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ヒオクダルスの二重螺旋  作者: 矢崎未紗
第03話 海の操言士と不思議な塔

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3.夕日(上)

「はあ~……疲れた」


 思わず出てしまったため息の大きさに、紀更は自分の疲労を実感する。

 中層にあるいくつかの祈聖石を巡ったのち、弥生がくれたペナントのおかげでゼルヴァイス城がある上層の敷地まで入ることのできた紀更たちは、休憩を挟みながら祈聖石を巡って歩き続けた。今日一日で、この広いゼルヴァイスの地の半分近くを歩いたことになるだろう。

 ゼルヴァイスは円形に近い形をした都市部なので、上層より中層、中層よりも下層と、円の外に行くほど敷地が広く、街路も長くなる。まだ回っていない中層の残りの祈聖石と下層の祈聖石を回るとなると、今日よりもっと時間がかかる見込みだ。


「今日はよく歩いたな」

「はい……へとへとです」

「ん、お疲れ」


 ユルゲンは労わりの視線で紀更を見下ろした。

 二人がいるのはゼルヴァイス城を囲っている第三城壁の上の歩廊で、西の行き止まりの地点だった。紀更の身長より少し低い小壁体に囲まれた歩廊は、小柄な人間がぎりぎり二人横に並んで歩ける程度の横幅で、城を中心にぐるりと一周囲んでいる。西の行き止まりの下は地面まで城壁が続いていたが、その地面のすぐ先は崖で、さらに下は海面だった。うっかり壁を乗り越えたら、間違いなく海へ落ちてしまうだろう。

 夕方の今は風もなく、穏やかな漣がゆっくりと打ち寄せては切り立った絶壁を遠慮がちにたたいている。視線をずっと遠くにやった先、空と交わるところまで広大な海原が広がっており、生まれて初めて海を見る紀更は、声を上げて感動したいところだった。しかし残念なことに、歩きすぎによる疲労がその声を喉の奥でせき止めていた。


「ユルゲンさん、お見苦しくて申し訳ないのですが、座ってもいいでしょうか」

「ああ、別に気にしないから楽にしてろ」

「ありがとうございます」


 紀更は隣にいるユルゲンに許可をもらうと、行儀が悪いと思いつつも石造りの地べたにへなへなと座り込んだ。紺青色のフレアスカートが砂埃で汚れてしまうが、仕方がない。


(足がむくんでパンパンだわ)


 地べたに座るのははしたないことだが、ユルゲン以外に人目もないので、紀更は完全に気を抜いた。スカートごしにふくらはぎを指で揉んでみると、溜まっている水分が流れて血行がよくなり、いくらか楽になった。

 王黎と最美は、いまここにいない。今日一日歩いたご褒美と称して、何やら菓子を買ってきてくれるとのことで、先ほど中層の商業区へ行ってしまった。


――ユルゲンくん、ちょっとの間、紀更と一緒に待っててくれるかな。そのうちエリックさんとルーカスくんが来ると思うけど、いつになるかわからないからさ。

――ここで待っていればいいのか? どこか別の場所の方がよくないか。

――疲れただろうから、ここで少し休むといいよ。人の目もないしね。よろしく~。


 そうして残された二人は、海を臨めるこの場所で一休みしているのだった。

 同じ距離を歩いたはずなのに、紀更ほど疲れが見えない王黎はさすが師匠、と褒めるべきだろうか。


「ユルゲンさん」


 紀更は横座りの姿勢のまま、ユルゲンを見上げた。背の高い彼を座った状態で見上げると、いつも以上にその身体が大きく遠くに感じる。


「なんだ?」

「あの……ごめんなさい。ユルゲンさんにはつまらないでしょう、祈聖石巡りなんて。実物が見られるわけでもないですし。ヒューさんと皐月さんのお話も……私にはとても勉強になりましたけど」

「ああ、まあ……いや、俺も退屈はしていない」

「そうですか?」


 ユルゲンは気を遣ってそう言ってくれているのだろうか。

 見習い操言士の紀更は、王黎から教えを受けることをとても楽しく思う。どんな学びもとても面白い。知識が増え、知らないものを見て、頭の中や心が豊かになっていく気がするのだ。

 だが一介の傭兵であるユルゲンは、そうではないだろう。どんな操言士がいるのかだとか、祈聖石がどこにあるのかだとか、どんな仕掛けが施されているのかだとか、そんな説明が続いたところで、操言士でないユルゲンが得るものは特にないはずだ。

 それなのに、ユルゲンは文句のひとつも言わずに付き合ってくれる。今日は朝からエリックとルーカスの二人が不在だったので、二人の代わりのつもりなのか、王黎の講義に夢中になる紀更を、陰ながら護衛してくれているようだった。


