荷取りのひし
よっとっとっと……うーん、今日は段ボールの荷物が多いなあ。
大量かつ、急な備品発注とはなんともやっかいなものだよねえ。この積み込んでから、下ろしていくまでの間がちょいとしんどい。早く回ってしまいたいものだ。
重い段ボールを持つのにも、いくらかコツがあるあたり、昔から荷物運びは大きな課題だったとみえる。
やれ、段ボールの角を対角線で持つといいとか、やれ、おへそのあたりに段ボールの重心を持つといいとか、重心をポイントに据えたアドバイスを聞くねえ。
重さとは、確かに辛さもあるが、安心感も育んでくれるものだ。しっかり抱えていると、自分が「持つ者」側であるかのような心地がしてくる。
そのぶん、荷物の状態には十分に気をつかっておかねば、いけないかもね。
私の昔の話なんだが、聞いてみないか?
あれは文化祭の準備のときだったか。
クラスで行う演劇の道具類や材料たちを、段ボールに詰めて運んでいたんだよ。
そうとうの大物に関しては台車が使われるも、たいていの荷物は男子の手運びとなる。
私もまた、運び手のひとりとして舞台と道具の置いてあるところとを、行ったり来たりしていた。
その時は、げんのうはじめとする工具たちが複数必要で、段ボールに詰めて運んでいたんだよ。
運ぶ先は、渡り廊下先の体育館。途中で各運動部の部室――用具置き場として使える程度で、「部屋」と呼べそうなほど、広々としたスペースを確保したものはなかったけれど――たちの並ぶ前を通るから、それなり距離があった。
箱の内側はわずかにゆとりができていて、揺れるたびに中の工具たちも騒ぐ。
その金属的な響きから、早く逃れたいなあと、足を早めていたところ、ちょうど渡り廊下ですれ違ったクラスメートに、指摘された。
「その箱、液漏れしてねーか?」と。
私の左手が支える、箱に向かって左奥下の角。
そこから私の手を伝い、渡り廊下のすのこから、わずかにずれたコンクリートの上に、点々と濃い灰色のしずくが垂れている。
指のすき間から漏れ出るそれらは、どうやら校舎から渡り廊下に移ったあたりから、出ていたらしい。
なにか、こぼれるようなものがあったかな、と私は渡り廊下の隅へ寄って、箱をあらためる。
工具はどれも金物で、水がこぼれるような要素はまったくないものと思っていた。
それが掘っては掘って、いよいよ箱の底面へ接するところとなって、一本のげんのうの「頭」部分がほとんど溶けてしまっていることが分かったんだ。
飴細工のように、ダラダラと身を崩し、かろうじてT字型の原形を残すのがやっと、というその姿に、私は驚く。
運ぶ前に一本一本、状態を確かめたうえで詰め込んだんだ。それが短期間で、しかも構成している金属が、秋口を迎えた気温程度でへたれてしまうとは考えづらい。
箱の中に他の工具を詰めてはいるが、押しつぶされたにしては妙だ。
構成している鉄がどろりと溶けて、表面でいくつも波打ち、しかも固まるでもなく現在進行形で、身体の崩壊を進めてしまっているのだから。
そして、こうも崩れているなら柔らかそうな気もしてしまうが、いざティッシュ越しに触れてみると、硬さはほとんど衰えているように思えなかったんだ。
やむなく、このげんのうをのぞいた残りをみんなへ届けに行く私。
さいわいにも作業に問題が起こりそうな、コンディションの悪いものはなく、かの不良品げんのうのみ手に取って、教室へいったんもどる体をとった。
この不自然な状態に関して、試してみたい気がしたからね。
げんのうを手に、私は体育館と校舎の間、および校舎の中をうろつきまわってみた。
結果として、げんのうが溶けるような姿を見せるのは、この渡り廊下でのみと分かったんだ。
他の場所では、その身からしずく一滴垂らすことのないげんのう。それがこの渡り廊下へ差し掛かったとたん、真夏の炎天下にさらされた肌のごとき、汗っかきを見せるんだ。
満足にそれを調べる時間は、私には与えられない。
ほぼ確信を持ったその時には、げんのうの頭の最後のかたまりが、ぼとりと足元に落ちてしまうときだったからだ。
渡り廊下のコンクリートと、部室との間。柔らかい土がむき出しになっている、わずかな空間だった。
と、同時に。
大きい地揺れが、一帯を襲った。
