12話 鏡の前で
◆◇◆
「綺麗……」
お風呂上がり、鏡の前の自分を見ながらかれこれ数十分………。帰宅してから弌茄君の顔と彼の言葉が未だに頭の中で反芻されている。
「んひ………ふふ…………きれいだって………私………へへ………」
だらしなく顔をとろけさせ、延々と口から変な笑い声が漏れ続ける。バスタオルを巻いたまま、下着を身に着けることすら忘れて。この後私は軽く風邪を召してしまうわけだが……それはまた別の話。
「きれいかぁ~~~~……いやぁ、参っちゃうね………ははは……」
別に参りはしないけど。むしろ優勝だけど。
……鏡に映る自分の頬や二の腕、首元などを意味もなく撫でる。
自分の容姿に関して頓着したことなんてない。むしろうじうじした性格含めあまり好きじゃなかった。男装するようになるまで碌に鏡も見なかったし。
でも、彼の言葉を受けてから………初めて、自分の姿を見て心が昂っている。
客観的に見てどうか、なんてどうでもいい。
弌茄君が『綺麗』と言ってくれた自分を、今はたまらなく愛おしく感じてしまう。まるで世界に一つ色が増えたみたいに。
このまま、どんどん自分が好きになっていくのだろうか。それが恋なのだろうか。だとしたら……これほど楽しい事はない。やっぱり私は、恋をしていたい。
まぁ、現状彼にとっての私のポジションは間男なワケですけどね。ははははは(自嘲)
「…………いや、いやいやいやいやいや!!!!」
”恋をしていたい”とか当社比最大のロマンチスト発揮しちゃったけど………これ、状況的にヤバいだろ!!
男装姿じゃない私をバッチリ見られてんだよ!!?これじゃあ今までの全部が台無しに……
「……でも、あの反応……」
体感だけど、結構な時間 私達二人は唖然としつつも対峙していた。でも彼の言葉、反応を見る限り……私が日々野楚であると悟っていたとは思えない。要するに……バレてない。
いやそれどころか、もしかして………
「何も、覚えて……ない……?」
…………いやいやいやいやいやいやいや!!!!!まっっ……まさかそんな……!!
いくら最後に会ったのが十年前だとしても、流石に面影残ってるでしょ私!!?それに、あんだけ密度の濃い時間を二人で過ごしてたんだよ!!?覚えてない訳ないって!!絶対覚えてるよ弌茄君!!!んもーーーー全く焦らしちゃってこのエンターテイナー!!!よっっっ!!!生粋のエンターテイナー!!!抱いて!!!!
「きっと、いきなりだったからパッと思い出せなかっただけで……もう一回、ちゃんと会えば………」
いや、それはそれでダメだろ私。本末転倒も甚だしい。
ぅう~~~……ほ、本当に覚えてくれてるよね……?大丈夫だよね……?
とにかく、時計の針は戻せない。湧き出る懸念も欲求も、今は”バレなくてラッキーだった”という結論に収斂させるしかない。
………ていうか、元はと言えば全部聖海ちゃんのせいじゃん……!!
