なのである。
「そうでしょう!?妥協と政治だけは許せない性格なのよ私!!」
「後者については踏み込みませんけど、前者に関しては納得です……!めちゃくちゃ美味しいですこのコーヒー……」
弌茄君は目を輝かせながら、もう一口コーヒーを啜った。
「いばr………ねぇ!?アナタもどう!?美味しいでしょう!?」
”え、これ結局いばらって呼んじゃって良いの?”と言わんばかりの動揺をひた隠しにしつつ、天井さんは私の方を見た。
「え、えぇ……。本当に美味しいです。今まで飲んで来たコーヒーで一番……」
「やぁだも~~~上手ねぇ!!遠慮せずもうポットごと飲んちゃって頂戴!!」
辛い。今日入ったばかりの新人(私)の玉砕のせいで、完全に天井さんを気遣いロボにしてしまっているこの状況が、あまりにも辛い。
「………それで、弌茄君……よね?記憶違いでなければ初めてのお客さんだと思うけど、今日は偶然この店に?それとも、普段から喫茶店巡りとかする系!?」
間を置かずに場を回してくれる彼女の質問に、弌茄君は一度カップを置いて答える。
「偶然……です」
「あらぁ!もしかして、デートスポットの下見とか!!?」
「ちょっ……天井さん……?!」
うっかりなのだろうが、自ら進んで地雷原(私の)に突っ込むような質問を繰り出す彼女。
「……じ、実はその……片思いしている女性がいまして。その人が喫茶店に興味ある感じなので俺も……と。不純な動機で申し訳ないんですが……」
「あっ………あらぁ~~~、そう……」
天井さんには私の現状、つまり聖海ちゃんの存在についても話している。”弌茄君が思いを寄せている幼馴染”と。
うっかり口走った冗談がまさかの大正解かつマリアナ海溝よりも深い墓穴だった事を察した彼女は、もはや気まずさが限界突破したように青ざめた顔で、虚空を眺め始めた。
……ていうか、聖海ちゃんが喫茶店に興味を?
ダージリンティーと家系ラーメンの違いが辛うじて分かる聖海ちゃんが……?
「でも、ご迷惑を掛けた身で言うのも烏滸がましいですけど……本当に素敵なお店ですね……!装飾とかテーブル、椅子も手作りの温かみを感じて、照明カバー一つ取っても遊び心があって……楽しいのに凄く落ち着く……というか」
「そう!!まさしくこの店のコンセプトがそれよ!!!”飽きない程度に騒がしく、呆れる程の安らぎを”!!!……アナタ、なかなか見る目があるじゃない!!!」
弌茄君の肩をバッシバシ叩きながらご満悦な表情を浮かべる天井さんだった。
「デザインだけでなく、コーヒーや軽食の味にも徹底的にこだわってるわ!!喫茶店に興味のない人の心も潰れるほど鷲掴みに出来るようにね!!」
「僕も初めて純喫茶に来ましたけど……ここまで居心地の良いものだと思いませんでした。これなら聖海が興味持つのも納得だなぁ」
「でしょう!!?今度は是非そのコも連れて来て頂戴!!一発で骨抜きにさせるわ!!」
「ちょっ……」
テンション爆上がりのせいで、ついさっき踏んだ地雷の事を忘れていると思しき彼女の発言に、思わず体が反応してしまった。
「一緒に……は無理ですけど、勧めさせて頂きます」
「無理?何で………あっっっ……!!!」
何回地雷原に突撃すれば気が済むんだこの人………もはや天然を通り越してそういう星の下に生まれた人なのかと思い始めてきた。
「少し前だったら何気なく誘えたんですけど……もう、今じゃ学校では目も合わせてくれなくて……」
「いっ……弌茄クン……!?急にどうし……」
どこでスイッチが入ってしまったのか……急に表情を曇らせた彼は項垂れながら、抱えていたであろう負の感情を吐露し始めた。
