1.魂と器と心(下)
怪談話に登場した女性の幽霊は、男性を恨みがましく思っていた。「心」がまだ存在していたからこそ、死んだ身であってもそのような「感情」を抱いていたのだろう。
だが、なぜ身体を失ったのに、つまり亡くなったのに、クォンとラルーカの魂と心はここに在るのだろう。死んだら魂は天に昇る、とオリジーアでは言われているが、死者の魂と心は、実はこの世界のどこかにとどまるものなのだろうか。この始海の塔は、死んだ人間の魂と心をとどめておくための場所なのだろうか。
「クォンが紛らわしい言い方をしましたが、彼は初代操言士ではありません。正確には初代操言士の血縁、子孫です」
「子孫……え、子孫なんですか!?」
「はい。クォンだけでなく、私もそうです」
ラルーカが静かに告げると、紀更の目の色は変わった。
抱いた疑念は正解だったようで、クォンは初代操言士ではないようだった。しかし初代操言士と完全に無関係というわけでもなく、子孫であるという。幽霊とはいえ、まさか初代操言士の血縁者に会えるなんて、想像したこともないような稀有な出会いだ。
「初代操言士の子孫……」
紀更の心臓は、力強く脈打ち始めた。これから、何かもっと壮大なものに触れ得る気がする。そんな予感がする。
「初代操言士の孫の孫、つまり玄孫がクォンです」
「初代から数えて五世代目、か」
エリックが指を折り、確認するように呟く。紀更も「自分、子、孫」と胸の中で数えて確かめる。
「そして、私は来孫……クォンよりひとつ下の世代にあたります」
「お二人は近しい血縁なんですか」
ルーカスが問いかけると、ラルーカは無表情のまま首を横に振った。
「クォンの父方祖父と、私の母方祖父の母親が、姉と弟の関係にあたります」
「近い……とは言えなさそうですね」
「私もそう思います」
「儂はそんな家系図、そもそも憶えておらん。無駄な記憶じゃ」
クォンはフードの下でくすくすと笑った。
「世代が違うので、私とクォンに生前の交流はなく、また、死んだ時期に関しても接点はありません。我々自身も理解できないのですが、私たち二人の魂と心は、死んだあとにこの塔に呼ばれ、そしてここに閉じ込められました」
閉じ込められた、という言い回しを聞いて、紀更たち全員に緊張が走った。
「まさかこの塔は、一度足を踏み入れたら二度と出られない?」
「ど……どうしましょう、もし本当にそうだとしたら」
王黎が困り顔になり、紀更も不安を浮かべる。
するとラルーカは紀更を見ながら言った。
「安心してください。私とクォンはこの塔から出られませんが、あなた方は出られると思います」
「ほんとですか!? それならよかったです」
「それはいいが、なぜそう言えるのだ?」
安心する紀更と違って、エリックは懐疑的な眼差しをラルーカに向けた。ラルーカはエリックを見つめ返して答える。
「つい最近、あなた方と同じように生きた人間の来客があり、彼らは普通にこの塔を出たからです」
「来客……もしかして」
「フォスニアの王子と、その従者の操言士です」
「手紙の……優大王子!」
紀更は思わず声を上げた。しかし全員の視線がいっせいに自分を向いたことに気が付き、恥ずかしそうに俯く。
「す、すみません。落ち着きます」
「ラルーカさん、僕らには真偽を確かめようがないのですが、ここを訪れたというその方は、本当にフォスニアの王子様なのですか」
「はい、間違いはありません。フォスニアのエンリケ王が長男、優大王子です」
王黎は一瞬、ラルーカを疑った。断言するラルーカの声と表情はとても変化に乏しく、そこから真偽を読み取るのは至難の業だ。だが、フォスニア王子の身分をこちらに対して詐称したところで、ラルーカにメリットなどないだろう。そう判断して、王黎はラルーカを信じることにした。
ラルーカは少し間を置いてから、優大について語り始めた。
「優大王子はエンリケ王から、『自分の身にもしものことがあれば、周りを顧みず、迷わず塔を目指せ』……そう言いつけられていたそうです」
「もしものことがあれば?」
王黎は、ゼルヴァイス操言支部の支部長、弥生の忠告をふと思い出した。
――南に向かうなら、サーディアとの国境付近は気を付けな。風の噂だが、サーディアとフォスニアの間で何かあったらしいさね。
