17 準備
肩を揺すられる。重い瞼を擦った。もう少しだけ寝ていたくて、肩に触れている手を掴んで引いた。ベッドが沈む。
いつもより少し冷えているのかな? 体温が低い。
「バート、寒いの?」
手探りで頭に触れる。短く刈られた髪ではなく、サラサラの手触りに、一気に覚醒した。
目を開けると、至近距離にジーンさんの顔がある。
「ベッドに誘ってくれるのは嬉しいけれど、他の男の名前を呼ばれるとは思わなかったよ」
ジーンさんはベッドの傍に膝をついて、顔をベッドに乗せる体勢になっていた。私は飛び起きて正座になり、額をベッドに押し付ける。
「ごめんなさい! 弟と間違えてしまいました」
私を「お姉ちゃん、お腹減った」と言っていつも起こすのは、四歳の弟だ。寝ぼけて、旅に出たことを忘れていた。
「バートは弟?」
「はい、一番下の弟です。いつも私を起こしに来るので、間違えてしまいました」
起こされてまだ眠たい時は、バートを抱えて微睡むのが、朝のささやかな幸せだ。
「アメリア、顔を上げて」
ジーンさんの優しい声色に、恐る恐る上体を起こす。ジーンさんは顔をベッドに乗せたままだから、私に上目遣いで笑顔を向けた。朝からキラキラしすぎている。
「弟で良かった。また間違えてもらえるように、アメリアのことは僕が起こすね」
「いえ、ごめんなさい! 自分で起きます!」
隣でモゾモゾとして、ゆっくりと起き上がったのはチーだ。うるさくして起こしてしまったかな。
『お母さん?』
私と目が合い、チーは両親が一緒ではないことを思い出したのか、視線を落とした。
『チーおはよう』
明るく声をかけて抱っこをすれば、チーは可愛らしい笑顔を頑張って作ってくれた。
『アメリアおはよう』
あと寝ているのはクロエさんだけ。チーと一緒に肩をトントンとすれば、パッと起きてくれた。
まだ外は暗い。ライトを点けた。
「そろそろ準備をしようか」
ライリーさんが服を持ってきてくれる。ビニールがかぶされていて、ドレスは青と黄色だ。クロエさんが青を掴むから、私は黄色を受け取る。
ビニールを外して、クロエさんと脱衣所へ向かった。
サテン素材のドレスは滑らかな手触りで、上品な光沢がある。タイトな上半身にはレースの装飾があしらわれ、絞られたウエストから広がるスカートが華やかだ。
高級な服に身を包んだことがなく、こわごわと着替えた。
鏡に映った私は、衣装に着せられているようにしか見えない。落ち込んで俯いてしまう。
「アメリア、可愛いじゃないか!」
クロエさんが声を弾ませて褒めてくれた。沈んでいた気持ちが浮上して、照れ笑いを浮かべながらクロエさんに視線を移した。
クロエさんの姿に、目を丸くして言葉を失う。
「……やっぱり、私には似合わないだろうか?」
クロエさんは力のない声で漏らし、自分の姿を眺めた。慌てて否定する。全力で!
