19話 試着と霹靂
◆◇◆
―――同日、吉井弌茄―――
「………全然、カフェないじゃん……」
最寄駅から各駅停車に乗り三駅分。時間にして約十五分程度。
弌茄は紅咲恋とのカフェでの会話を終え、その足で電車に乗り込んだ。
なぜ迷いなくそんな行動を取ったかというと……端的に言えば銀砂聖海の一声が原因である。店を出た瞬間、何か月か振りに彼のスマホへ聖海からメッセージが届いた。そこには『隣町、カフェの激戦区らしいぞ。行きな』という淡白な文章と、それに続いて”猫の被り物をした初老で上裸の男性がブリッジを決めながら血反吐を吐いている”という、極めて悍ましいスタンプが添えられていた。
通常の人類であれば、まずその血反吐ブリッジ男に戦きスマホをアスファルトへと叩きつけ、今後当該人物との交流を徹底的に控える所であるが……なにせ弌茄は恋の病に侵された悲しき男子高校生。三日間放置したコッペパン並みにパサついた文章と、カスのシュールレアリスムが如きスタンプにさえ心臓が高鳴り、弾けるような笑顔を浮かべた。……そしてまんまと彼女の口車に乗り、わざわざ隣町へと降り立ったのだ。
しかし、実際駅に着き構内から出てみると……カフェどころか、民家ばかりで”店”と認識できる建物がまるで見当たらない。
街並みはかなり整備されていて、ところどころに目を惹くデザインが上手く風景に溶け込んでいる。稚拙な感想だが”なんかいい感じ”の街。
それでもやはり飲食店の気配は感じられない。あくまでも居住区……といった雰囲気。
「上りと下り間違えたか……?いや、そんな訳ないよな……え~~?でも”激戦区”って……」
……とりあえず、不安げな表情を湛えながらも歩いてみる。少し奥へと行けばガラリと顔を変える街だってある。そう言い聞かせて。
◆◇◆
「ホントに……重ねてごめんなさい」
「いえ……全然大丈夫です……」
思いっきり水を被り、男装が解けて完全な女モードになってしまった私は、応急処置的に天井さんが持ってきた大きいバスタオルで、濡れた制服ごと全身を覆っていた。
対面には、申し訳なさで借りてきた猫の様に委縮してしまった天井さんが、極力こちらを見ないように向きをズラしながら座っている。
「にしても……まさかそこまで変わるとは思わなかったわ」
「ははは……」
「でも……アナタ、想像以上にとんでもない美少女ね……。正直、神々しささえ感じて嫉妬すら起こらないわよ……」
「んな大げさな……」
「事実よ……っていうか!濡れたままじゃ風邪ひいちゃうわよね!ちょっと今、何か代わりの服を……」
”その代わりの服、私何人分のサイズなんだろう……”とは口が裂けても言えなかった。なんなら天井さんの着ているアロハシャツの方が先に裂けてしまいそうではある。
………そこで、ふと。右側の壁に視線が引かれた。
「………」
壁の上部に、いくつか金属製のハンガーフックが備わっていて……その中に、目を惹く制服が二着、掛かっていたのだ。
「わっ……。すご………」
左側の制服は、一見ゴスロリの印象を受けるけど……素材はウール性らしく、かなりしっかりとした造り。余分なフリルも無く、その落ち着いた佇まいはトレンチコートの意匠すら感じる。そして、胸元に映える白く角張った襟が、端々に垣間見える可愛らしさと服全体の持つシックさという二つの要素を纏め上げているように感じた。まぁ要するに一言で言えば……めっちゃくちゃ素敵なメイド服である。
そして右側。こちらは恐らく男性用の制服で、パッと見はタキシードの様な印象。ジャケットは 女性用のものより更に黒に近いネイビーで、ネクタイ等を含めて目立つ装飾は一切なくシンプル。でもそれ故 制服全体に視線が広がり、その洗練されたディティールを余すところなく堪能できる。
どちらも高級ブティック店(行った事ないけど)で並んでいても何ら遜色のない程の独創性と完成度。思わず見惚れて放心し、ため息が漏れ出てしまっていた。
「でっ………でしょう!!?いつ新しいコが来ても良いように、カフェが出来上がるずっと前からデザインしてたのよ!!」
「えっ!!?これ、天井さんが作ったんですか!!?」
「勿論!!!一ミクロも妥協のない最高傑作よ!!」
「すっご……!!!天才じゃないですか……」
「ご名答!!!!」
一体何者なんだこの人……
敬服と感心の中に少しの疑念が混じり始めた矢先、天井さんは急に口ごもりながら、視線をきょろきょろと動かし始めた。
私と制服とを交互に一瞥しているようだった。
「あ、あの~~~………もし良かったらその………着てみて……くれない?」
「着る………?……着るって、この制服を……ですか!?」
