50 学校
王都に帰ってきて二ヶ月が経った。
私は診療所でまた働いている。可愛くてグラマーな女の子を先生が気に入って、私の戻る場所がなくなっているんじゃないかと懸念していた。けれど私が戻った途端、来なくなったらしい。使者の人が臨時で連れてきた人だから当然か。
最近は王都でも魔族を見かけることが増えた。ツアー旅行なんかも組まれたりして、言葉がわからなくても、安心で楽しい旅行を堪能できるようだ。
ガマさんも見かけた。魔族の国にしかない食糧を売るお店を王都に出店するようだ。魔族の国の料理も美味しかったから楽しみ。
魔族の国も人間の国も徐々に変わってきている。
でも私は何も変わっていない。
外に出ると、たびたびお城に目を向ける。
近くで見ると圧倒されるほど大きいのに、ここから見るお城はすごく小さい。
これが私とジーンさんの距離なんだ。
住む世界が違うと実感しては悲しくなる。
暗い気持ちを振り払うように、両手で頬を勢いよく叩いた。パチン、と乾いた音が耳に響く。
よし、今日もお仕事を頑張ろう。
診療所は午前中は毎日混んでいた。
病気の人は先生に診察され、私は怪我をした人に治癒魔法をかける。
午後は比較的穏やかだ。
患者がいないため、紅茶を淹れてクッキーをつまみながら先生と話す。
「暇だな」
「診療所が暇なのはいいことです」
忙しいと、それだけ苦しんでいる人が多いということだから。
「このクッキーってアメリアが持ってきたんでしょ? どこの店で買った? めちゃくちゃ美味しいんだけど」
「それは私が作りました」
先生は飲み込むとすぐにもう一枚と、たくさん食べてくれた。弟妹のおやつ用につくったものを少し持ってきたのだけれど、次に作るときはもっとたくさん作ろう。
「アメリアすごいね。めちゃくちゃ美味しいよ。食べるのを止められない」
「また作ってきますね」
「楽しみにしている。もうアメリアは僕と結婚しちゃう?」
先生の言葉に耳を疑う。
言い方もノリも軽い。
「私は先生の好みのグラマーな体型はしていません」
「うん、そうだね」
即座に肯定されて少し落ち込む。自分で言ったんだけど。私だってそのうち成長するかもしれないし。
キリィさんのような凹凸のある体型に憧れる。
頬を膨らませると、先生は目を細めた。
「そうやって自然にしているのがいいよ。何があったか知らないけど」
「私って顔に出るんですか?」
「無理して笑ってるなって思う時がある」
先生に気付かれて目を剥いた。
静かになった診療所内に、扉の軋む音が響く。患者さんだ。
立ち上がってそちらに目を向けて固まった。ジーンさんが立っている。整った顔は、少しやつれたように見えた。
「どうしましたか?」
先生が診察のイスに手を向け、ジーンさんはそこに腰を下ろす。
「ずっと胸が痛くて」
ジーンさんは左胸を押さえる。
なんでここに? 先生は心臓の権威ではない。お城には優秀なお医者さんが揃っているはずなのに。
先生が心臓の音を聞く。
私はジーンさんの容態が気になり、先生の言葉を固唾を飲んで待った。
「心臓は問題なさそうですね」
ホッと息を吐く。それだと、どこが悪いんだろう。
「僕はさ、恋の病なんだよね」
ジーンさんがため息と共に漏らした。
先生は「はぁ?」と片眉を釣り上げる。
「僕を治せるのは、アメリアだけなんだけど」
私を見上げて、ジーンさんは口の端を広げた。
「アメリアの知り合い?」
「あの、ユージーン殿下です」
先生に聞かれ、耳打ちをする。先生は居住まいを正して、手を揉み始めた。
あんなに面倒そうな顔をしていたのに、相変わらず変わり身が早い。
「僕ね、王位継承権を破棄したから、もう殿下じゃないよ」
ジーンさんはなんでもないようなことのように話すけれど、私は理解ができなくてフリーズしてしまう。
先生が「えー!」と驚愕の声を上げて、ハッと我に返る。
「どうしてですか? なんでそんなことを?」
「兄上がいるんだから、元々僕は王にはなる気なんてなかったし。兄上は父上のように優秀だから、国は大丈夫だよ」
ジーンさんの顔は、春の陽射しのように朗らかだ。
「言ったでしょ、僕はしつこいって。アメリアと結婚するためなら、なんでもするよ」
「それって、私のせいですか?」
私が断ったから、ジーンさんに大切なものを捨てさせてしまった。
ジーンさんが私の指を握る。
「きっかけはアメリアだけど、僕は今すごく充実しているんだ。城にいるだけでは知れないことを知っているようで。僕ね、学校を作ってるんだよ」
学校? 子供たちが学べる場所が増えるのは、いいことだと思う。
「素敵ですね」
「僕もそう思ってる。平和条約が結ばれたでしょ。人間と魔族が一緒に勉強できる環境を整えたくて、何度か魔族の国にも行ってるんだよ」
ジーンさんは忙しくて痩せちゃったのかな。でも表情はイキイキとしていて、充実しているという言葉は本心なんだろう。
「本当に素敵です!」
人間と魔族が共存するフィモルの街みたいになるのかな? そんな未来を想像して、顔が緩む。
「それでね、共存するからには、古代語を話せるようになるのがいいと思って。教師にならないかとスカウトしたら、移住を決意してくれた家族がいる。やっぱりネイティブな発音は大事だからね。僕みたいになってしまわないように。僕の発音は僕が下手なだけだけど」
「すごいです! 先生も人間と魔族を雇うんですね」
「そうだよ。それでね、今日の仕事が終わる頃に迎えに来るから、僕についてきてくれる? アメリアの家族には、今日は帰らない、と伝えてあるから安心してくれ」
「え? 困ります」
ジーンさんは狼狽える私に「またね」と手を振った。診療所を出て行く。
今日はジーンさんとお泊まりってこと? 絶対に無理だし、きちんと断ろう。
「王族ってもっと偉そうな方々だと思っていたけど、あんまり僕らと変わらない感じだね」
ずっと黙っていた先生は目を丸くしていた。王様もすごく穏やかな方だし、これも偏見なんだろうな。魔族の時のように。