「すっごくお綺麗で、お似合いです! セクシーすぎて驚いてしまっただけで」
隊服姿は凛々しくてかっこよかったが、今目の前にいるのはゴージャスな美人だった。
タイトなキャミソールドレスは、胸元や背中が露出していて、太ももまでスリットが入っている。身体のラインもはっきりと見え、スタイルがいいから会場中の目を釘付けにしそうだ。
「アメリア、これを付けてくれないか?」
ゴールドの短いネックレスを渡された。
クロエさんは髪を掻き上げる。身長差があるから少し屈んでもらい、クロエさんのうなじで留め具を付けた。
こちらを向いたクロエさんはやっぱり綺麗で、うっとりと見入ってしまう。
ハイヒールを履いて、少し大人びたような気分になった。
脱衣所から出ると、ローとチーが駆け寄ってきて私には『可愛い』と、クロエさんには『綺麗』と褒めてくれた。
「よく似合っているよ。僕の見立ては完璧だね」
「ジーンさんが選んでくださったんですか?」
「実際に見てはいないが、事細かに注文はした」
ライリーさんは慌てた様子で、クロエさんの肩にジャケットを羽織らせる。
「クロエの格好もジーンが選んだのか? 肌を出しすぎだ」
「僕がアメリア以外の服を選ぶわけがないだろう」
顔を真っ赤にしているライリーさんに、ジーンさんは肩を竦めた。
「私は好みの色を聞かれただけだ。あとは全て任せた。私が騎士だから、武器を隠し持つことが出来ないように、選んだドレスだろう」
だからクロエさんは迷わずに、青いドレスを取ったのか。
「ライリーの服ももちろん選んでいない。僕よりワンサイズ上なら着られるだろうと、サイズは指定したが」
ジーンさんもライリーさんも金糸で刺繍が施されたジャケットと、細身のズボン。二人ともすごく似合っていて、見惚れるほど。
ライリーさんのジャケットは、今はクロエさんにかけられているけれど。
準備を急がなきゃ、と思い直して、サイドの髪を後頭部で留めてハーフアップにした。飾りのリボンを巻こうとしたけれど、チーがジッと見ているのに気付く。
『チー、おいで』
私はチーを鏡の前に立たせ、私のドレスと同じ黄色のリボンを首の後ろへ回し、頭頂部でちょうちょ結びにした。
『チー可愛い! 私とお揃いだね』
『アメリアと一緒』
チーは顔を明るくして、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。ローがうらやましそうに見ていたのに気付いたジーンさんが、パールのブローチを外して、ローの服に付けた。
『ジーンありがとう』
ジーンさんは優しい表情を見せる。ジーンさんとローのやりとりを見て、私も思わず顔が緩んだ。
リボンをチーに使ったから、私はジーンさんにもらったバレッタを後頭部につける。
「そろそろ行こうか」
ジーンさんはいつものローブを羽織り、フードを被った。服がほとんど隠れてしまう。
「それを着ていくのか?」
「ああ、僕は顔を隠すことを許されている。これなら子供たちも連れていけるだろう」
ローとチーを二人でこの部屋に残していくのは心配だ。
『お父さんとお母さんは必ず助けるから、二人とも絶対にジーンさんのローブから出ちゃダメだよ』
ジーンさんが袖に手を通しているから、二人は頷いてジーンさんにしがみついた。
「アメリア、膨らみを隠すように寄り添ってくれるかい?」
ジーンさんが肘を外に出した。頷いて腕を絡める。
「では、行こうか」
「待ってください!」
ジーンさんが声を掛けるが、クロエさんが叫んだ。
「このような靴に慣れていないので、歩きにくいです」
クロエさんの靴は、ピンヒールで高さもある。立つのは問題なくても、歩くのは大変みたい。
「ライリー、エスコート」
「俺が?」
「他にいないだろう」
「いや、俺、やり方わからないし……」
しどろもどろになるライリーさんをクロエさんが手招きする。近付いたライリーさんにクロエさんがジャケットを着せると、腕にしがみついた。
「クロエ?!」
目を白黒させて、ライリーさんが石のように固まった。
「ライリーは普段通りにしてくれればいい。歩く時の支えにさせてくれ」
ライリーさんは耳まで赤くして、奥歯に力を込めて頷いた。クロエさんはセクシーだし綺麗だし、くっつかれたら緊張しちゃうよね。
ジーンさんが扉を開く。まだ日も登る前だから、廊下はしんと静まり返っていた。それなのにネロセビの香りだけは甘く漂っていて、不安で足が竦む。
「大丈夫だ。全員助ける! アメリアの力が必要だ。頼りにしている」
ジーンさんを見上げれば、頷いてくれた。見えている口で、微笑んでいることが想像できる。
そうだった。ジーンさんは魔法が使えないし、クロエさんは剣がない。私が女性たちや、ローとチーの両親を守らなければ。
一歩足を出せば、前に進むことが出来た。長い廊下を歩き、エレベーターで一階まで降りる。