何かがあったことしかわからないと弥生は言ったが、やけに含みを持ったフォスニア王のその言葉はもしかしたら――。
「――フォスニアのエンリケ王は、亡くなったんでしょうか」
「亡くなった?」
王黎の問いかけに、紀更は首をかしげた。
なぜ突然、そんな話になるのだろう。そう考えてから王黎に遅れること少し、紀更も弥生の言葉を思い出した。そしてピースとピースをつなぎ合わせて、王黎と同じ考えにいたる。
「サーディアとフォスニアで何かがあったって……フォスニア王が亡くなって、それが〝もしものこと〟で……それで、優大王子がこの始海の塔に来た?」
「ラルーカさん、エンリケ王は老衰ですか。それとも病気? 事故? けが? それとも」
王黎は矢継ぎ早に、考えられる死因を挙げた。フォスニア王の死因、それがとても重要なことのように思えてならない。
「エンリケ王は殺されたそうです」
ラルーカが答えると紀更は息を呑み、王黎は目を細めた。エリックやルーカス、そしてユルゲンも、物騒になってきた話の流れに楽な気持ちではいられない。
「皆さんは、フォスニアを建国した人物をご存じですか」
「いえ、ごめんなさい、知らないです」
突然話題を変えたラルーカの問いに、紀更は首を横に振った。
「フォスニアを建国したのはザンドラ女王。彼女は、初代操言士の娘です」
「娘? え……ええっ!?」
紀更はまたしても仰天した。クォンやラルーカの話には、驚かされてばかりだ。
そんな紀更とは対照的に、ラルーカは実に淡々と、抑揚もなく話を続ける。
「先ほど、私とクォンの祖先が姉と弟の関係だと説明しましたが、その姉と弟というのは、長女、次女、長男という三姉弟です。私の祖先は次女に当たりますが、彼ら三姉弟はフォスニアの初代女王ザンドラの子供です。そして、長女の子孫がフォスニア王家なのです」
「ほぉ、ほぉ。つまり儂ら二人は、初代操言士の子孫であると同時に、フォスニア王家とも血のつながりがあるのじゃ。まあ、遠い血じゃがな」
まるで手品の種明かしをするように、クォンは少し自慢げに言った。
一気に増えてきた情報量に、紀更は混乱してきた。
「待って……待って、ください……。初代操言士の娘が、フォスニアを建国したザンドラ女王で……その長女の子孫が、今のフォスニア王家で……クォンさんとラルーカさんは、ザンドラ女王の二番目と三番目のお子さんの子孫で、それで、えっと」
「家系図を書きたくなりますね」
ルーカスが冗談めかして言うと、紀更は頭を抱えた。
「もう、何がなんだか」
ルーカスの言うとおりだ。可能なら、これまでに聞いたことを紙に書きつけておきたい。そうでないと忘れてしまうし、情報が整理しきれそうになかった。
「紀更、一度に全部理解しようとしないで。今の僕らに一番関わることで、重要なことを考えるんだ」
王黎が師匠らしい、落ち着いた声で紀更に声をかける。
紀更はしばし考えてから、ゆっくりと口を開いた。
「フォスニアのエンリケ王が殺されて……それで、優大王子がここへ来て……たぶん、そのあとに〝特別な操言士〟宛に手紙を書いた?」
「そうだ。優大王子は、キミ宛に手紙を書いただけじゃない。自分もつい最近、ここへ来た。そのうえで、キミにここへ来るよう手紙を寄越したんだ」
「ちなみに、つい最近というのは我々の感覚じゃからな。外の時間じゃと……はて、いつのことじゃ?」
「十ヶ月くらい前……でしょうか。一年は経っていないと思います。おそらく……」
クォンに問われて、ラルーカはだいぶ考える時間をとってから自信なさげに答えた。
魂だけの存在だからなのか、どうやら生身の身体で生きている紀更たちが普通に感じている時間の感覚が、薄らいでしまっているようだ。
「ジャスパーさんのところに優大王子の従者という操言士が来たのは、去年の夏の終わりだ。時系列を整理すると、優大王子と従者はまずこの塔に来た。それからセカンディアに行った。で、従者だけがゼルヴァイス城を訪れた、ということなんだろうね」
「優大王子たちは、なぜセカンディアに行ったんでしょうか。従者の方だけがゼルヴァイス城に来たのはどうして……優大王子は私への手紙をセカンディアで書いた? 優大王子たちは、今頃はもう、フォスニアに帰った?」
紀更が教えてほしいという願いを込めてラルーカの方を見たが、ラルーカは目を閉じて静かに首を横に振った。




