10 クロエと親交を深める
お部屋についているお風呂なのに、洗い場と湯船が分かれており、私の家のお風呂より広い。白と青のタイルが交互に貼られた壁は、照明が反射して輝いている。
クロエさんに頭を洗われた。
人に頭を洗ってもらうのは気持ちいい。目を閉じていると、眠気に襲われる。
お湯をかけられると、さっぱりして眠気は飛んでいった。
いつも小さな弟の頭を洗っているから、洗う側は慣れている。クロエさんの頭は私が洗った。
体も綺麗にして、膝を抱えてクロエさんと向き合って湯船に浸かる。少しぬるめのお湯で、じわじわと体が温まった。
「クロエさんとジーンさんは、元々お知り合いなんですか? すごく仲が良さそうですけど」
クロエさんは眉頭を寄せて、斜め上に目を移した。思考を巡らせているようだ。
「仲が良い? 顔見知り程度だ。私の兄は、彼とは付き合いが長いが」
年下のクロエさんがジーンさんには厳しいから、仲が良いのかと思っていた。
クロエさんはお兄さんがいるのか。私にとっては頼りになるお姉さんだから、少し意外だった。
「ジーンさんは何をしている方なんですか?」
神官と騎士は否定された。列車の中での様子で、強力な魔法使いだということはわかったけれど、謎は深まるばかり。
クロエさんは視線を下げて、自分の膝を見つめている。
「アメリアの知りたいことを、私は知っている。でも、本人が言わないことを、私が勝手に話すわけにはいかない。こんなことしか言えなくて、すまない」
「いえ、クロエさんが謝ることではないです」
両手を振った。
言えないってことは、口止めをされているのかな? どうしてジーンさんは、そこまでして素性を隠すのだろう。
「彼がアメリアを想っていることだけは、偽りないことだ。突飛な言動で戸惑うかもしれないが、それだけは信じてあげてほしい。彼が私を同行者に選んだ理由は、年の近い同性がいた方が、アメリアが安心できるだろうからという理由だからな」
「ジーンさんがクロエさんを選んだんですか?」
私はジーンさんのお心遣いはありがたいし、クロエさんが一緒ですごく安心できる。でも、私情のような理由で魔王討伐の同行者を選べるって、ますますジーンさんのことが気になった。
「最終決定は王妃様だ。私は騎士団の王族警護の隊で、王妃様をお守りしている。王妃様に、勇者と聖女を守る任を与えられた」
謁見の間にいた王妃様を思い浮かべようにも、緊張しすぎて全く覚えていない。王様が私たちと同じ場所まで降りてきて、声を掛けてくれたんだ。そのことで気が動転して、自分が何を話したのかも記憶にない。
「彼が言ったように何者かは置いておいて、彼自身を見てあげてほしい」
クロエさんが慈しむような眼差しをした。顔も少し赤い気がする。もしかして……。
「クロエさんって、ジーンさんが好きなんですか?」
クロエさんは滑って、湯船に潜った。すぐに両手を浴槽の淵にかけて、身体を起き上がらせる。
「どこをどうしたら、そんな勘違いを起こすんだ? 異性としては、苦手な部類だ」
クロエさんは顔を引き攣らせて、首を振る。
「だって、優しい顔をしていましたし、顔も赤かったですし」
「私が優しい顔をしていたなら、アメリアに対してだ! 顔が赤いのは、風呂のせいだろう」
「じゃあ、クロエさんはどんな方がタイプなんですか?」
身を乗り出して嬉々として聞けば、クロエさんは眉尻を下げて「落ち着け」と笑った。
「私は……実直で誠実な人がいいな」
照れくさそうに教えてくれたクロエさんが可愛らしい。
「ライリーさんはそんな感じですよね」
クロエさんは顎に手を当てて、少し悩んだ後に頷いた。
「そうだな。ライリーはもっと自信を持てばいいのにな。いきなり勇者だと言われて、断れないようにすぐ城へ連れられて戸惑っているのだと思うが、今日の列車ジャックでの身のこなしを見て、相当強いはずだ」
「運動神経抜群ですよね」
ライリーさんは座席に飛び乗って壁を蹴り、後ろに回り込んですぐに顎に蹴りを入れ、相手をダウンさせた。
私だったら座席に飛び乗ることもできずに、転けて体を打ちつけるだけだ。
ライリーさんは剣を抜いたら、どれほど強いのだろうか。
「アメリアはどうだ? どんな人がいい?」
「【天上物語】の流星の騎士様のような人です」
「……なんだそれは」
「天上物語という児童書があるんですけど、弟に読み聞かせをしているうちに、私の方がハマってしまって。お姫様を守る姿がかっこいいんです!」
「アメリアはかっこいい人が好きなのか?」
首を捻る。今まで人を好きになったことがないからわからない。物語を読んだり演劇を見たりすると、キラキラした美形に心を奪われる。