「うん……まだ誰にも着せた事なくて……」
その言葉に、思わず脊髄反射で答えてしまう。
「着っ……着たいです!!」
「ほんと!!?」
両手を合わせ、満開の笑顔を浮かべる天井さんだった。
「あっ……で、でも私なんかでいいんでしょうか……こんな素敵な制服……」
「なあぁぁぁあに言ってんのよ!!むしろアナタ以上の適任なんて今後何年探しても簡単に見つからないっての!!!自信持ちなさい!!!」
「じ……自信………」
「………弌茄君の言葉、信じてないの?」
「っ…………着………着ます!!着させて……下さい……!!!」
「ファッキンオフコース!!!!!じゃあ私二階に行ってるから、着替え終わったら扉の前から声かけて頂戴ね!!!!フォォオオーーーーォウ!!!!」
そう言い残し、まるで時空が歪む程の光速で、天井さんは向こうの扉から二階に上がって行ってしまった。
光速が故に生じた風圧を受け、もはや一瞬で乾いた身体。かくして私は一人取り残されてしまう。
「………凄い人だなぁ……総じて……」
茫然としたのも束の間、私の意識は早々に壁掛けの制服たちに向く。
沸々と湧き上がる興奮に身を任せて立ち上がり、一歩一歩近づいた。
……しきたりもあって、可愛い或いはオシャレな服に袖を通す機会は昔から皆無だった。まさかこんな機会が訪れるなんて……
「ふっ……ふふ……」
男装生活の抑圧で膨れ上がった”可愛い”への欲求が、宛ら変態のような笑みとなって吹き零れる。
男装………
…………………あれ?
「これ……どっちを着ればいいんだ……?」
そこで回帰する。姉からの指令はあくまでも”男装して女性客を増やせ”というもの。故に採用となった暁には右側のタキシードスタイルの制服を着用する事になる。女性用の方を着る機会は……無い。
「っ…………で、でも………でもぉ………い、今なら誰も見てないし!それに天井さんだって、どっちの制服のモデルも欲しいだろうし……!!今日逃したらもう着れないかもだし!!着たいし!!着たって別に殺されたりとか無いし!!いいし!!着たっていいし!!」
己を圧倒的な手数で納得させ、鼻息荒く、私は向かって左側の制服を手に取る。出来得る限り丁重にハンガーごと降ろすと、傍らのテーブルへ静かに寝かせた。
椅子を引き、腰かける。……開業前が故、店内の窓には全てカーテンが降りている。唯一塞がれていないのは入り口扉に嵌め込まれた小さなガラス板のみだけど、内側から掛かっている小看板で塞がれている。……よし、ちゃんと"close"になってる。OK。……まぁ念のため、死角になる場所に移動しておこう。
身体を覆っていたバスタオルを背もたれに掛け、既に乾いた制服のボタンを外す。
……”さらし”の方はまだ若干水を含んでいた。始点を摘み、慣れた手つきで身体から巻き取り、取り敢えずカバンの中の何も入れていないスペースに放り込んだ。
「……良かった。下着はほとんど濡れてない」
さらしを巻く以上、下着の必要性はあまり無いと思うかもしれないけど……私の中の羞恥心と自尊心がそれを是としないので、普段は少しカップ数小さめの下着を着け、その上からさらしを巻いている。お陰で男装に於ける胸部の問題は完全にクリアしているが、その分最初の頃は絶望的に苦しかった。ていうか普通に身体に悪い。早く正体明かして弌茄君と結婚しないと危ない。
「次は……」
いよいよだ。目の前のメイド服に視線を落とす。
ハンガーを取り、ボタンを一つ一つ静かに外していく。
……必要以上の時間を掛け全て外し終えると、まるで寝ている赤子を扱うかのように制服を取り上げた。
そして、今一度バスタオルで素肌の水を丹念に拭い、固唾を呑み込むと同時に……
「よし………着るぞ………!」
謎の意気込みの後、私は”えいっ”と、メイド服に袖を通した。
…………その時だった。
「こっ………こんにちはぁ………」
突如、私の後ろから風が吹く。カウンターの方からではない。
……入り口のドアが、軽快な鈴の音と共に開かれたのだ。
それと同時に聞こえたのは……私が聞き間違える筈のない声。
「あれっ!?やっぱまだ開店前か!?電気も点いてないってことは………。やっべぇ、思いっきり店の中入っちまっ………た………」
歯車が軋む様に振り返る。するとそこには………
「…………………あっ……………わあぁぁぁああぁっ!!!ごごごごごごごっ……ごめんなさい!!!!」
「きゃああぁぁああああぁぁあ!!!!」
この叫びは、下着姿を見られたことによる羞恥心から出たものじゃない。
………初めて見る、私服姿の弌茄君があまりにも尊い事が原因だった。




