44 食事会
平和条約締結の記念に、魔王が食事を振舞ってくれると言うので、みんなで食堂に移動した。
調理場では、多くの魔族が忙しなく動き回っている。魔族の料理に興味もあったし、私も手伝わせてもらうことにした。
主に野菜の皮剥きをして、それが終わると見たことのない料理の味見をさせてもらった。
『美味しいですね。甘みと少しの酸味が合わさって、いくらでも食べられそうです』
『人間の舌にも合うみたいで良かったよ。配膳を手伝ってくれるかい?』
『はい、任せてください』
左の手のひらでお皿を二枚持ち、肘を直角に曲げて手首と肘の間にも一枚乗せる。最後に右手で一枚持つと歓声が上がった。
『よくそんなに持てるね』
『家族が多いので、運ぶ回数を少しでも減らすために、ウエイトレスさんを見て覚えました』
魔族たちも同じように持ち、配膳をしていく。
人間と魔族が一堂に介していた。友好的なヒトもいれば、殺気立っているヒトもいる。
エントランスホールで戦っていた二部隊が、同じテーブルについていた時はヒヤリとした。
でも食事が目の前にくると、全員のお腹が鳴って声を立てて笑い出した。
騎士団は一緒に食事をとって仲良くなるってクロエさんが言っていたけれど、どこでもそれは変わらないみたい。食事はすごい!
一番気を荒立てているであろうアジュラの前に、お皿を置いた。私に配膳されたからだろう。さらに期限が悪そうだ。
調理場に戻り、ケチャップを借りる。アジュラの元へ戻り、卵の上に猫の絵を描いた。うん、可愛く描けた。
アジュラはそれをじっと眺めている。
『おい小娘。これでは食べられないだろうが』
『アメリアです。猫、お好きなんですか?』
アジュラはお父さんの部下を全員猫にして、大きな部屋を猫部屋にしたくらいだ。嫌いなわけがない。
『人間なんて百害あって一利なしだが、猫は存在しているだけでいい。人間なんて全員猫になればいいんだ』
過激なことを言っているけれど、猫の絵から目を逸らさないから、少しだけ興味を持ってくれたのだろうか。
『どうしてお父さんだけ、猫にしなかったんですか?』
人間が嫌いなのに、五年間もお父さんがこのお城にいることを許していたのはどうしてだろう。
『世話係がいるだろう。……部下を見捨てるようには見えなかったから』
アジュラは前半をさも当然といった様子で言い、後半は聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声量だった。
クロエさんがテーブルに肘をつき、両手を組んで俯いてそこに額を乗せる。「ガイラ様が五年間、猫の世話係……」と切ない声を漏らした。
「アメリア、僕にも書いて。僕の名前の後にハートマークつけてね」
ジーンさんに呼ばれるけれど、名前を書く? 書き切れるだろうか。私はできるだけ小さく【ユージーン・ベル・ルスアトロ・マリメーラ】と書いた。ハートマークも付け足す。少しお皿にはみ出してしまった。
「……名前だけで良かったのに。ここまで上手いと、職人の域だね」
ジーンさんは出会った時に、フルネームを名乗らなかった。その時はなんの疑問も持たなかったけれど、名前を言えば第二王子様だと知られるから、明かさなかったんだ。
平民には王族の顔を知る機会なんてないが、名前は国民全員が知っているだろうから。
『おい小娘。働いてばかりおらず、お前も座れ』
『あの、アメリアです』
名前を呼んでもらえなくて、魔王にも名前を告げる。
『そうか、アメリア。私はキリィだ』
魔王も名前を教えてくれた。私も名前で呼んでいなかっったことに気付く。
『キリィさん、お心遣いありがとうございます』
会釈をして、キリィさんの隣に座るお父さんの前に腰掛ける。
全員で食事を楽しみ、人間と魔族の壁が薄くなった気がした。
大きなお風呂があると案内され、クロエさんとキリィさんと三人で湯船に浸かっている。気持ち良くて癒される。
「あの、ここに来る前に、盗賊を捕まえました」
クロエさんは神妙な面持ちで、キリィさんに伝える。声は硬い。
『そうか。よくやった』
「それで、五年前に騎士が捕まったようなのです。多分生きてはいません」
盗賊たちの様子から、私もそう察した。
キリィさんは表情を曇らせる。
「ですが、亡骸や遺品があれば、家族に届けたいです。盗賊は近くの街の自警団が身柄を預かっているはずです。どこの町かはこの城に出入りしている、ガマという商人にお尋ねいただければわかるはずです」
『わかった。盗賊のことは、私に任せておけ』
キリィさんの言葉で、クロエさんは微かに笑った。
ずっと気にしていたのだろう。斥候部隊が盗賊にやられたと気付いてから。
大きなお風呂を堪能し、今はクロエさんと二人で広いゲストルームのベッドの上にいる。
ベッドは五人くらい寝られそうなほど大きい。
「もう明日には帰るんですよね」
「ああ、平和条約を結ぶことはできたし、人のいなくなる街のことも解決している。私たちのすることは終わった」
胸の奥が冷えていく。寂しさを誤魔化すように、肩まで布団を引き上げた。
「アメリア、すまなかったな。ユージーン殿下のことを黙っていて」
「でもそれは、口止めされていたからですよね?」
クロエさんの立場なら、言えるわけがない。
「アメリアはユージーン殿下のことをどう思っているんだ? 殿下はずっとアメリアを思っていたし、王子としてではなく、一人の男性として知ってほしいと言っていたのも本当だ」
ジーンさんが思ってくれていたことは伝わっている。自分の正体がわかること以外は、全部本当のことを言っていたから。
「私はジーンさんに会えて良かったです。一緒に旅ができて良かったです。思ってもらえて幸せでした。人を好きになることが、幸せなことだと知れました」
「そうか……。ユージーン殿下の気持ちを、受け入れてくれたのだな」
クロエさんが優しく微笑む。
私は目に涙が溜まっていくのを、止められなかった。
「無理です。私は下町育ちの平民です。王子妃になんてなれません」
言葉にすると、とめどもなく涙が溢れた。
どんなに思ったって、ジーンさんと一緒になんてなれない。
身体を震わせて泣きじゃくる私を、クロエさんが抱きしめてくれた。クロエさんにしがみついて、胸に顔を埋める。
ジーンさんに出会えたこと、好きになったことを後悔なんてしない。
でも、王都に戻ればもう関わることなんてない。私は今まで通り診療所で助手として働くし、ジーンさんはお城で暮らすのだから。
初めて会った時のように、ジーンさんがお城を勝手に抜け出して、下町に遊びに来ない限り会うことはないんだ。
出会えたことが奇跡だった。好きになった心が宝物だ。この気持ちは私のもの。生涯大切に持っておく。
私が落ち着くまで、クロエさんは背中をさすってくれた。長い時間泣いていたように思う。
思いっきり泣いて、自分の気持ちを吐き出し、心の整理ができた。クロエさんに「ありがとうございます」と伝えて離れる。
「王家の方たちは、アメリアの身分を気にするような方はいないぞ」
謁見の間で王様は、私とライリーさんと同じ高さまで降りてきてくださった。
クロエさんは王妃様の護衛騎士だ。王妃様のこともよく知っているから、そう言えるのだろう。
「もしかして、国民が黙っていないと心配しているのか?」
それは全く頭になかった。だって私は自分のことしか考えていない。
「違います。私が王族になる覚悟がないだけです」
「……そうか」
クロエさんはそれ以上なにも言わなかった。
クロエさんと寄り添って瞼を閉じる。
今日はいろいろありすぎて疲れた。すぐに眠りについた。