3.レイト東街道(下)
その後紀更たちの一行は、水の村レイトに着くまでに何度か怪魔に遭遇した。すべてカルーテの群れで、先頭を行くルーカスが素早くカルーテを見つけ、即座に戦闘態勢に入る。数が多ければエリックも前に出て戦う。紀更は彼らのその姿を最美の背から傍観し、カルーテが斃されて霧散するのをただ待つだけでよかった。
(すごいなあ、騎士って)
紀更を気遣って王都の外のことを語ってくれるルーカスは、ただ饒舌なだけではなく、怪魔の気配を察するのが早かった。そして見つけた怪魔に臆することなく近付き、長剣を抜いて素早く攻撃していく。振りかざした切っ先をかわされたり、あと少しでカルーテの牙に腕がもがれそうになったりした場面もあったが、ひるまずに次の手を繰り出し、時には後退して攻撃を避けたりエリックの援護のおかげで難を逃れたりして、華麗に勝ちきった。
今日、紀更は人生で初めて怪魔に遭遇した。家畜でも野生動物でもない、不気味な姿とその攻撃性が怖くて、身体が縮こまってしまった。
しかし、それが人である騎士の手によって退けられることがわかってくると、知らぬがゆえの恐怖というものは小さくなった。もしルーカスとエリックがいなかったら、と思うと背筋が凍る気がするのだが、カルーテは紀更が不安に怯えるほど、圧倒的な脅威ではないらしい。そのことが感覚としてつかめてきたので、紀更の中に生まれた恐怖心は、水の村レイトに着く頃にはだいぶ鎮まっていた。
「紀更殿、お疲れ様です。水の村レイトが見えてきましたよ」
初夏の太陽が西の地平線にふれるまでもう少し、という時分に、ようやく村の入り口が見えてきた。騎乗移動が初めての紀更を気遣って休息を多めにとりながら進んできたため、ほぼ一日がかりの行路になってしまったが、無事に水の村レイトに到着できそうだ。
ルーカスが示した先には、積み上げられた石の塀があった。左右に広がるその塀は、村の中と外の境界を意味しているようだ。左右に五、六メイほど伸びたところで途切れているが、通り道の頭上には木製のアーチがあり、「水の村レイト」と書かれた看板が取り付けられている。
「ここは村の東口です。レイトは南北に走る大通りが一番栄えていて、この東口のほかに、南と北の外れにも出入口があるんです」
ルーカスが紀更に向けて解説する。
「今日はここに泊まるんですよね」
道中で、旅行の行き先は水の村レイトであるとやっと王黎から教えてもらえた紀更は、念のためルーカスに確認した。
「そうですよ。騎士団と操言士団の名で宿を予約しています」
アーチをくぐり村の中に入ると、ルーカスは慣れたように右方向へ馬を誘導した。
「ルーカスさんは、この村に来たことがあるんですか」
「ええ、何度か。騎士団は都市部の外でも訓練をします。野宿することもありますが、村や街の宿を使うこともありますよ。都市部にある騎士団の宿舎を使うことの方が多いですけどね」
「訓練……野宿」
紀更は、これまで関わりの薄かった騎士たちの姿を思い描いてみた。
何人かでこうして馬で移動して、街道や平原などのフィールドで怪魔に出くわして戦い、戦闘の経験を積むのだろう。野宿の場合はテントを張ったり、あるいは木の幹にでももたれたりして寝るのだろうか。夏ならまだいいが、冬場にそれをするのはつらそうだ。
「寝ている時に怪魔に襲われることはないんでしょうか」
「もちろんありますよ。怪魔は夜の方が活発ですからね。だから、交代で見張りをします。野宿の場合、熟睡はまずできません。寝ていても、常に頭のどこかで覚醒していて、怪魔の気配を敏感に感じ取らないといけないですから」
「すごいですね」
毎日必ず寝台で熟睡している紀更には、別の世界のことのように思えた。
寝ているのに覚醒しているなんて、どうやっているのだろう。訓練すればできるようになるものなのだろうか。
「野宿が多そうな行程の場合は、操言士の方にも同道してもらうんですよ」
「えっ、操言士もですか」
「カルーテなら騎士でも太刀打ちできますが、怪魔を本当に斃せるのは操言士ですから」
怪魔と戦うことは、操言士の役目のひとつ。なぜなら、普通の生物ではない怪魔を斃すのに真に有効な武器が、「操言の力」だからだ。
(怪魔を本当に斃せるのは、騎士じゃなくて操言士……)
重い頭と身体で受けていた操言院の授業の中で、そのことに関する内容もあった気がする。しかし、最近の授業はほとんど耳に残らなかったので、よく憶えていない。
(私も、いつかは怪魔と戦わないといけないのかな)
そう考えた紀更は、ふと王黎の方へ視線を向けた。すると、王黎は馬上で腰をひねって、何かを考え込むような真剣な眼差しで村の南の方をじっと睨んでいた。
(王黎師匠?)