「さっき言った片思いの相手なんですけど……最近、恋人が出来たんです。その恋人の男は、頭も良くてスポーツも超人的でスタイルも容姿も完璧で……」
「そ、そんな……褒めすぎだよ……」
「……え?」
「え?……あっっっ!!ン”ン”!!ッッごッほ!!ごほ……な、何でもない」
あまりにもベタな件をやってしまった。
迸る赤面を手で覆いつつ、割れんばかりの咳払いで誤魔化す。
「……幼馴染で、ずっと一緒にいて。心の何処かで”大丈夫だ”って思ってたんですけど……俺が勝手に独りよがりな片思いをしてただけでした。それでも諦めきれなくて、彼にその……勝負を持ち掛けたりもしたんですが完敗で……」
改めて弌茄君の口から聞くと死ぬほど”間男”だな私……。気持ちとしては圧倒的メインヒロインなのに……
「……やっぱりもう、俺の知ってる聖海は何処にも……いや、俺が勝手に自分の理想と妄想をアイツに押し付けてただけです。恋を縛る権利なんて誰にも無い筈なのに、俺じゃない誰かと付き合った途端こんな嫉妬して………最低だ………」
「弌茄君……?い………ちょっと、弌茄君!?それどこに焦点合ってるの!?ね……ねぇ!!弌茄君!!?」
どんどん瞳のハイライトが消えて行く彼を見て、私は思わず立ち上がり呼び掛けていた。
「俺はもう……アイツの傍には………」
……そこで、絶望に打ちひしがれる弌茄君を見ていた天井さんが……私の横を通り過ぎ、ゆっくりと彼の下へと近づく。
「弌茄クン……」
「え………は、はい……?」
「しっかりしなさい!!!!!!!」
すると突然スパァァァン!!!!と、プレハブ小屋程度なら衝撃波で倒壊するレベルの平手打ちを、弌茄君の右頬に炸裂させた。
あまりの衝撃に言葉を失う私と、意識が飛びかけて明らかに目がチカチカしてしまっている弌茄君。
「なっっ……何してるんですか天井さん!!?これ以上弌茄君に……!!」
「黙らっしゃい!!!」
生まれて初めて”黙らっしゃい”って言われたな……。
「いい?弌茄君。恋って言うのはね、呪いなのよ」
「の………呪い……?」
「えぇ。一度掛かってしまえば、相手の一挙手一投足、言葉の端、まばたき一つにさえ不安を感じてしまう。ほんの少しでも良い、一秒でもいいから自分に……自分だけに微笑んで欲しいと願ってしまう。……アナタはその呪いに、きっと何年も侵されてきたんでしょう?」
「………」
「いや、あの……天井さん……?」
なんか急に語りだした……。
「それがある日突然、見ず知らずの馬の骨に全てを奪われてしまった。………人生をも狂わされたような想いでしょう。その苦痛を表す言葉を、私でさえ持ち合わせていないわ」
「誰が馬の骨だよ」
「でもね!!!!」
弌茄君の肩をガシッッッと掴み、目線を合わせる。
「だからと言って、簡単に諦められる!!?……私は恋を呪いと表現した。絶望に染まる今のアナタも心のどこかでそう思っているかもしれない。……けど、その呪いに侵され続けた数年、あるいは十数年。……その間、アナタの人生は灰色だった?呪いはアナタを苦しめるだけだった?………違うでしょう。一挙手一投足、言葉の端、まばたき一つにさえ……不安と同時に、どうしようもない愛おしさをもたらしてくれた筈よ」
「あの………ちょっと……」
「ここで諦めたとしても、呪いは一生アナタに付き纏う。進むことを諦めた以上、それは決して愛おしさを運ばないわ。……後悔と嫉妬、自己嫌悪。負の感情のみを永久に与え続けるでしょう」
いつしか、弌茄君は沈んでいた顔を天井さんの方へと向けていた。