「なんであれ、新しいことを見たり知ったりするのはいいことだ。それをしなくなると、頭の中が老いて早くジジイになっちまう。俺は操言士ではないが、こういう状況でもなけりゃ知ることのない操言士の一面を知ることができて、それなりに有意義に思っている。気にするな」


 申し訳なさをまとう紀更を気遣うように、やや饒舌に語るユルゲンの声は優しかった。

 普段はパーティのうしろで黙って事の成り行きを見守っていることの方が多いが、ひとたび一対一の会話の場面になると、彼はなかなかに話してくれる。


「皐月って操言士は個性的だったな」


 そして今も、ユルゲンの方から話題を広げてくれた。


「そうですね。操言士としてもそうですが、あまり見たことのないタイプの女性でした」

「操言士ではないが、武器作りを専門にしている職人なら俺の故郷にもいたよ」

「傭兵の街メルゲントにですか?」

「ああ。だいたいがいい年したジジイでな。偏屈で凝り性で、客商売でもあるだろうに客を選びやがる。気に入らない奴には、いくら金を積まれても売らないんだ」

「そんな……それで生活できるんでしょうか」

「腕のいい職人の武器は、野生の獣だけでなく怪魔にも十分威力を発揮するからな。欲しいと思う傭兵や騎士は大勢いて、つまり客はいくらでもいる。一人二人売らない相手がいても、何も問題はねぇんだ」

「すごいですね」


 行ったことも見たこともない都市、傭兵の街メルゲント。このまま祈聖石巡礼の旅を続ければ、いつかは行けるだろうか。ユルゲンの生まれ育ったその街に。


「皐月の言ったことに、なんか思うところがあったのか」


 ユルゲンは海を背にして、行き止まりの小壁体に両肘を乗せた。少し身体をくの字に曲げて、座り込んでしまっている紀更を見下ろす。


「『操言士以外の生き方は許されない』……君には重く感じたんじゃないか」 

――操言の力を持って生まれてしまった人間ならさ、操言士になるしかないじゃん? 操言士以外の生き方は許されないっていうのかな。……それでも操言士として生きなきゃいけない。


 そう皐月が言った時、紀更の表情がしばし硬直したのをユルゲンは見逃さなかった。


「ローベルさん……」


 紀更はぽつりと言った。


「ローベル?」


 紀更の口から予想もしてなかった人物の名前が出て、ユルゲンは首をかしげた。

 紀更は、皐月の言葉によって胸の中に生まれた考えをしっかりと口にした。


「ラフーアの操言士ローベルさんは、もしかしたら音楽家になりたかったんじゃないかって……そう思いました。音の街ラフーアに生まれ育ったのなら、きっと誰もが音楽家になりたいと夢を見る……でもローベルさんには操言の力があった。だから操言士になるしかなくて、音楽家になりたいという夢は諦めるしかなかったんじゃないかって」

「なるほどな。音楽家になりたい自分を押し殺し続けてきた……それが私怨の正体か」

「私の勝手な想像ですよ? でもローベルさんは横笛を吹いていました。きっとあの横笛は、ローベルさんにとって大事なものだと思うんです。操言士として生きなきゃいけないけど、それでもきっと音楽が好きで」

「音楽家になりたいから操言士にはなりたくない、なんて許されない……か」

「皐月さんみたいに、ローベルさんも考えたと思うんです。音楽家になりたい、横笛を吹きたい。でも操言士として生きなきゃいけない……それなら、横笛と操言の力をうまく合わせられないか、って」

「その結果が、笛を吹くことで怪魔を出現させて都市部を襲わせるという復讐か」

「怪魔についてはほかに事情があったのかもしれません! でも操言の力を持って生まれたら操言士になるしかない……それって窮屈で不自由で、もしかしたら――」

――悲しいことなのかもしれない。


 喉元まで出かかったその言葉を、紀更は言えなかった。

 心の中では音楽家になりたいと思っていたのに諦めざるを得なかったのではないかと、ローベルのことをそんな風に考えると悲しく哀れに思う気持ちが生まれる。だがもしも口に出して言ってしまったら、その言葉は二度と取り消せない。操言の力を持っているのはローベルだけではない。弥生、ヒュー、皐月、王黎、何より自分自身。自分も含めた操言士すべてにとって、操言士になるべきさだめが悲しいことだとは限らないのだ。

 それにもしもそれを言ってしまったら、今日まで経験したことが、王黎が教えてくれたことが、自分の見てきたことが――すべてが無意味になってしまいそうで、どうしても紀更は言えなかった。


「紀更はどんな操言士になりたいんだ?」


 ユルゲンは紀更と同じように腰を下ろした。歩廊は狭く、紀更と隣り合うことはできないため少し離れた位置に座り込む。そうして紀更と同じ目線になって、ゆっくりと尋ねた。

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