39 魔王を救う
「お父さん、一緒に帰ろうよ。みんな待ってるよ」
お父さんは視線を落として首を振る。
「部下が人質に取られている。魔王と部下を救うため、俺は聖女が現れるまでは、ここから出ることはできない」
部下が人質になっているから、帰ってこなかったのはわかるけれど、魔王を救うってどう言うこと?
「お父さん、私が聖女だよ。だから教えて。どうやったら助けられて、お父さんと一緒に帰れるかを」
お父さんは目を見開いた後、思考を巡らせるように腕を組んだ。
本当に私が聖女なのかと、疑問に思うことはいまだにある。光魔法は使えるけど、特別強いわけでもないし、新しい力に目覚めたとかもない。でも私がお父さんの部下や魔王を救えるのなら、絶対に助けたい。
ジーンさんがずっと正座をしているライリーさんの腕を掴んで引き上げた。ライリーさんは身体をびくりと跳ねさせて、ジーンさんに従うように立ち上がる。
「アメリアもライリーも普通にしてくれ。僕は王子としてではなく、一人の人間として接してもらえて嬉しかった。急に態度を変えるな」
「本当にいいのか?」
ライリーさんは恐る恐る問う。ジーンさんは大きく頷いた。
「初めは王子としてのフィルターを通さず、アメリアに見て欲しかった。だから身分は隠していた。だが、なんの忖度もなしに関わってくれるライリーにも救われた。僕は今まで親しい友人がいなかった。だから今まで通り愛称でいいし、敬語も使うな」
クロエさんのお兄さんの話をしている時に、寂しそうな表情を見せたジーンさんが頭に蘇った。自分が親しいと思っていても、王子だからと相手には壁を作られるんだ。
クロエさんがジーンさんの名前を呼ばなかったのも、愛称だったからだろう。ジーンさんもクロエさんが真面目だからと言っていた。
私がジーンさんのことを思って思考の中へ入りかけた時、お父さんが顔を上げて口を開いた。
「アメリア、魔王を救ってくれ」
「部下の人たちじゃなくて? 魔王は行方不明なんじゃないの?」
「魔王はアジュラに封印された。部下たちはアジュラに猫にされて捕えられている。部下たちを救えるのは魔王だけだ」
猫になったままの部下たちを連れ帰ることもできず、お父さんはずっと聖女を待っていたと教えてくれた。
「全員生きているのか?」
「はい。猫にされはしましたが、怪我も治しましたし、命に別状はありません」
ジーンさんの問いに、お父さんはハキハキと答えた。そしてすぐに表情を固くして、五年前のことについて語り始める。
「俺と魔王はすぐに打ち解けた。魔王は平和条約に乗り気だった。だがアジュラは違う。人間を憎んでいる。心酔している魔王が人間と手を取ると知って、魔王を封印してしまった。魔王は足元から石化していく中、俺に聖女の光だけが自分を救えると言い残した。俺は光魔法が使えるから、その方法を試したが、何も変わらなかった」
魔王の側近のアジュラ。どうしてそんなに人間を憎んでいるのだろう。
人間も魔族も同じヒトだ。盗賊と話した時に、彼の話すことは理解できなかった。でも、対話もせずに初めから違う生き物だと決めつけて分かろうとしないことは、絶対にしたくない。
「お父さん、どうしたら魔王を助けられるの?」
「全光魔法の同時発動だ。順番ではなく、同時だぞ」
お父さんに念を押されるけれど、そんな使い方をしたことがないから私にできるだろうか。
「治癒魔法、結界魔法、身体強化魔法の三つだよね」
身体強化魔法は更に移動速度、体力、防御力、攻撃力と細分化されるが、大きく分けると三つ。
「ああ、魔王の前でそれを同時に発動すればいい。真ん中に塔のようなものが見えるだろ。魔王はその下の部屋にいる」
お城の天辺から伸びた塔をお父さんは指した。一番上の真ん中の部屋を目指せばいいんだね。
「それと、勇者の剣は置いていってくれるか?」
お父さんはライリーさんに自分の剣を差し出す。ライリーさんはおずおずと受け取った。
「勇者の剣に光を宿すと魔王が討てるらしい。剣はその光を吸収しようとする力があるようだ。近くにあるとまずい」
ライリーさんは勇者の剣をお父さんに差し出した。お父さんが受け取るけれど、地面に落としてしまう。鈍い音が響いた。
「お父さん何してるの! ライリーさんの剣を雑に扱わないで」
