26 リリーの話
一時間歩いてソルフォに戻ると、すでに辺りは薄暗くなっていた。でもエミールさんが帰ってきたからか、町の人たちの表情は明るい。
「ジーンはどこにいるんだ?」
ライリーさんに連れられてエミールさんの家まで来たけれど、ジーンさんを見つけることはできなかった。
どうしたものかと辺りを見渡していると、エミールさんの家からお医者様が出てきた。
「エミールさんのお加減はいかがですか?」
「熱は高いが、問題ない。今は寝ているよ」
顔から力が抜ける。よかった、とみんなで笑い合った。
「エミールさんを運んだ人は、どこにいるかわかりますか?」
ライリーさんの言葉にお医者様は頷く。
「町長の家にいる。この道の突き当たりにある、一番大きな家だ。彼はフラフラしていたから、町長の娘が家まで連れていったよ。本人は寝れば治ると言っていたが、何かあったらすぐに呼ぶように」
「はい、ありがとうございます」
礼を言って町長の家に向かった。
町長の家は、他の家の二倍くらいの大きさだった。扉をノックすると「はーい」と声がかかる。エプロンをつけた優しそうな女性が扉を開いた。町長の奥さんなのかな。
「すみません。仲間がお世話になっていると、聞いたのですが」
ライリーさんが頭を下げると、女性は笑みを深くして「どうぞ」と中に手を向けた。
「エミールを見つけてくださって、ありがとうございます。みなさんも今日は泊まっていってください。お連れ様は二階の一番奥の部屋にいらっしゃいます。その手前の部屋も使ってくださいね。夕飯ができたら呼ぶので、二回で寛いでいてください」
階段を上がり、ジーンさんのいる部屋の扉を開く。ベッドで横になっているジーンさんの傍に、二十代前半くらいの女性が座っていた。
胸の辺りがモヤっとして、私はそこに手を当てて首を傾ける。
「リリー、手伝って」
階下から奥さんが叫ぶと、女性は立ち上がって返事をする。私たちに会釈をすると、部屋を出ていった。
女性が出ていくと、ジーンさんはフードを外した。顔色はあまり良くない。
「ジーン、身体はどうだ?」
「魔力を使いすぎただけだ。食べて寝れば治る」
弱々しいながらも、ジーンさんは笑顔を見せた。私はホッと息を吐く。
「あの、先ほどの女性は?」
私が声をかけると、ジーンさんは顔を輝かせる。
「気になる? 嫉妬してくれてるの?」
顔を覆ってはしゃぐジーンさんを、クロエさんが冷めた目で見下ろしていた。
先ほど感じた胸の違和感は、ジーンさんの笑顔を見て霧散した。私が感じたものは嫉妬、だったのだろうか?
「面倒くさいです。それで、リリーでしたか? 何を話していたのですか?」
クロエさんが硬い声で訊ねれば、ジーンさんは笑顔を引っ込めて真剣な眼差しを向ける。
「サーシャについて話があると言われた」
サーシャさんの名前が出て、全員が息を飲んだ。緊張が走る。
「リリーがこの部屋に入ったのは、みんながここに来る直前だった。だから内容は聞けていない。エミールを見つけたことで、僕たちに何かを伝えたくなったんじゃないか?」
サーシャさんは二十三歳。リリーさんも同じくらいの年齢だ。お友達だったのかな?
「今から聞きに行ってこようか?」
「いや、町の人には聞かれたくないようだ。そうでなければ、体調が万全ではないとはいえ、よく知りもしない男と部屋に二人になるはずがない」
ジーンさんはライリーさんを止める。
「座ったらどうだ? みんなだって疲れただろう」
ジーンさんに促されて腰を下ろす。
「無理をしていませんか?」
「大丈夫だよ。アメリアが看病してくれたら、すぐによくなるよ」
「任せてください!」
診療所で働いていたし、子供はすぐに風邪を引くから、弟妹の多い私は看病に慣れている。
手首を掴んで脈を測る。正常だし、額に触れても熱はない。
「……違う。そうじゃない。そういうきちんとしたのじゃなくて、もっと甘ったるい雰囲気を期待していたんだけど!」
甘ったるい雰囲気? 弟妹も風邪を引くと手を握って欲しいとか、そばにいて欲しいとか言っていた。心細いとか甘えたいってことかな?