それはあまりに短く、けれども気づいたみんなが顔をあげて、つい固まってしまうほど強烈なもの。
しかも、その日の放課後、学校から数キロ離れた資材置き場の中心に、ひし形をした真新しい陥没跡が、姿を見せたんだ。
一辺が数メートルあろうかという、巨大なダイヤ。それは例の振動の直後から見受けられるようになったようで、おそらくは揺れの正体だろうと、目する人もいたそうだ。
もっとも、それ以上の詳しいことはよく分からなかったらしい。ダイヤの陥没の中に、隕石そのほかの落下物らしき気配はなかったとのことだ。
そして、げんのうが溶ける事件から数日後。
今度はあの部室たちで、異変が起こった。
部室内に置かれていた道具たち、その金属部分ばかりがなくなっていたんだ。
ネジとか、留め具とかの一部であれば補充は楽だったが、野球部の金属バットなどは、柄に巻いた滑り止めのテープ以外、まるごと姿を消してしまう事態。
盗んだ、と考えるのは楽だったが、話を聞いたうえで部室の状態をのぞいてみた私は、ついうなっちゃったね。
その失われた道具たちの足下は、他の部室の床とは異なる色に汚れていたのだから。
――彼らも、げんのうと同じだ。誰に持ち出されるでもなく、きっと、その場で溶けてしまったんだ。
もちろん、このようなことをいきなり話して、信じてもらえるとも思っていない。
日頃、渡り廊下を使う以上は現場を避けることは難しいが、工具たちを見るに、すべての金属が溶かされるわけでもないらしい。
私は渡り廊下を使うとき、できる限り金属系の物を持たないようにしたが、どこまで効果を出したことか。
くわえて、例の振動とひし形の陥没も、あれから何度か話題にあがっている。
方角そのものはまちまちだが、地図で穴のあいたポイントをおさえていくと、じょじょにだか、この学校との距離を縮めつつあったんだよ。
いつか、ひし形に学校を潰されてしまうのではないか。
私の想像は50パーセント……いや、30パーセントほどは当たっていたかもしれない。
文化祭がとどこおりなく終わり、私は居残って片づけをしていたんだ。
自宅が近いこともあって、下校時間ギリギリまで仕事を引き受けてね。他のみんなはあらかた帰ってしまい、校舎内はけっこう静かだったよ。
あと一息というところまで追い込んで、ぐうう、と背伸びをしながら、窓より外を見た時だった。
ここから見える右から6割はグラウンド、残り4割が屋根のついた渡り廊下の、一部の道といったところ。
その渡り廊下のすのこたちと、屋根の大部分が、にわかに音を立てて外れ、飛び上がったんだ。
すのこのあったところには、大きな穴が空いている。あそこから飛び出た何かか、彼らをもろとも巻き上げたのだと、察しがついたよ。
だとすると、何が……。
私の疑問に、空はさしたる時間をおかず答えた。
思わず、飛び上がりかけるほどの振動が、校舎を襲う。
視界の上方より、にわかに現れ、グラウンド中央に突き立ったもの。
それは全長10メートル以上あろうかという、げんのうの頭だったんだ。
横倒しになり、片面をグラウンドにうずめて、もう片面を天へ向けている。あのとき、溶けて落ちてしまったげんのうの頭に、そっくりの意匠をしていた。
が、それも確かめられたのは、ほんの数瞬。
追い打つような第二の揺れが、いっそう校舎を震わせる。
このとき、グラウンドへ目を向けられていた者が、何人いるかは分からない。
ただ、そのうちの一人であった私は、それが巨大な「足」によってもたらされたのを見て取った。
大きいげんのうの頭を、ひと目でおもちゃのごとき存在で落とすその足は、渡り廊下に及ぶギリギリまでを、その黄色でもって隠しつくした。
形は人の足ではあったが、その先に5本の指はない。代わりに大きなひし形が足先を形づくり、げんのう以上にたっぷりと、グラウンドへうずまっている。
その足が、ほどなく持ち上がったとき、とがった先端がげんのうを引っかけた。
飛び上がるような勢いのまま、天へ引っ込んでいく足とげんのう。我に返った私が空を見やっても、そこには近づく夜の闇に身をゆだねつつある、曇り空があるばかり。
けれど、グラウンドには確かに大きい陥没と、そこに寄り添うひし形の跡が残されたわけで。
それを埋め立てるために、数日はグラウンドの使用が控えられたんだよねえ。