弌茄君と鉢合わせした後、再び聖海ちゃんの部屋まで上がって猛抗議しに行ったけど……あの子はへらへらしながら”ごみーーん”とか言っていた。痺れを切らした私は彼女の肩を掴んで思うままにシェイクした。
「う~~~~~……!!と、とにかく、もうあんなヘマは絶対にしない!!」
と、半ば強引に思考を打ち切ると……
『ヴィーーーーーーー』
洗濯機の上に置いていたスマホが勢いよく震え、同時に軽快なベルの音色がけたたましく脱衣所に響いた。
軽微な驚きのせいで加速した湯冷めをそのままに、画面に表示されている名前を見つつスマホを手に取り耳に当てる。すると、やけに低い聞き慣れた女性の声が鼓膜を震わせた。
『やぁ、楚』
「お、お姉ちゃん……!どうしたの?」
『一つ、報告をな。だがその前に調子はどうだ?………”想い人”には会えたか?』
「うぇっ!!!?っごほっ…ぇほっごほっ………も、もう!!からかわないでって言ってるじゃん!」
思い切りむせてしまった私だが、そんなリアクションにも一切言及しない私の姉……日々野春華。
昔から何事にも動じず、家族に対してもポーカーフェイスを崩さないクールな人。絶対的な無神論者、現実主義な人間ゆえに大学進学時、ウチの神社を飛び出し……今は東京で自身のアパレルブランドを立ち上げ大成功を収めている。父からは実質的に勘当されている訳だけど……本人は微塵も気にしてないようだ。
でも、見た目と性格で勘違いされているだけで……私は、本当は家族思いで優しい姉が大好きだった。当然今も。
『……どうやら会えたようだな。それで本題だが……前に私が提案したバイトの件、オーナーは快諾してくれたよ』
「え、ほ……ほんと!!?」
私も姉と同じ、半ば衝動的に家を飛び出してきた身なので……当然仕送りもなく金銭的に結構厳しい。そこで同じ東京にいる彼女に今回の事情を話し、あわよくば良いバイトでもないかと相談した所、”それならお前にぴったりのバイトがある”と、紹介してくれる流れになった。始めは”私が仕送りしてやろう”と言ってくれたけど、自分の勝手で家族の脛をかじる訳には行かないので、気持ちだけ頂きつつ丁重に断った。
「………ていうかお姉ちゃん、いい加減そのバイト先について教えてくれないかな……?”後のお楽しみだ”なんて言ってずっと黙秘してるけど………。い、一応聞いとくけど、怪しいのとかじゃないよね!!?」
『肉親に怪しいバイトを紹介するワケないだろう。………(いや、まぁ店主はちょっと怪しいが)』
「小声で何か言った!?」
『肉親に小声で聞こえないように呟くワケないだろう』
「じゃあ教えてよ!!」
『……あとでバイト先の住所を送る。当日昼過ぎにそこへ行ってくれ』
「頑なだな本当に………」
………いやいや、さっきから呑気にバイトの話してるけど……それどころじゃないんだよ私!!思いっきり正体見られてプラン破綻中なんだって!!……もともとプラン無かったけど!!
『ん?どうした楚。急に黙って』
「えっ………いや、その………」
まぁ……言い渋っててもしょうがない。
「実は……えっと。…………み、見られたんだ。私」
『何をだ?パンツか?』
「違うよ!!」
『じゃあ秘部か』
「脱がすな!!!思春期の妹にキッツイ下ネタかまさないでよ!!!……”女の姿”の私を見られたの!その想い人に!!」
『……………』
「………お、お姉ちゃん?」
暫しの沈黙。当然不安が膨れ上がった私は、耐えきれずに姉を呼びかける。
『ご愁傷様です』
「身内の言葉かそれが!!!」
『いやだって……見られた事実は覆らないだろう?第三者が色々言うのも野暮じゃないか』
「そうだけどさ……何かこう……私が言うのもアレだけどせめて慰めとかアドバイスとか……」
完全に八つ当たりだった。
『慰めといってもな………第一、お前の正体には気づいたのか?』
「多分……気づいてないと……思う」
「まぁそれもそうか。十年も前の一時期だけ遊んでいた人間なんて、流石に覚えてるワケないか」
あっけらかんと、一切の悪気無くそう口走る我がノンデリ姉。
次の瞬間、つい先ほど収斂させた私の疑念が音を立てて煮え滾り始め……遂には堰を切った濁流の様に噴き出した。
「違うもん!!!覚えてるもん!!!!」
『き、急に大声を出すな!肉親の鼓膜をお陀仏にする気か!!?』
「もうお姉ちゃん嫌い!!!もう切る!!………バイトの件に関しては心よりお礼申し上げます!!!」
『情緒どうなってるんだ今!!お、おい楚!落ち着……』
姉の声をそのままに、私は”通話終了”をタップする。
冷汗と動悸を忘れ去ってしまおうと、急いで部屋着に着替え自室へ。ベッドに飛び込むと、傍らに畳んでいた毛布を無造作に被り暗闇の中で閉眼した。
大丈夫……大丈夫。
忘れてる訳ない。あの日々の記憶は、絶対彼の中で生きてる。
……私達が負った傷と一緒に。
「………寝よう」
取り敢えず今は考えるのをやめて……弌茄君の顔とさっきの言葉を思い浮かべて、でろでろにニヤけながら寝る。策を練るのはそれからだ。




