3.夕日(下)
夜が明けて昼過ぎ。紀更たち六人はゼルヴァイス城を訪れた。
今日の午後なら城主の時間があると弥生から聞いたので、祈聖石巡礼の旅でこの地を訪れたことを挨拶するためだ。
「王黎師匠、あの……」
「どうかした?」
「その……すみません、城主様と会うのに作法とか礼儀とか……私、そういうのは……」
王都育ちの紀更にとって城主、つまり城に住む人と言えばオリジーア王家のこと。ようは国王一家だ。ゼルヴァイス城の城主が国王でないことはわかっているが、庶民の紀更からすれば城主というのは雲の上の存在に等しい。挨拶の手順だとかお辞儀の仕方だとか、気を付けなければならない言葉遣いだとか、そういうお作法があるに違いない。そう思うと、そうした知識に疎いことがとても不安だった。
「ああ、大丈夫だいじょーぶ。気さくな人だから、そういうの全然気にしないよ」
「でも……」
「紀更も気にしなくていいよ~」
自分の無知を恥じながらすがる思いで師匠に訊いてみるも、王黎は笑うだけで何も教えてくれない。城主に失礼があってはいけないだろうに、と心配する紀更の気持ちをさらっと流してしまう。
こうなれば頼れるのはエリックだ。紀更は案内役の使用人に先導されて城内を移動しているうちに、なんとかエリックから聞き出そうとタイミングを見計らう。
城下町の建物はそのほとんどが木造だったが、ゼルヴァイス城とそれを守る城壁にはふんだんに石材が使われており、防御力を重視しているのが一目瞭然だ。城内には華美な彫刻品やシャンデリアなどの見た目重視の調度品の類はそれほどなかったが、石造りによる寒さを少しでも緩和するためか、床には隙間がないほどぴっちりと絨毯が敷かれ、壁にはタペストリーや、大きな熊の毛皮が垂れ下がっていた。
「あの、エリックさん……城主様に会うのに必要なお作法を」
「皆様、こちらで城主がお待ちです」
「えっ……」
エリックに尋ねきる前に、目的地に着いてしまったようだ。紀更は余裕のない目で、使用人が今まさに開けようとしている扉を見つめた。
「紀更殿、大丈夫だ。王黎殿の言うとおり、ここの城主はそういったことは気にされない方だ。気を楽にしていい」
エリックは紀更の肩をやさしくたたいた。
「はい……」
本当に、城主様を前にして気を楽にしていていいのだろうか。紀更は右手と右足が同時に前に出そうな緊張感を伴って、ゼルヴァイス城二階の応接室に足を踏み入れた。
案内された応接室は驚くほど広いわけでもないが狭くもなく、昨日訪れた操言支部会館一階の二倍ほどの広さだった。採光用の窓は大きく、透明度の高い上質なガラスがはめ込まれているため、室内には日光が燦々と降り注いでいる。招いた客と向かい合って座るための大きなソファが四つ、脚の短いテーブルを囲むように堂々と鎮座しており、操言支部会館の支部長室よりも荘重な雰囲気だった。
「ジャスパー様、客人をお連れしました」
使用人が声をかけたのは、窓際で青年と会話をしていた城主ジャスパーだ。豊かなカイゼル髭に紫紺の髪。紀更たち六人の中で最も背の高いユルゲンよりはやや低い身長だが、広い肩幅で存在感のある体格だった。
「おう、ご苦労」
ジャスパーは青年から紀更たち一行へ視線を移した。使用人は頭を下げると、壁に背を向けて待機姿勢に入る。ジャスパーと話していた青年は、応接室の奥の扉を開けて出ていった。
「来たな、自由人」
「いや~誰のことですかね~」
「相変わらず周囲を振り回してんのか? ん?」
ジャスパーは大股で王黎に歩み寄ると、骨太の右手を差し出した。王黎はその手に自分の右手を重ね合わせて、握手を交わしながらへらへらと笑う。
「最近の僕はおとなしいですよ」
「嘘つけ。そこの騎士二人が冷たい表情になってんぞ」
王黎と違って背筋をピンと張って直立しているエリックとルーカスに視線を向けて、ジャスパーは苦笑した。
「紹介しますね、ジャスパーさん。弟子の見習い操言士、紀更です。こちらはその護衛のエリックさんとルーカスくん」
王黎は手のひらを紀更、エリック、ルーカスへ順に向ける。肩に力が入った紀更は、緊張した面持ちで頭を下げた。
「はっ、初めましてっ。あの、紀更、と申します」
「ジャスパー・ファンバーレだ。この城の主を務めさせてもらっている。まあそう緊張するな、特別な操言士」
ジャスパーは紀更にも右手を差し出した。
「は、はい……あの」
紀更はその大きな手のひらを見下ろし、それからどうしたらいいのかと助けを求めるように潤んだ目線を王黎に向けた。
「ね? 気さくな人でしょ」
王黎はにこにこと笑って頷く。
「よ、よろしくお願いします」
「おう」
