17話 看破
「………ところでホントに大丈夫!?た、立てるかしら!?」
「だっ……大丈夫、です……!あ、ありがとうございます……」
背中へのダメージは未だ新品同様の輝きを残してるけど……、気丈な振りをして顔に笑みを浮かべつつ、天井さんが差し伸べてくれた手を取り立ち上がる。
「じゃあ、アナタが井原……ヒロ君?」
「えっ……?」
あくまでも純粋に、丸い目をしながら問いかける天井さん。
いや……そっちは偽名だ。あれ?お姉ちゃん、”話は通しておく”って言ってたよね……『男装しろ』とは言ってたけど、素性は伝えている筈じゃ……
「………」
すると………今さっきまで爆裂に明るい表情だった天井さんの表情が、突如として曇る。曇るというか、もはやゲリラ雷雨と言わんばかりに険しいものへと変遷していく。
「アナタ………偽ってるわね」
「………え?」
「春華から”知り合いの男だ”って紹介されたけど…………違う。アナタ、女の子でしょう?」
「なっ………!!?」
……全っっ然話通してくれてないじゃん!!!”知り合いの男”!!?!!?妹どころか思いっきり他人として紹介されてるし!!!
「あ、あの……!本当に、そう紹介されたんですか……?」
「えぇ。この前、一緒に飲んでる時にね」
「あー……」
普段は徹頭徹尾完璧な才女の姉だが、一滴でも酒が入るとすべてが瓦解するほどアルコールには弱い。何故そんな状態で適当に済ませた紹介を、”話は通した”と言い切ったのか。そもそも何故そんな体質で頻繁に酒を飲むのか。
とにかく、このままでは完全に男装詐欺師扱いだ。一刻も早く事情の説明を……
………でも、何でこんな一瞬で見破られたんだろう。
我ながら男装技術には自信があったし、これまでだって聖海ちゃん以外には一度も女とバレた事は無い。先日家の鏡を見て再認識した通り、メイクの前後では全くの別人と言っても過言じゃない程に、完璧な男装の筈。……いや、何を悔しがってるんだ私。そこにプライドを持つな。
「図星……ね。始めは色々とセンシティブな理由があるのかと思ったけど……声の抑揚や目線、仕草の端々に違和感がある。性別と性自認が合致しているが故の、容姿に対する僅かな抵抗……。自分の意志で男装している訳じゃないのかしら?……まさか、”井原ヒロ”っていうのも偽名?」
「………」
腕を組み、嘆息したように言葉を続ける天井さん。
会ってからまだ数分も経っていないが、この人には何か……全てを見透かされているというようなオーラ、いや……カリスマ性とも言える雰囲気を感じる。
パニック状態のまま あたふたと弁明しても返って不誠実だ。とにかくまずは、事実のみを説明しよう。
「………はい。性別も名前も……違います」
「本当の名前は?」
「日々野楚、です。”いばら”の漢字は紀元前、中国にあった王朝の”楚”と同じです」
「……たぶん世界史の教諭とかにしか伝わらないから、もっと分かりやすいテンプレ―ト用意しといた方がいいわよ。それで、苗字から察するに春華との関係は……」
「………春華は、私の姉です」
……この言葉を契機にして、再び沈黙が始まる。
どうしよう、姉からの指令を今伝えて納得を……
いや、私の口から”女性客増やすために男装して働きます”なんて、そんな異次元の自惚れ発言出せる!?そもそも そんなんに集客効果あるとも思わないんだけど……
「あ………あの………」
沈黙に耐え切れず、見切り発車で口火を切る。
すると……私の言葉を遮るように天井さんが呟く。
「……よ……それ……」
「え……」
「何よ……それ……」
ガタガタと肩を震わせ、マグマの煮えたぎる様な低い声色で確かにそう言った。
その気迫に思わず後ずさり、額にはいつしか冷汗をかいていた。
や、やっぱり怒って………
「何よそれ!!!!!完ッッッッッッ璧じゃないのよ!!!」
「……………へ?」