「紀更殿、まずは宿へ向かいます。慣れない騎乗でお疲れでしょうから、今日は早めに休むといいですよ」
王黎を気にする紀更に気付かず、ルーカスが誘導する。
村の東口から右方向へ伸びる道を進み、村の奥へ入るにつれて、民家がぽつぽつと見えてきた。早いところでは夕飯の仕度が始まっているらしく、家屋の前を通ると野菜のスープらしき香りが鼻腔をくすぐった。
到着した宿は、南北に伸びる大通りから東へ少し進んだ道に面していた。意外と利用者が多く、宿の中からはわいわいと人の声が響いてくる。
「ルーカス、馬を頼む」
一番に下馬したエリックが、馬の背をひとなでして軽やかに宿の中へ入っていった。
王黎も馬から下りて、まだ馬上にいる最美を見上げる。
「最美、キミも馬をつないできてくれるかい?」
「畏まりました、我が君」
「頼んだよ」
王黎はエリックの背を追うように宿の中に入っていく。
最美は、馬上に紀更を残して軽やかに下馬すると、宿の真横にある厩から踏み台を持ってきて、馬の横に置いた。
「紀更様、どうぞ」
「す、すみません、わざわざ。ありがとうございます」
乗った時よりもかなり楽に、紀更は馬を下りた。成人している年齢なのに、かいがいしく最美に世話を焼いてもらっているような気がして、少しだけ情けない。
最美は特に気にしていないようで、黙々と踏み台を回収し、慣れた手付きで馬を厩に引いていった。ルーカスの方も、自分とエリックの馬を厩に誘導しつなぐ。
紀更は、最美が鞍から外してくれた革のボストンバッグを手にして宿の中に入った。
入って正面には受付があり、エリックと王黎が宿の主人と話をしている。そのすぐ隣の部屋は食堂になっているようで、何組か食事をとっているのか、夕餉を楽しむ騒々しい声が聞こえてくる。外は暗くなりつつあったが、宿の中は明灯器のおかげで明るかった。
明灯器とは陽光を溜め込んだ照明器具のことで、木製の丸い台座の上に先端が丸いドーム状になっている細長いガラス球がはめ込まれている。それは操言士が操言の力を使って作る生活器の一種だ。
オリジーアには様々な生活器がある。たとえば、明灯器は操言の力によってガラス球の中に陽光が閉じ込められており、夜になると周囲を照らしてくれる。明灯器をいくつか室内に置けば、その灯りが消えてしまうまでは、夜でも日常生活を営むことができるのだ。夜の光源としては松明も使われるが、明灯器ならば松明と違って火事の心配がないので、一般的には明灯器の方が好んで使われる。
「部屋は二階だそうだ」
チェックイン手続きを終えたエリックは、馬の世話を終えて受付前に集まったルーカスと最美に言った。そして最美には、部屋番号が彫られた木製板の付いた客室の鍵を渡す。
「わたしとルーカス、紀更殿と最美殿が同室です」
「はい、わかりました。でも王黎師匠は」
「ん? 僕は一人部屋」
王黎はにこにこと笑顔を浮かべながら、鍵を宙に投げてキャッチした。
無料で宿泊できるわけではないので、何人かのパーティで泊まるときはなるべく少ない部屋数で泊まるものだが、操言士団が許したのかそれとも王黎が駄々をこねたのか、王黎だけは優雅に一人部屋だった。
エリックの先導で、紀更は受付横の階段を上る。
階段と二階の廊下は、受付よりも薄暗かった。天井には明灯器が吊り下げられているので真っ暗ではないのだが、階段と二階の廊下すべてを照らし出すには明るさが足りないようだ。しかし、明灯器は決して安価な代物ではなく、階段と廊下にそれぞれひとつずつでも設置されていればいい方だろう。それに、溜め込んだ陽光は使用開始から時間の経過とともに減ってしまうので、室内を照らしていられる時間には限りがあるのだ。
薄暗い二階の廊下の左右にはいくつかの扉があり、部屋数はざっと二十弱はあるようだ。
「紀更、部屋に荷物を置いたら一階の食堂へ行こう。ルーカスくんの言うとおり、夕飯をとって今日は早々に休もうね」
「はい、わかりました」
紀更は王黎に頷くと、客室の鍵を開ける最美に続いて部屋に入った。