何がよろしくなのだろうと、頭の中は緊張で混乱していたが、紀更はジャスパーの右手に自分の右手を重ねて、恐る恐る握手を交わすことに成功した。だがジャスパーの太い指が曲げられると妙な圧力を感じ、自分の手のひらの温度が下がった気がした。
「まあ、座れ」
手をほどいたジャスパーはソファに向かって歩き、全員をうながす。するとジャスパーの対面に王黎はささっと腰を下ろした。最美とユルゲンは、ジャスパーと向き合う位置からは遠い席へと自然に腰を下ろす。紀更は王黎の隣に遠慮がちに座り、エリックとルーカスは紀更の護衛のため、座ることなく彼女の背後に立った。
「なんだ、全員座れよ」
「いえ、自分たちは紀更殿を護衛する身ですから」
ジャスパーに誘われるが、エリックとルーカスは固辞した。ここにいるのはあくまでも護衛という仕事ゆえであり、客としてここにいるわけではない、という分別をわきまえていた。
紀更としては、自分はそんな丁寧に守られるような身分ではないので、ジャスパーの言うとおり座ってほしかった。しかしあらためて自分がお願いするのもなんだか不自然な気がして、ちらちらと落ち着きなく、背後のエリックとルーカスを見やった。
「紀更殿、気にしないでください。大丈夫です」
あまりにも紀更が困った表情のままでいるので、ルーカスが笑顔でフォローする。
紀更はなんとか落ち着きを取り戻して、目の前に座るジャスパーに顔を向けた。
「おいおい、大丈夫かよ。オレは王様じゃねぇぞ? 固くなりすぎだぜ、特別な操言士」
「でも王族とつながりがあるじゃないですか」
王黎が指摘すると、ジャスパーは苦笑した。
「父方の婆さんが、先々代エドワード王の姉ちゃんってだけだ。その婆さんと結婚した爺さんは普通の一般市民だし、その息子がたまたまゼルヴァイス城の城主に納まって、運よくオレもその跡を継いだってだけだ」
「でもおばあ様はれっきとした王族なんですから、やっぱり高貴に思えますよ。ね、紀更?」
「はい……あの、髪の色も」
「ああ」
紀更に言われて、ジャスパーは髪の毛先をちりちりとつまんだ。
紫紺の髪色は、オリジーアでは王族特有の色とされている。歴代の王は必ず紫紺の髪で、王家の血が濃い方が確実にその色が出ると言われている。祖母が王族というだけのジャスパーがその色をしているのは珍しいかもしれないが、その色が間違いなく、ジャスパーが王族に連なる人物だということを示していた。
「まあ事実は事実だが、あまり気にしないでくれ」
ジャスパーはカイゼル髭をゆったりとした動作でなでながら目を細めた。
「待たせて悪かったな」
「いえ、ジャスパーさんはお忙しいでしょうから」
「祈聖石巡礼の旅だってな。出発して何日目だ?」
「十日ぐらいですかね」
「まだまだ序盤だな。ここの祈聖石はもう全部回ったのか」
「いえ、まだです。ゼルヴァイスは広いですから」
「最近の騒ぎで強化はしたが、数は増えてないはずだ。まあ、地道にやるんだな」
「あ、入城のためのペナント、ありがとうございました。おかげで上層の祈聖石は昨日回ることができましたよ」
王黎とジャスパーはテンポよく会話を進める。
王黎がどれくらいジャスパーと親交があるのか紀更は知らないが、会話が続くほどに、確かにジャスパーは堅苦しいというよりは気さくな御仁だということがわかってきた。弥生と同世代くらいだろうが、張りのある声からは若々しさを感じる。
「レイトとラフーアの件は知ってるか」
「その騒ぎの真っただ中にいましたよ、僕ら」
「なんだと? そうか、お前が原因か」
「やだなあ、偶然ですよ。もしも僕らがここにいる間に怪魔が襲ってきたら、偶然じゃなくなるかもしれませんけど」
「笑えねぇ冗談だ」
ジャスパーは苦々しく吐き捨てた。
そこへ侍女が一人、紀更たち来客のための茶を持ってきて給仕する。
「まあ、その件はいい。王都からの情報共有と警告を、うちの騎士団と操言支部はしっかり受け取って、意味あるものにしてるからな」
「市民の出入りは相変わらず多いようですけど、そのあたりは大丈夫ですか」
「騎士や操言士だけでなく一般市民にまで、気になることがあればすぐ報告するよう、徹底している。まあ、それでなくとも、ちと気になることは以前からあるんだがな」
ジャスパーはそう言うと、壁際で待機していた使用人に大きな声で指示を出した。
「奥にいるエミールを呼んできてくれ。あれも持ってこいとな」
「畏まりました」
頷いた使用人は先ほど青年が出ていった応接室の奥の扉へ向かった。
「なんです?」
「去年の夏の終わりぐらいにな、うさんくさい客が来たんだ」
話し始めたジャスパーの声に慎重さが滲み出ていたので、王黎とエリックは緊張感を持った。




