32 おもてなし
部屋で寛いでいると、扉がノックされる。
ガマさんが入ってくると、食事がテーブルに並べられた。
『アメリアさん、クロエさん、お楽しみいただけていますか?』
『はい! 経験したことのないことばかりです』
顔を輝かせて笑うと、ガマさんの笑みが深くなる。
『それはよかったです。何かございましたら、遠慮なくおっしゃってくださいね』
「彼らはどうしていますか?」
クロエさんがジーンさんとライリーさんのことを訊ねる。
『男性たちもお楽しみ頂いておりますよ。お二人より先に、食事を始めております』
女性には女性の、男性には男性のおもてなしと言っていたから、お二人も羽を伸ばしているのかな。
食事の準備が整い、ガマさんがお酒を注いでくれようとした。私はまだ飲める年齢ではないから断る。クロエさんは少しだけ、とグラスに半分注いでもらっていた。
ガマさんは様子を見にきてくれただけのようで、すぐに退席した。
料理はどれも美味しくて、作り方を教わってメモを取る。お屋敷を出発する時に、食材と調味料をわけてくれると言ってくれた。
人間の国でも、魔族の国にしかないものが簡単に手に入れられるといいのに。そうしたら、美味しくて珍しい料理を、家族に振る舞うことができる。
逆も言えることで、人間の国にしかない美味しいものを、魔族にも食べてもらえて、気に入ってもらえるかもしれない。
魔王と平和条約を結べたらな、と思わずにはいられない。
お腹いっぱい食べ終わり、甘いアイスクリームまでいただいて幸せだ。
『お嬢様、何か他に必要なものはございますか?』
『いえ、じゅうぶんです』
『では、足の裏のマッサージはいかがでしょう』
足の裏ってツボを押して、悪いところが痛くなるやつだよね。
興味はあるけど痛いのは嫌だな、と尻込みしてしまう。
『痛い時は力を緩めますよ』
それならば、とお願いすることにした。
足の裏を撫でられて、ぐっと押される。
意外と大丈夫かも。
安心していたら、上の階で大きな音が響いた。
天井に目を向ける。大勢が走り回っているような地響きがあった。
「なにかあったのだろうか?」
クロエさんも急にうるさくなった二階が気になっているようだ。
『ああ、お連れさまが楽しんでいらっしゃるのでしょう』
足を刺激しながらメイドさんが笑う。
『ご迷惑なんじゃ……』
言葉の途中で激痛が走り、足を引っ込めて声にならない悲鳴を上げた。
『すみません、もう少し力を弱くいたしますね』
『お願いします』
涙目で足を差し出す。
二階の音は激しくなり、廊下の方も慌ただしくなったような気がする。
「何かトラブルがあるのではありませんか?」
クロエさんが聞くと、メイドさんが頬に手を当てて首を傾けた。
『そうですわね。……ちょっと見に行ってくださる?』
扉の前に控えていた、別のメイドさんに指示を出した。メイドさんが部屋を出ると指圧が再開される。
「クロエさんは平気なんですか?」
全然痛がっていない。
「優しいからそこまで痛くないな」
『それなら少し強くいたしましょうか』
メイドさんが目を光らせると、クロエさんが暴れ始めた。
「いたい、いたい、やめろ!」
メイドさんの手が離され、クロエさんは喘ぎながら足の裏をさすっている。
『痛いと気持ちいいの間を目指しますね』
片方が終わると、すごくスッキリした。反対の足を掴まれる頃には、痛みも少しクセになってきた。
「いたい、でも気持ちいい」
「あー、気持ち良すぎる。あっ、そこは痛い」
指圧の虜になっていると、扉が勢いよく開かれた。大きな音に驚いて、全員がそちらに目を向ける。
険しい表情のジーンさんとライリーさんだ。私とクロエさんと目が合うと、二人は瞠目した。
「何をしているのかな?」
ジーンさんがこちらに足を進める。
私もクロエさんも身体がずりさがった状態で腰掛けていた。痛い時に暴れたせいだ。
きちんと座り直す。
「また肌を出して! 今度はアメリアまで」
ライリーさんは手足を出している私たちに苦言した。
メイドさんが足にブランケットをかけてくれる。
「ここには女性しかいないのだからいいだろ」
「それに、着心地も良くて可愛いんですよ」
クロエさんと私が反論すれば、メイドさんが自信満々に頷いた。
『若い女性の間で人気のルームウェアでございます』
「うん、可愛いね。でも、すぐにここを出るよ」
ジーンさんは笑顔で褒めてくれたのに、急に表情を固くする。
「どうしてですか? 雨が降っていますよ」
降り始めよりも雨足は強くなった。窓ガラスをたくさんの雫がつたう。
「ガマから逃げる」
ライリーさんも表情が強張っている。
ガマさんから逃げる? 丁寧で優しい印象しかないけれど。