「でもね。歩みを止めない限り、辿り着けない恋なんて無い。どれだけ辛くても、惨めでも……振り返らずに進み続ければ、呪いはきっとアナタの人生を彩る祝福に変わり……祝福はやがて、その彩られた人生全てを賭けるに値する恋へと形を変える。………アナタの根底に芽生えた想いを呪いにするのも恋にするのも……全ては歩もうとする意思に委ねられてる」
「………」
「さぁ、改めて聞くわ。……弌茄クン。その想い………今ここで、諦めてしまうの?」
……数十秒の間隙。一瞬の衣擦れさえも騒音と化す程の静寂。それを打ち破ったのは、明らかに鼻をすすりながら、震える声を以て立ち上がる弌茄君だった。
「おっ……お”れ”…………や”っぱりま”だ……あっ……あぎらめだぐ……ない”でずぅ……」
”大喧嘩をして担任にブチ切れられている小学生”としか形容出来ない泣き顔と声を携えて……弌茄君は宣言した。
するとその言葉を聞いた天井さんまで急に涙を浮かべ、彼を熱く、力強く抱擁した。
「よ”ぐ言ったわ”ぁ!!!それでこそ……それでこそ漢よ”おぉぉぉお”お”ぉぉ!!!!」
「うわ”ああぁぁあ”あ”あぁああ!!!天井さあ”ぁぁああああぁぁん!!!」
「いやちょっっっっと待てええぇぇぇええええぇ!!!!!」
私がそう叫んだ瞬間、場が再び斬り裂かれたような静寂に包まれる。
互いに涙を流して抱き合う我が想い人とアロハシャツ大巨人は、その静寂の主因である私を目を丸くしながら振り向いた。
「さっきから黙って聞いてれば……”男”だの”馬の骨”だの好き勝手言ってさぁ!!!!!」
「えっ!?い……いばら……ちゃん……!?」
「き、急にどうしたんですか!?」
煮えたぎる感情を抑えていた何かが、明らかに欠如してしまっていた。
二人は、私が近づく毎に怯えた様な表情を露わにしていく。
「そーですかそーですか!!!そーーーーですか弌茄君!!そおですか!!!」
必死に感情を堪えようとする私の脳を置き去りにして、体が暴発を止めようとしない。
そのまま弌茄君に詰め寄り、グイッと顔を近付けながら荒げた声をぶつけてしまう。
「えぇ!!?お、俺!?俺……何かしまし……た……!?」
「いっっっつもいっつも聖海ちゃん聖海ちゃんって!!!そんなに好きですか聖海ちゃんの事が!!」
「え……は、はい……好きですけど……」
「分かっとるわ!!!!そんなん言われんでも分かっとるわい!!!」
「えぇ……!?何で急に西の方言……!?」
「ちょ、ちょっと楚ちゃん落ち着いて!!」
天井さんが横から私を宥めようと近づく。しかし私はそれを豪快に振り払い、弌茄君の肩を鷲掴みにしながらブンブンと激しく揺さぶる。
「もおおおぉぉおおお!!!何で思い出してくれないの!!?もおおおぉぉぉおおおお!!!!」
「ちょっ……!!や、やめて下さ……!!の、脳が!!脳が揺れる!!!ス……スムージーになっちゃう!!!」
「何が脳スムージーじゃい!!口から啜ったろか!!!」
「言動まで一線超えちゃってるわよ楚ちゃん!!!やめなさいって!!」
後ろから天井さんに強引に引きはがされ、勢いよく床へと倒れこむ。
呼吸を乱しながら虚ろな声で「啜ったろかい……」と改めて呟く傀儡と化した私。
傀儡らしく、麻痺してしまった思考を携えぎこちなく立ち上がると……再び弌茄君の前へと立ちはだかった。
「楚ちゃん!?ちょっと……」
「…………です」
「………はい……?」
呆けた顔で聞き返す弌茄君。
「妹………です」
「え……」
「弌茄君の言う通り…………私は……井原ヒロの妹の……!!井原……えっと………ひ………ひな……ヒナタ………です!!!!!」