「つまり私は、ジーンさんのお母さんになればいいってことですね」
クロエさんとライリーさんが盛大に噴き出した。
「どうして……」
ジーンさんは両手で顔を覆った。
片手を握って、頭を撫でる。ジーンさんの髪は艶があってサラサラで、触り心地は極上だ。
撫でていると、ジーンさんは顔を覆っていた手を外した。瞼を下ろす。
「これはこれで、いいかもしれない」
安心したってことだよね。
扉がノックされた。ライリーさんが開くと「食事ができました」と奥さんが伝えにきてくれた。
農業と酪農の町だからか、野菜と乳製品が中心だった。食欲が増すような匂いがリビングに充満しており、全員で美味しい食事をいただいた。
お風呂で体も綺麗にし、二階の奥から二番目の部屋を私とクロエさんで使わせてもらう。ベッドに転がって寛いでいると、私たちの部屋の前を通り、ジーンさんたちの部屋の前で足音が止まった。
扉を開けると、リリーさんが隣の部屋をノックをしようとしている。一緒に部屋へ入ると、ジーンさんはベッドで横たわっていた。他のみんなはイスやベッドに腰掛ける。
「あの、エミールさんを見つけてくださったのは本当に感謝しています。でも、サーシャを探すのはやめてください」
リリーさんは深々と頭を下げる。足の上に乗っている拳が震えていた。
「理由は? サーシャの父親はサーシャを探している」
ジーンさんに問われ、リリーさんは下唇を噛んで目を伏せた。何秒か待つと、口を開いた。
「サーシャは幸せに暮らしています。だから探さないでください」
「どこで暮らしているんだ? わかっているなら、なぜ父親に伝えない!」
クロエさんが声を上げ、ライリーさんが人差し指を自分の口元に持っていって落ち着くように諭す。リリーさんのご両親が起きていないといいけど。
「私とサーシャは友達です。だから、手紙をもらいました。サーシャは魔族の男性と駆け落ちしました。もうすぐ子供も生まれるそうです。だからそっとしておいてあげてください」
駆け落ち? 魔族の男性と?
ライリーさんが大きく息を吐いて頭を掻いた。
「魔族はいい人だと説得したのに、町の人には洗脳されておかしくなったって思われたんだろ? それで駆け落ちか……」
「サーシャさんは四ヶ月前にいなくなっていますよね。それならお腹は目立っていないと思いますが、妊娠はわかっていたはずです」
子供はお腹の中でどんどん育っていく。でも周りは自分の話をまともに受け取ってくれない。
それでサーシャさんは、魔族の男性と駆け落ちすることを選んだんだ。
「私も酷いことを言いました。魔族は恐ろしい存在だと言われ続けていたので、絶対に騙されている、と」
瞼を伏せて深呼吸をすると、リリーさんはポケットから封筒を取り出した。
「サーシャからの手紙です」
《大好きなリリーへ 私は今、心から幸せだと言える。愛する人ができて、その人にも愛されて。もうすぐ子供も生まれるの。三人で暮らせるのが待ち遠しい。リリーにも私の子を可愛がってもらいたいな。また会いたいよ。サーシャ》
ところどころ文字が滲んでいるのは、涙を流しながら綴ったのだろう。
「だからサーシャを探さないでください」
リリーさんは涙を堪えながら訴える。
「サーシャが住んでいるところはわかっているのか?」
「はい、住所が書いてありましたから。偽名で届いたから、もしかしたら住所もでたらめかと思いましたが、私が書いた手紙が戻ってくることはなかったので、サーシャに届いているはずです」
「他のいなくなった人も、同じところに住んでいるのでしょうか?」
リリーさんは首を振った。
「それはわかりません。書いてありませんでしたから」
「その町を教えてくれませんか? サーシャさんを無理矢理連れ戻すことはないと約束します。ですが、他にいなくなった人がどこにいるのかの手がかりが欲しいです」
リリーさんは住所を教えてくれた。ここから半日ほど北の街道を進めばある【フィモル】という町だと教えてくれた。
リリーさんが部屋を出ると、全員が黙ってしまう。
好きになった人が違う種族だった。
サーシャさんの手紙を思い出して、息が詰まって俯いてしまう。
「今日はもう寝よう。明日の早朝にはここを発つ」
私とクロエさんは立ち上がって、おやすみなさいと告げると部屋に戻る。
ベッドに横たわってもなかなか眠れない。
私はどうなんだろう。ジーンさんは種族は同じでも、身分は多分全然違う。
惹かれる気持ちはあるけれど、私はジーンさんだけを選べる気がしない。
それともこれは、別の感情なのだろうか?