「そう、なんですかね? ……もしかしたら私、ミーハーなのかもしれません」
クロエさんに声をあげて笑われてしまった。
「今はいいんじゃないか。好きな相手ができれば、変わるだろうし」
「あの……、クロエさんは、私がジーンさんを好きになった方がいいと思いますか?」
聞いていて恥ずかしくなり、最後の方は声にならなかったかも。
今まであんなに好きだと伝えてくれた人はいない。クロエさんも、ジーンさんが私を想う気持ちは嘘ではないと教えてくれた。
「私の個人的な意見では、すごく嫌だ」
クロエさんは顔のパーツを中心に寄せるような顔を見せる。綺麗な顔が皺だらけだ。
「嫌、なんですか?」
「アメリアが彼の毒牙にかかると思うと複雑だ。だが、アメリアが彼を本当に好きなら祝福する。好きになった方がいいか、と聞いてくるうちは、ご家族と約束した通り、私はアメリアを彼からも守るぞ」
それもそうか。好きになった方がいいと言われて、好きになれるものじゃないよね。
「そろそろ私は上がる。のぼせそうだ」
いっぱいお話をしていたから、私もだいぶ熱くなった。
「私も出ます」
脱衣所に出ると、ひんやりしていて、火照った身体を冷やしてくれて心地良い。
身体を拭い、着替えて部屋に戻る。
ベッドの上では、ライリーさんがジーンさんの片腕を掴んで両足で挟み、絞め技を掛けていた。
一緒にお風呂に入って仲良くなるとクロエさんに言われたけれど、待っている間に、ライリーさんとジーンさんも仲良くなったのかな? 喧嘩じゃないよね?
「何をしているんだ?」
クロエさんが聞くと、ライリーさんが拘束を緩めた。ジーンさんは素早く離れて肩を回す。
「ジーンが風呂場に突入しようとするから、押さえ込んでいた」
「何を話してるかは聞き取れなかったけれど、楽しそうだったんだもん」
聞こえていなくて胸を撫で下ろす。
「ライリー、よくやった。お前も大変だっただろう」
「次からはできるだけ、部屋を分けた方がいいと思う」
「四人一緒の方が何かあった時に対処しやすいが、仕方がないか」
クロエさんとライリーさんが話している間に、ジーンさんがベッドを飛び降りて目の前に立った。
「アメリアの髪を僕が乾かしてもいい?」
「乾かす?」
タオルで拭いてくれるってことかな? 自分でやったけれど。
ジーンさんに手を引かれ、肩を押されてイスに座らされた。私の後ろに立って、ジーンさんが髪をそっと掬う。
すぐに温かな風が起こり、驚きすぎて振り返った。
「今の、なんですか?」
「僕の魔法だよ。炎と風を混ぜて出力を限界まで下げると、髪を乾かすのにちょうどいい温風が出るんだ」
「すっごく便利ですね」
目を瞬かせていると、前を向かせられる。
「ジーンさんは水と風と炎の魔法が使えるんですか?」
「そうだね。水の温度を下げて氷にすることもできるし、今やっているみたいに、組み合わせて使うこともできるよ」
話しながら、宝物でも触っているかのように、丁寧な手つきで髪に触れられた。
温かい風が髪を通り抜けるたびに、胸の中へも温かなものが蓄積していくようだ。ジーンさんの指が髪に触れる感触は、優しすぎて全身が熱くなる。
「乾いたよ」
風が消えた。ジーンさんが名残惜しいというように、ゆっくりと髪から手を離した。
髪に指を通す。頭頂部から毛先まで、引っかかることがなかった。
「すごいです! こんなにサラサラになったことありません」
興奮して振り返る。ジーンさんを見上げた。
「喜んでもらえて良かった」
眩しいほどの微笑みに、心音は更に加速した。
「ジーンがアメリアの喜ぶことをしている」
「やればできるじゃないですか。もうアメリアに迷惑をかけてはいけませんよ」
ライリーさんとクロエさんの言葉に、ジーンさんは不服そうだ。
「僕はアメリアの喜ぶことは、なんでもしたいと常に思っているよ」
「その心が大事です!」
クロエさんは優しさに満ちた顔で何度も頷く。
「でも僕は僕もおいしい思いをしたいから、アメリアとお風呂に入ることは諦めていないから」
「台無しだよ!」
ライリーさんが額に手を当てて、首を振った。
「アメリア、離れなさい」
クロエさんに腕を引かれて、ベッドに連れて行かれる。寝転がるように言われて、仰向けになった。私の隣にクロエさんが横たわり、掛け布団を肩まで引き上げてくれた。
「聞かなかったことにして寝よう」
「なぜクロエがアメリアの隣に寝るんだ? 僕は?」
「貴方は空いているベッドでライリーとです!」
ベッドに近付いてきたジーンさんと目が合った。恥ずかしすぎて頭まで布団に潜る。
ジーンさんに心を掻き乱された。全然慣れる気がしない。