まるで大空に羽ばたいてしまうかの様に、縮こまった身体を大手を広げて解放した天井さんは……こちらにマッハで歩み寄ると、恒星が如く目を輝かせながら言葉を捲くし立て始めた。
「目元に口元に頬……男性らしさを違和感なく表現しながらも生まれ持った異次元の端正さを崩さないメイク技術……!!そしてさっきの様な不意のアクシデントに見舞われても決して女性としてのボロを殆ど出さない徹底した所作!!!私じゃなかったら、ほぼ全人類アナタの正体には気付けないわ!!!」
「え……えぇ……」
褒められてるの………?これ……
「いっそのこと師匠と呼ばせてもらってもいいかしら!!!?」
「師匠!!?」
「もう店の事も任せるわ!!!」
「いやいやいやいやいや!!!ち、ちょっと待ってください!!!あ………あの!……お、怒って……ないん……ですか……!?」
「えぇ!?どうして?」
”本当にどうして?”と言わんばかりに首を傾げている。
自分自身で言葉にする事に幾許かの躊躇をした後……一つ呼吸を置いて、口を開いた。
「性別も名前も偽って……これじゃまるで、詐欺師みたいな……」
「事情は知らないけど、どーせ春華のイカれた伝達ミスでしょ?大丈夫。酒の席でのあの子の発言、私200%信じてないから」
「………」
天井さんが、姉の酒の弱さに全幅の信頼を置いていて良かった……。
「でも……怒っているのは確かよ」
「えっ……!?」
再び、声が低く落ちていく。しかし先ほどとはまた違う……どことなく柔らかくて、語り掛けるようなトーンだった。
天井さんは私の目線まで顔が来るように腰を下ろした。
「もう一つ、偽ってるんじゃないの?」
「も……もう一つ……?」
「アナタ、恋してるでしょう」
「こっっっ………!!」
思わぬ言葉に、心臓が跳ねる。と同時に、顔全体が徐々に熱を帯び始めるのを自覚した。
「幾千幾万と恋をして、そして見届けてきたアタシの勘は確かよ。アナタの眼、口元、仕草。纏う雰囲気でも分かるわ。かなり……いえ、人生すら懸けた恋をしてる。………そんな子がなぜ、そこまで高度な男装技術を身に着けてるのかしら……」
「………」
「……駄目ね、勘繰るのが悪い癖。事情も知らないのにズカズカとごめんなさい。今更だけど、これ以上野暮な事は聞かないわ。正直、春華の紹介なら誰であっても採用するつもりだったし。……仮に殺人犯が来たとしても、いざとなれば小指一つで対処できるしね」
失礼だが、決してハッタリとは思えなかった。だから戸締りがテキトーだったのか……
……彼女は合わせていた目線を外すと、そのまま腰を上げ、奥の扉の方へと歩いていく。
「でも、最後にもう一つだけ野暮な事を言わせて頂戴」
その途中、大きく息を吐いた天井さんはもう一度、こちらを振り返った。
「………辛いわよね」
「っ………」
「でも、歩みを止めない限り……辿り着けない恋なんて無いわ」
「………あ、天井……さん……」
「ケイちゃんとお呼びなさい。……アタシも、差し支えなければ本当の名前……楚ちゃんと呼んでいいかしら?音は同じだけど、気持ちを込めたいの。……せっかくの素敵な名前だもん」
そう言って優しく微笑む。
……何故なのかは分からない。けど、まるで心を縛り付けていた鎖が千切れたかの様に……胸の辺りから強く、過去から今現在までの記憶が、声が震えてしまうほどの感情となり込み上げる。
そしてそれは小さな呻きとなり、奔流の様な涙となり、そして膝を崩す程の眩暈となる。
私はその場で、子供の様に泣きながら蹲ってしまった。
「ぅ………ぅう………っ……」
「……………えぇ!!?ち、ちょっとちょっとどうして泣いてるの!?メ……メイク落ちちゃうわよ!!?」
「って……だっでぇ………ぅう~~~~~………!!!」
バッチバチの男装状態からのぐっちゃぐちゃの号泣という、さぞアンバランス極まりない光景を見た天井さんは、露骨に狼狽し始めた。