「何があったんですか? 急に上の階で暴れましたよね?」
私の問いかけに、ジーンさんが口を開く。
「接待をされていたのだが、アメリアとクロエはどこにいるのか聞いても教えられず、ガマが二人を十二番目と十三番目の妻にするというようなことを聞かされた。二人が危ないんじゃないかと思って強行突破した。そしたら痛いだとか気持ちいいだとか聞こえて、扉を開けたら寛いでいたから驚いたよ。何もされていなくて安心した」
ジーンさんはその場にしゃがみ込む。
『私たちはお嬢様方に、嫌な思いなど、させは致しません』
メイドさんが真剣な表情で詰め寄ると、ジーンさんとライリーさんはたじろいだ。
『そうですよ。お嬢様方に、ずっとここにいたいと思ってもらえなければ意味がありませんもの』
『ガマさまは無理矢理女性を手篭めにするような方ではありません』
メイドさんたちに囲まれて、ジーンさんとライリーさんは首を竦めて縮こまる。
ガマさんがフラフラと部屋に入ってきた。
『お二人とも、お強いのですね』
私はガマさんに駆け寄った。
『怪我をしているんですか?』
『いえ、たいしたことありません。扉がぶつかってしまって』
手をかざして治癒魔法をかけた。やっぱり魔族は人間よりも少ない力で治癒できる。
『何か不都合がございましたか? 選りすぐりの美人でおもてなしをさせていただいたのですが』
ガマさんが大きな身体をかがめて、ジーンさんとライリーさんに訊ねた。
選りすぐりの美人? ジーンさんたちは美人の魔族と一緒にいたってこと?
胸の中がモヤモヤと重くなる。
「確かに全員甲乙つけ難い美人だった。だが僕は、アメリア以外に鼻の下が伸びることはない!」
ジーンさんが声高らかに叫ぶけれど、王国語だからガマさんには伝わっていない。
「カッコつけてるけど、言ってることはカッコ悪いからな! いっぱい飲んだから酔ってるんだろ?」
ライリーさんが大きく息を吐き出した。
ジーンさんは顔も赤くないし、足取りも呂律も問題ない。酔ってるようには見えなかった。
「僕を酩酊させるのは、君だけだよアメリア」
極上の笑みの後にウィンクをされて戸惑ってしまう。
クロエさんの後ろに隠れた。
「あの、ジーンさんがおかしいです」
「うーん、彼はアメリアに対してはいつもおかしいから、酔っているか判断できないな」
クロエさんが顎に手を添えて、頭を悩ませている。
「あの、すごくもてなしていただきました。女性たちは悪くありません。でも、クロエとアメリアを妻に迎えると聞いて、二人のことが気になってしまって……」
ライリーさんは最後の方は、しどろもどろになった。声も聞き取りにくい。
メイドさんたちにガマさんのことを聞かされたから、どうなのかと迷っているようだ。
ガマさんは大きく頷く。
『私は美人に目がなくて。アメリアさんとクロエさんを妻にしたいのは本当ですが、お二人ともとても愛されていますからね。そんな相手がいるのなら、わたくしは降ります』
ガマさんがまんまるの目を糸のように細めた。私はクロエさんと顔を見合わせて目を瞬かせる。
「アメリアはそうだが、私にそんな相手はいませんよ」
クロエさんの言葉に、ガマさんは意外そうに目を見開く。
『おや、そうでしたか。彼は貴女の名前しか呼んでおりませんでしたよ』
「えっ! ちょっ、……何言ってるんですか!」
ライリーさんは顔を真っ赤にして、ガマさんに叫んだ。
クロエさんがライリーさんの方へ足を進める。ライリーさんの目と鼻の先で止まった。
私はクロエさんとライリーさんのロマンスを期待して、ニヤける口元を両手で覆った。二人の邪魔にならないように、おとなしくしていなければ。
「ライリーは変わっているな」
ライリーさんは壊れかけのブリキ人形みたいに、ぎこちない動きでクロエさんに顔を合わせる。
「変わってるって?」
「私は騎士学校では、女のクセにと厄介者扱いされ、騎士になれば兄のコネだとなじられた。……兄のコネは事実だが」
クロエさんは自重気味に漏らした。
第二王子様の護衛騎士であるお兄さんに推薦されたって言ってたもんね。そう思う人もいるのか……。
「きっかけはそうでも、王妃の護衛騎士になってからは、君の実力だろう」
ジーンさんの澄んだ声が響く。
自信に満ち溢れているような表情だ。酔ってはいないのかな?
「クロエは強いけど、すごく努力したんだろ?」
「私より強いライリーに言われてもな」
ライリーさんはクロエさんの手を両手で掬う。
「俺はこんなに一生懸命剣を振った人の手を、見たことがないよ」
クロエさんがライリーさんの手首を掴んだ。
「自分の手を見てみろ」
見つめ合って笑う二人が素敵すぎて、見ているだけで幸せになれる。