「いや、そんなことはしていない。重すぎて持つことができなかった」
そんなはずはない。ライリーさんは軽々と振り回している。ライリーさんより随分大きなお父さんが、力で劣るとは思えない。
お父さんが剣の柄を掴んで引き上げようとするが、びくともしなかった。
ライリーさんが変わると、剣は抵抗なく持ち上がる。
「ライリーは剣に選ばれたんだ。他の者は重くて抜くことができなかったんだな」
ジーンさんが頷く。
ライリーさんは勇者の剣を中庭の隅に置いた。
「貸していただいた剣を、振ってみてもいいですか?」
「ああ、好きに使ってくれ」
抜剣して、ライリーさんは振り下ろしたり薙ぎ払ったりと、剣を確かめるように振った。
お父さんは瞬きも忘れたように、ライリーさんの動きを目で追い続ける。
「……メナール」
お父さんの呟きに、ライリーさんは動きを止めた。
「はい、そうですが、なんで俺のファミリーネームを知っているんですか?」
私はお父さんに、名前しか伝えていない。
「昔、闘技大会でどうしても勝てなかった相手とそっくりな動きだった。顔はもう朧げだが、剣だけは鮮明に覚えている。でも急に闘技大会に出なくなって、張り合いがなくなって俺も出るのをやめた。そいつがいないのに優勝しても味気なかったからな」
「多分それは俺の父さんです。俺が生まれる前に闘技大会で五連覇していました。その時のことを語る時、父さんはものすごく強い人がいたと楽しそうに言っていました」
クロエさんが「見たかった」と肩を落とした。
ライリーさんのお父さんの言う、ものすごく強い熊みたいな大男って、お父さんのことだったのか。
「あの、この剣はお返しします。俺にはこちらの方が重くて。剣がなくても俺は戦えますから」
ライリーさんが鞘に収めたところで、クロエさんが羨ましそうにお父さんの剣を眺めていた。
「クロエは意外とミーハーだな」
ジーンさんがからかうように口角を上げる。
「学生の時にガイラ様の訓練を見てから、ずっと憧れていたのですから、仕方ないではありませんか」
クロエさんは恥ずかしそうに頬を染めた。お父さんが訓練をしているところを、子供のように顔を輝かせて語ってくれたことを思い出す。
お父さんが顔を緩めた。
「君がユージーン殿下の護衛か?」
お父さんに話しかけられて、クロエさんは背筋を伸ばした。
「申し遅れました。私は王国騎士団王族警護部隊のクロエ・ウォードと申します。ユージーン殿下に勇者と聖女を守るように命じられ、王妃様に殿下が迷惑をかけることがあれば容赦なく叱ってほしい、と頼まれてここにいます」
「僕が迷惑なんてかけるわけないだろう」
ジーンさんは心外だ、とでもいうように、片眉を跳ね上げる。
「すぐにアメリアにちょっかいをかけていたではありませんか。アメリアの家族にも、殿下からお守りすると約束致しましたし、私が何度注意したことか」
クロエさんは頭を押さえて息を吐いた。
「ちょっと待ってください。バートのことでホッとしたのに、ユージーン殿下がアメリアに好意を抱いているということですか?」
「まあそうだな。近々ガイラをお義父様と呼ぶことになるだろうね」
ジーンさんの言葉に、お父さんが私の肩を掴んだ。
「アメリア、本当なのか?」
お父さんの真剣な眼差しを受けることができずに俯いてしまう。
ジーンさんに惹かれているのは本当。でも、貴族かもしれないと思った時に尻込みしてしまったのに、王族だということがわかった。
いくらジーンさんがいいと言っても、下町育ちの平民と王子なんて、どう考えても釣り合わない。
何も言葉が出てこなかった。
「……アメリア」
お父さんに名前を呼ばれて顔を上げた。口角を上げて笑顔を作る。
「まずは魔王を助けなきゃだよね」
声を明るくするけれど、お父さんは私を心配そうに見つめる。そして肩をポンと叩いた。
「そうだな。まずは魔王だ。俺はアジュラが邪魔しないように、奴を抑える」
「私たちがアメリアを、魔王のところまで連れて行きます」
「頼んだ」
お父さんは左端の扉へ駆けて行った。
「俺たちも行こうか」
「みなさん、お願いします。魔王のところまで連れて行ってください」
みんなと視線を交わす。ジーンさんとだけは、すぐに目を逸らしたくなった。
「「「任せろ」」」
頼もしい返事に頷いた。